霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

知人宅から魑魅魍魎(ちみもうりょう)

魑魅魍魎(ちみもうりょう)、これは「人に害を与える山や河の妖怪や化け物」を表す言葉として使われる。

 

今までに「霊」やら「龍」やら「UFO」やら、いろいろなものを見てきたが、これは未だに「得体の知れないもの」となっている体験である。

 

山や河には関係のない体験だが、あれは「魑魅魍魎」だったのではないかと思う。

 

それは「家を買って引っ越しをしたから」という知人の家へ遊びに行った時のこと。

 

家の外観を見た第一印象が、「なんだか暗いな」だった。

 

その地域は土地の持つエネルギーが弱く、日が照っているにもかかわらず暗く寂しい雰囲気が漂っていた。

 

その為、家の中は日差しが入ってきているのに暗い印象で、また誰かに見られているような感覚もあって落ち着かなかった。

 

今まで友達や知人の家に行くと「身内の霊」などが出てくることは時々あったが、今回ほど胸がザワザワすることは無かった。

 

知人宅で数時間を過ごし、家路につく。

 

晩ごはんを食べ、お風呂に入る頃には、すっかり知人宅での出来事は忘れていた。

 

夜中、突然の金縛りとともに、左耳の耳鳴りで目が覚めた。

 

くっ!!

 

息がほとんどできない。

 

今回の金縛りは強力で、食いしばる歯が折れるのではないかと不安になった。

 

だが、少しでも気をゆるめると生気を吸い取られるような感覚があり、意識が飛びそうになる。

 

ベッドに仰向けとなっている私の体は、真っ黒な液体のようなもので覆われていた。

 

それは冷たく、粘り気のあるコールタールのような見た目だが、数多くの何かが集まって一塊の真っ黒な液体状となり、自由自在に形を変えながら私の体をベッドに押さえつけていた。

 

体がどんどん冷えていくことが私を更に不安にさせた。

 

強力な金縛りにより私の歯はこすれ合い、少しずつ削れた骨が舌の上に落ちてくるのは不快だった。

 

真っ黒なものは、体から少しずつ私の顔にも広がってきて、まるで水に沈んだかのような感覚へとなっていった。

 

数が多いからか、金縛りを解くことも払うこともできず、私はほとんど息ができない状態でもがいていた。

 

だんだんと意識が薄れ、体から力が抜け始める。

 

突然、閉じていた「まぶた」に光を感じた。

 

すると私に覆いかぶさっていた真っ黒な液体状のものが、粉々に砕け散った。

 

一気に金縛りが解け、大きく空気を吸い込む。

 

目を開けると天井のあたりに眩しいくらいのオレンジ色の光が浮かんでいて、部屋全体を明るく照らしていた。

 

粉々になった真っ黒のものが、その光に次々と吸い上げられていく。

 

そして光は、最後に私を包み込んだ。

 

とても温かく愛に満ちた光は冷えきっていた私の体を元の状態へと戻し、心を癒し、活力を与えてくれた。

 

やがて光は私から離れ、天井をすり抜けて空へと舞い上がって消えた。

 

その様子も天井に邪魔をされることなく、私には綺麗に空まで見えていた。

 

金縛りの最中、あの真っ黒なものは「知人宅からやって来た」と映像で伝えてきた。

 

知人宅の土地に関係する何かだと思うのだが、その正体は未だにわからない。

 

私が呼び寄せてしまったのか、それとも向こうが私と波長が合うからとやって来たのかは不明だが、真っ黒な液体状のものが私の家に来て「光によって浄化」されたことで、何も知らない知人は今も快適に暮らしている。

 

もし、あの光に助けてもらえていなかったら、たぶん私の生気は吸いつくされて、数日後には死んでいただろう。

 

あの光の正体も不明だが、私を助けてくれる存在があることは心強い。

 

この「目では見えない世界」によってもたらされる出来事は、私にとっては一人で経験を重ね歩まなければならない人生であり、それは時々、過酷だったり困難だったり、孤独を感じることがあった。

 

しかし、この光に包まれた経験を得たことで、一切の孤独や寂しさを感じなくなった。

 

いつでも光と繋がっていて守られている感覚があり、光に包まれたことを思い出すとエネルギーが湧いてくる。

 

私は光によって「強さ」をもらい、「目では見えない世界」と向き合えるようにもなり、どんな奇妙な体験でも対応ができるようになっていった。

 

「魑魅魍魎」はしんどかったが、「光」によって成長できた良い経験だった。

 

 

 

 昔から「不食」と「神代文字」に興味があり、数か月前に出会った本。

 

本屋で目につき、パラパラとページをめくって「龍体文字」を見ていると5分ほどで顔がピリピリ、体が熱くなった。

 

「龍体文字」の持つエネルギーの凄さと文字の形の不思議さに惹かれて購入。

 

「この文字がスラスラと書けるようになりたい」と練習中。

 

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【前世の記憶】自閉症を持つ男の子

幼少期から少しずつ蘇ってくる、いくつもの「前世の記憶」。

 

それは初めて来た場所なのに「知っている感覚」があって、次第に「前世の記憶」を思い出すこともあれば、何度も「同じ夢」を見て懐かしさが込み上げることもある。

 

その後、起きている間に突然、夢の続きが映像となって頭の中に現れて「前世の記憶」が蘇ることもある。

 

一つ、また一つと「前世の記憶」を思い出していくうちに、現在の「自分の好きな物」や「変わった呼吸法について」なども「前世からの影響」だと気づいていく。

 

何度も何度も生まれ変わりをして得たいろいろな経験が「魂の記憶」として刻まれ、「私という人間」が形成されている。

 

このヨーロッパで生まれ育った男の子の前世記憶は、「人の目の怖さ」を私の魂に植え付けている。

 

今世の私は幼少期から「人が自分を見る目」が怖く、相手の目を見て話せないことも多かった。

 

注目を浴び、たくさんの視線が自分に向けられるのは居心地が悪く落ち着かない。

 

大人になって「かなり克服はできた」と感じているが、「なぜ人の目が怖いのか」ずっと不思議でもあった。

 

時代は中世、イタリアにある小さな村。

 

記憶にある当時の私の姿は、12歳くらいの男の子。

 

一人っ子で「自閉症」。

 

「変わった子供」として奇異な目で見られたり、ジロジロと観察されるのが怖かった。

 

その為、いつも一人で自分の世界の中で生きているのが安心で幸せだった。

 

当時の私は話しかけられても、すぐに言葉が出てこず、会話に入っていけない。

 

しかし周りの人間が自分に対して「遅い」「イラつく」などという感情を持っていることが手に取るように伝わってきていた。

 

両親は飲食店を経営していて、長年、子宝に恵まれず、やっと授かった子供が自閉症で、とても落胆していた。

 

年齢的に「子供をもう一人望む」ことは不可能だった。

 

小さな村では世間体を気にしたり、ウワサ話もたえない。

 

その為、両親はだんだんと私が外に出ることを許さず、家に閉じ込めるようになり、店の営業をしながらも私がちゃんと家にいるかを監視するようになっていった。

 

「普通の聡明な男の子」を望んでいた両親は、希望とは真逆の私を見る度にイライラが募り、子供を捨てることも殺すこともできず、虐待はエスカレートしていった。

 

父親は背が低かったが仕事で重い荷物を運ぶことが多かった為、小柄ながらも筋肉質な体をしており、髪が薄くスキンヘッドで目が大きい人だった。

 

母も背が低く小柄で、赤茶の長い髪はくせ毛でカールしていた。

 

そんな二人が毎日、私に文句を言っては手をあげた。

 

時には父親が「フォーク」を振り上げ、顔を防御する私の手首や腕を何度も引っかいたり刺したりを繰り返した。

 

両親は口では暴言をはいていたが、感情はいつもイラつきから始まり、最後は心の中が悲しみでいっぱいだった。

 

「なぜ、普通の子供として生まれてきてくれなかったのか」と。

 

中世では「他の人と違う」ということは、「欠陥がある人間」とレッテルを貼られるような状況で、現代よりも生きにくい時代だったと思う。

 

しかし「自閉症」で言葉を使ったコミュニケーションは苦手だったが、当時の私は相手の感情を読み取ることができ、書かれた文字には、それぞれ「色」がついて見え、文章も「感覚」で読めていた記憶がある。

 

他の人とは違うコミュニケーション方法だったかもしれないが、私の中では感情豊かな子供だったと思う。

 

今世の私は、この「前世」の影響もあってか、時々、相手の感情が言葉を交わさなくても読み取れることがあったり、文字や数字に色がついて見えることもある。

 

また「体の不自由な人」を見ると内面はとても感情豊かだったり、いろいろと考えていることが伝わってくる。

 

「障害を持つ人」は、今世の人生での課題の為に「障害」をわざわざ持って生まれてきている場合が多く、周りの状況をしっかりと把握できていたり、相手の感情を読み取れていたりするから明確に意思疎通ができる。

 

「言葉を使う会話」の方が、ちゃんと相手に自分の思うことが伝わらなかったりして、もどかしくなったりする。

 

私の前世の両親は「普通の子供」を希望していたが、それぞれ個性があるから良いし、実際、みんなが同じように見えたり聞こえたりしているとは限らない。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳の封印がはずれ、スピリチュアルに目覚める人

この20年ほどの間に私の周りでも「目では見えない世界」に興味が出てくる人が増えてきた。

 

テレビも「占い・霊・UFO」に関する番組が増え、小説やマンガでも「透視や霊視」をして事件を解決していく話や「魔界や妖怪」の話も多くなったと思う。

 

「目で見える世界」に重なるようにして「目では見えない世界」が存在し、普段、私達の体や生活に影響を及ぼしているが、大半の人が「目で見える世界」だけを意識して生活をしている。

 

しかし、誰もが「第6感」と呼ばれるものを持っているし、「前世の記憶」や「あの世とこの世の仕組み」、「宇宙に関する情報」なども持っている。

 

ただ「目で見える世界」だけに集中をして生きる為、あえて「脳に封印」をして思い出せないようにしているだけだと思う。

 

「脳に封印」をしたままで「一生を終える人」もいるが、この「封印」が少しずつはずれ「前世の記憶」を思い出す人、「霊」が見えるようになった人、「UFOや宇宙」に関する体験をする人なども出てきている。

 

スピリチュアルに関するテレビや本を見ることで「目では見えない世界」に興味を持ったり、事故や病気で「生死をさまよう体験」をしたことで「脳の封印」がはずれることもある。

 

人それぞれ「脳の封印」をはずす時期や手段はいろいろだ。

 

私も時々、「脳の封印」をはずす手伝いの為、呼ばれることがある。

 

10年くらい前、本屋で私は「天使」に関する本を立ち読みしていた。

 

夕方で会社帰りと思われる人で、どこの棚も本を探す人でいっぱいだった。

 

私がいた「スピリチュアルのコーナー」にも5人ほどが本を読んでいた。

 

そこに20代前半くらいの若い男女がやって来る。

 

「この本は?」

 

「う~ん、どの本を選んでいいか、わからないな~」

 

二人の会話の声が大きい。

 

私の前に立ち、あれやこれやと本の表紙を見ているようだった。

 

「あの~、すみません。スピリチュアルな体験談を書いたような本を探しているんですけど、オススメはありますか?」

 

突然、私の顔を覗き込んでくる女性。

 

「えっ、私に話しかけてる?」

 

「はい。スピリチュアルな体験談の本を探しているのと、実際に体験談を持っている人を捜しているんです。話が聞きたくて」

 

突然のことに私は絶句した。

 

私の他にも5人ほどいて、彼らの両サイドにも立ち読みをしている人がいた。

 

それなのに、この男女は私を選んで話しかけ、そのうえ「スピリチュアルな体験談を持つ人」も捜していると言う。

 

「スピリチュアルな体験をしたことはありますか? 教えてください」

 

男女の質問が続いている。

 

しかも彼らの声は「静かな本屋」ではよく響き、周りの人も聞き耳をたてていたり、「声がうるさい」と思っている人がいることも伝わってきていた。

 

そんな状況の中、「彼らの守護霊」からメッセージが私の脳に直接「文字や映像など」で届く。

 

「体験談を聞かせて」と。

 

ようやく私は理解した。

 

彼らに「目覚めの時期」が来ていることを。

 

本屋で立ち話はできないので、私は彼らに体験談を伝える為、近くの喫茶店に入った。

 

そこで初めて彼らの素性を知った。

 

二人とも数か月前に「ヨガ」を習い始め、そこで彼らの講師から「目では見えない世界」があることを知ったようだ。

 

本来、「ヨガ」は「目では見えない世界」と交信する為、呼吸法などで自分の「気」を整えたり高めたりするものだと聞いたことがあった。

 

彼らの講師が教える「ヨガ」もインドから継承されている「スピリチュアル」に基づき、「呼吸法」や「食事」などについても教えているようだった。

 

二人は熱心に私の話を聴き、時には質問やメモをしながら「スピリチュアルに関する情報」を吸収していった。

 

体験談を語り、数々の質問の回答を終えて彼らが満足した頃には、すでに3時間を超えていた。

 

また、ある時は数年ぶりに再会をした友達から、急に「スピリチュアルな質問」を受けることがある。

 

それは「身内の霊」や「自身の守護霊」に関するものだったり、家の間取りや自身の「気」についてだったり、いろいろだ。

 

久しぶりに再会をする友達は、彼ら自身の「守護霊」によって「私と会う段取り」になっていることが大半だ。

 

結婚をして子供ができると自分の家族を守る為に「目では見えない世界」に興味を持つ友達もいる。

 

学生の頃は「スピリチュアルには全然興味がない」とか「霊の話は怖い」と言っていた友達も年齢を重ね、自身に家族ができると変わるものだ。

 

この数年、世界各国で地震や噴火などの天災の規模が大きく回数も増え、またコロナウイルスによって、今まで「あたりまえにできていた生活」ができなくなっていることも「スピリチュアル」に目覚める要因になっていると思う。

 

これからは「目で見える世界」だけを意識した暮らしをしていくのは、難しくなっていくだろう。

 

その為、「脳の封印をはずす時期」が来ている人も多いのではないだろうか。

 

また生まれた時からすでに「脳の封印」が無く「前世の記憶」を語れたり、「あの世とこの世の仕組み」や「宇宙」に関する話ができる子供たちも増えているようだ。

 

今後は「目では見えない世界」を意識したり、「自分自身を知る」ということも大事になってくる。

 

意外と「自分自身のこと」を知らない人は多い。

 

「自分にあった生き方や仕事」「今世の人生での課題」「自身の体のこと」などを知るには、瞑想などで自分自身と向き合う時間を持つことも必要だし、たくさんの「スピリチュアルに関する本」を読むこともオススメだ。

 

「自分自身を知る」ことで「年齢にこだわること」や「他人と自分とを比べること」が無駄と思えるようになり、また情報の多い日常の中、自身に必要な情報だけを選ぶことができていき不安や迷いも少なくなっていく。

 

私が外出をしていると、すれ違う人の「守護霊」から呼ばれることがある。

 

「本人にメッセージを伝えてほしい」

 

「悩みを聞き、話をしてやってくれないか」

 

見知らぬ人の守護霊に呼ばれる時は、「守護霊の段取り」によって本人に「目では見えない世界を体感」させたり、「悩み解消の時期」が来ていて「次の課題」に取り組む転機となっている場合が多い。

 

その為、私の通勤時間以外でなら、できるだけ「見知らぬ人の守護霊」の意思に従い、本人に話しかけて立ち話をしたりする。

 

突然、私に話しかけられる人は驚いたり不信な態度を最初はとっているが、次第に笑顔となって喜んでくれたりして、最後にはスッキリした表情になっていく。

 

一人でも多く「スピリチュアル」に目覚め、「目では見えない世界」を意識する人が増えればケンカや戦いなどをする必要も無くなり、地球は「愛と平和」に満ちた惑星となっていくだろう。

 

当たり前のように「目では見えない世界について」話ができる人が増えると私も嬉く思う。

 

 

 

寒くなってくるとお風呂につかりたくなる。

 

「天照石」を湯舟に入れてつかると汗を大量にかき、スッキリする。

 

お風呂を出た後の保温効果も長い気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊より怖い人間

一人暮らしをしたアパートの管理人は、50代くらいの「ロシア人夫婦」だった。

 

奥さんは気さくで、旦那さんは無口だったが、こまめにアパートの周りを掃除する人だった。

 

ある日、旦那さんを見かけて「一か月後に帰国すること」と「部屋の解約」を伝えた。

 

その数日後、長い一日が終わり、夜中から寝始めた。

 

朝7時半ごろ、ドアをたたく音で目覚めた。

 

「こんな早い時間から誰だろう」と思いながらも睡魔に勝てず、再び、寝かかっていた私。

 

またドアをたたく音。

 

私は「居留守」を決め込んだ。

 

ガチャガチャ・・・ギィー

 

ドアの開く音で飛び起きた。

 

「はぁ~!? なに入ってきてるの!!」

 

リビングのど真ん中に敷いたマットレスの上に座った状態となった私は言った。

 

私から2メートルほど離れた所の玄関には、アパート管理人の旦那さんが立っていた。

 

「ノックしても返事が無かったから誰もいないと思って」と悪びれた様子もなく、平然と答える管理人。

 

「誰もいなかったら勝手に入るのか?」

 

「あなたが部屋をもうすぐ解約予定だから、この部屋を見たいという人を連れて来たんだ。彼らの都合の良い日時が、今日のこの時間しかなかったから」と言う管理人。

 

「はぁ~!? 私は何の知らせも受けてないけど!!」

 

「あたなには、知らせる必要ないよね。もうすぐ部屋を解約するんだし」と管理人は自分の行いが正しいとばかりに強気で言ってくる。

 

最初は驚きと腹立たしさがあったが、この管理人の言動を聞いているうちに「何を言っても無駄なんだな」という諦めと疲れとが押し寄せた。

 

結局、私は彼ら3人が部屋の隅々を見ることを許した。

 

アパートの管理人が勝手に部屋に入るというのは、初めての経験ではなかった。

 

以前、中国人のルームメイトと暮らしていたアパートでも、40代くらいのアメリカ人男性が管理人で、私達が留守中に玄関に「食べ物」や「アメリカ製品でオススメの物」などを勝手に置いていることがあった。

 

何度か注意をしたが男性は「アメリカでは管理人は自由に部屋に入っていいことになっているし、ボクは玄関までしか入っていないよ」と主張した。

 

「玄関までしか入らないボクってエライでしょ~みたいな言い方するな!」と私は注意したが、ヘラヘラ笑うだけの管理人。

 

しかし後日、部屋に戻ると明らかに置いていた服や物の位置が移動をしており、怒った中国人ルームメイトは警察に電話をした。

 

警官が来て取り調べがあり、管理人は厳重注意となった。

 

しかし、管理人と大半のアパートの住人は「違法薬物の売買と所持の前科」がいくつもあった為、警官が去った後、全員が夜逃げをした。

 

警官に一度目をつけられたアパートに、再び、彼らが戻ってくることはなかった。

 

このアメリカ人管理人との一件があった頃、ある日、語学学校から戻り玄関の鍵を開けて中に入った。

 

目の前のキッチンにある椅子に座っている男性がいる。

 

一瞬、ドキッとして身構えた。

 

男性がゆっくりと振り返る。

 

「あれっ、おじさん!? 亡くなったの? 

日本から会いに来てくれて、ありがとうございます」

 

私は親戚のおじさんに言った。

 

数か月前に母から「病気で入院している」と聞いていた。

 

おじさんは、私の姿を確認すると「元気で」と言って消えた。

 

その二日後、母から国際電話があった。

 

「おじさんが二日前に亡くなったこと知ってるよ。おじさんと会ったから」

 

「えぇっ、知ってたの!? 知らせようと思って電話したのに」

 

母は驚いていた。

 

アメリカでは管理人は「勝手に部屋に入っていい」というは本当だろうか。

 

日本では考えられないことだ。

 

当時、何人かのクラスメートにも「アパート管理人について」聞いてみたが、誰も私のような体験をした人はおらず、「勝手に入るのは違法でしょ」という答えが返ってきた。

 

アメリカ人管理人もロシア人管理人も、「部屋に危険物などを持っていないかという犯罪防止も兼ねて、部屋に入るのを許されている」と言っていた。

 

その為、私の留守中に自由に部屋を歩き回り、物色をしていたにちがいない。

 

もしかしたら盗撮や盗聴もあったのかもしれない。

 

20年以上経つ現在でも、ふと当時のことを思い出すと「部屋に勝手に入られていた気持ち悪さ」と「事件に発展しなくて良かった」という思いが交差する。

 

私にとっては「霊よりも人間の方が怖い」存在だ。

 

 

 

昔から「ネイティブアメリカン」や「メキシコ」に関するグッズやアクセサリーが好きで集めている。

 

アメリカやメキシコに行くと品数も多いから、何時間でも見て買ってしまう。

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

【未来映像】一人暮らしをしたものの

留学をして一年以上が過ぎた春頃、私は「一人暮らし」を始めた。

 

アパート1階の1LDK

 

50代くらいのロシア人夫婦が、アパートの管理人だった。

 

リビングが20畳以上あり、キッチンは小さめだったが、クローゼットが広かった。

 

日本円で家賃5万円。

 

家賃や光熱費の支払いは、「小切手」でする。

 

渡米後、すぐに「現地の銀行口座」を開設をした時、窓口で「小切手」を渡されて驚いた。

 

「小切手!? いつ使うの?」

 

私は「小切手はセレブみたいなお金持ちが使うもの」と思っていたから、まさか自分が使う日が来るとは思ってもみなかった。

 

アパートから徒歩5分の所にはスーパーや郵便局、カフェ、更に5分歩くと人の少ない穴場のビーチがあった。

 

仕事や予定がない日は、夕方、白い砂のビーチに座り、エメラルドグリーンの海を眺めたり、カモメやペリカンを見て癒された。

 

時々、ビーチを「お年寄りと若者」が歩いていた。

 

これは当時、とても人気のある「バイト」だった。

 

フォートローダーデール」は、大金持ちの独り身のお年寄りが多く、その人達の「話し相手」をするバイトだ。

 

お年寄り達は、海の近くに建つ「高級コンドミニアム」に住んでいることが多かった。

 

私の友達もバイトをしていて、一度、連れて行ってもらったことがある。

 

コンドミニアムの部屋はとても広く、どの部屋からもキレイな海が見えた。

 

60代の男性は「有名な会社の会長」をしていて「毎年、働かなくても莫大な年収が入ってくる」と言っていた。

 

そのうえ数年前には妻と母親とを亡くしており「遺産」が入ってきていた。

 

「もう、これ以上のお金はいらないんだ。気軽に話せて、一緒にご飯が食べれる友達がほしいんだ」と言っていた。

 

彼の周りに集まる人は「お金が目的」ということが多く、「親友」と呼べる人がいないということだった。

 

小切手にしろ、バイト事情にしろ、「驚くネタ」がたくさんあるアメリカ生活。

 

毎年5月には、フォートローダーデールでの「エアショー」が2日間ある。

 

ジェット機や戦闘機、アパッチのヘリコプターなど、アメリカ空軍機が海上を飛ぶ。

 

また軍人や騎馬警官の制服姿も格好よくて、「アメリカの軍人や警察官だった頃の前世記憶を持つ私」としては、ワクワクが止まらない2日間だった。

 

楽しいことも多かったが、やはり「霊体験」も日常茶飯事だった。

 

それは「一人暮らし1日目」から起こった。

 

寝ていたら朝方に「金縛り」。

 

すると、男の子や女の子たちの笑い声がし始めた。

 

私の寝ているマットレスの周りに現れる「7人の子供たちの霊」。

 

全員10歳前後で、私の住み始めたアパートが建つ前に、そこに住んでいた子供たちのようだった。

 

その日から度々、私の部屋に現れるようになり、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」が始まる。

 

彼らが出てくるのは決まって朝方で、毎回、数時間は「金縛り」となり、語学学校に行く時間を奪われた。

 

「学校に行く時間なんだけど、鬼ごっこ、まだ続く?」

 

「あたしの声、聞こえてるよね? 質問した時、数人の子と目が合うし」

 

何度か質問をしてみたことがあるが、一度も答えてくれたことがない。

 

いつも「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」をして楽しく笑う子供たち。

 

日によっては「金縛り」が強く、いつのまにか眠らされていることもあった。

 

私の意識が戻っても、まだ「金縛り」の状態が続いていて、やっと子供たちが消えてくれた後には「全身筋肉痛」がお決まりだった。

 

「一人暮らしをしたら、ゆっくり寝れるかも」という思いは一度も実現することはなかったが、それでも私は「アメリカに住みたい」と思い続けていた。

 

しかし、この頃から「私の未来映像」が出てくるようになっていた。

 

それは「フロリダでの生活をやめて、実家に戻る」という色つきの映像。

 

その映像が出始めの頃は、「映像が出ていても、私はずっとフロリダで生活をする」と思っていたし、「寒暖差の激しい気候が体にこたえる日本」で再び生活するというのは絶対に嫌だった。

 

やがて、その「未来映像」は毎日出てくるようになり、多い時には「一日5・6回」ということもあった。

 

そして生活環境にも変化が出てきていた。

 

通っていた語学学校の終了時期が迫っていて「卒業をするか」、「大学へと進むか」を決めなければならなかった。

 

「学生ビザ」を持って渡米をしていた為、何らかの学校に通っていないと違法になる。

 

しかし私には「大学に行くこと」や「他の語学学校へ移って学ぶ」という意欲がなくなっていた。

 

「フロリダで普通の生活を長く続けていたい」という願いしかなかったが、「ゆっくり寝ることもままならない環境」ではそれも難しく、少しずつ体力も気力も萎えていった。

 

そうなるとバイトに行く気も失せてくる。

 

すると、あれだけ嫌だった「帰国」という言葉が、自然と「良い言葉」に思えるようになっていった。

 

「いったん帰国して、日本でゆっくり体を休めながら今後を考えるのも良いかも」と。

 

一人暮らしをしたものの、物事が空回りするようになっていき、心身ともに疲れ、少しずつ「未来映像」を受け入れる結果となった。

 

余談になるが、本来なら「未来映像」は何通りもあり、どれを選んでも良いし、「運命」は選択次第でいくらでも変えられる。

 

しかし当時の私の場合、「帰国」という「未来映像」しか出てこなかった。

 

「一人暮らし」をして数か月後、すべての荷物をまとめて私は帰国をした。

 

そして2か月ほどが経った頃、「アメリカ同時多発テロ事件」が起こった。

 

それは、2001年9月11日だった。

 

そして2001年9月18日と10月19日には、「炭疽菌事件」が起きた。

 

炭疽菌を封入した容器を封筒に入れてテレビ局などに送ったもので、「バイオテロ」とも呼ばれており、炭疽菌に感染をした負傷者や死者が出た。

 

フロリダの郵便局でも封筒が見つかりニュースになった。

 

この「2つのテロ事件」のニュースを見た時、「私の未来映像」が「帰国」という一つの選択肢しかなかった意味を悟った。

 

テロ事件後、空港が閉鎖されたり、出入国が厳しくなった為、もしフロリダに住み続けていたとしたら思うように帰国もできなかっただろう。

 

そして銃犯罪の多い環境に加えて「またテロが起こるかも」という不安の中、フロリダ生活をすることとなり、自分も日本にいる家族も心配の日々を過ごしたにちがいない。

 

そう思うと良いタイミングで帰国をさせてもらえて、私の「守護霊の段取りとお導き」に感謝しかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「霊」の言葉

フロリダの「フォートローダーデール」に住んで1年以上が経った頃、私は「一人暮らし」することを検討していた。

 

ホームステイに始まり、語学学校の寮、それ以降は様々なアパートを転々として、計20人ほどのルームメイトと暮らし、毎日が「修学旅行」のように楽しかった。

 

留学生同士での「ルームシェア」は、「男女問わず・年齢問わず」であることが多い。

 

私のルームメイトは、10代~40代の男女と幅広く、母国での職業も学生・医者・弁護士・エンジニアなど様々で、どの人も「英語の必要性」を感じての留学だった。

 

出身国の料理を食べさせてくれたルームメイトたち。

 

それはイタリア・ドイツ・ブラジル・スイス・タイなどの家庭料理で、初めて体験する味も多かった。

 

フランス出身のルームメイトは国から持参した「クレープ用のフライパン」でクレープを振る舞ってくれ、その時、小麦粉の他に「ソバ粉」でつくるクレープもあることを知った。

 

またスイスでは、4種類の公用語「ドイツ語・イタリア語・フランス語・ロマンシュ語」があり、住む場所によって話す言葉が違うことも知った。

 

ほとんどの留学生が何らかの宗教を持ち、それによって生活習慣や食生活も異なる。

 

同じ日本人でも「県」によって食文化の違いがある。

 

海外の人と住むことは、刺激的で驚くことも多く面白かった。

 

しかし私の場合、「ルームメイトと一緒に住む」ということは「霊」との関わりも増えるということ。

 

多い時には「5人のルームメイト」と暮らしていたが、海へ遊びに行って「海にいた霊」を連れて帰ってくる人、道端にいた「霊」を拾ってくる人、ルームメイト自身の「身内の霊」が出てくるなど、いつも最終的に私が対応することとなり寝不足の日々だった。

 

「何も見えていないルームメイトたち」は、気楽なものである。

 

「霊の言葉」は、「生きていた時の言語」で話す者もいれば、言葉など関係なく「テレパシー」で意思疎通ができる霊もいるが、ルームメイトの「身内の霊」は決まって前者だった。

 

ある日、夜中に起こされた気がして目を開けると、マットレスで寝ていた私の足元に片膝をたてて座る上半身裸のおじいさんがいた。

 

すぐに「ブラジル出身のルームメイトの祖父」にあたる霊だとわかった。

 

私が起き上がろうとすると、おじいさんは片手を前に出し「起き上がらなくていい」というような「しぐさ」をした。

 

そのまま仰向けで寝ていると、私の足元にいたおじいさんが、マットレスの上をすべるようにスーッと移動してくる。

 

そして、私のお腹の位置ぐらいの所でしゃがんだ。

 

「#$&%」

 

「ちょ、ちょっと待って!!おじいさん、何を話してるのか全然わかんない!!

英語は話せますか?」

 

「◇$%#&△」

 

おじいさんは、一生懸命に何かを伝えようと「ポルトガル語」で話をしてくる。

 

だが、私には何度聞いても理解ができず、毎回、発する単語も違うようで、何について話をしているのかさえ不明だった。

 

おじいさんからの感情を読みとろうとしても「必死さ」のようなものしか伝わってこない。

 

やがて、おじいさんは諦めたのか、スッと消えた。

 

こういう状況が一番「モヤモヤ」として後味が悪い。

 

「霊」は想いを伝えたくて来ているのに、「つなぎ役」となる私がうまく「受信」できないと相手に「霊の想い」を伝えてあげられない。

 

この時もブラジル出身のルームメイトであるA君に「おじいさんの霊が来たよ」

とだけ伝えるか、会話の内容が不明だから何も知らせずにいようか、かなり迷った。

 

結局、私は伝えることにした。

 

「おじいさんの霊」がやって来た二日後、ようやくA君が「フロリダ観光旅行」から戻って来た。

 

旅の話を聴いた後、A君に言った。

 

「二日前の夜、おじいさんがやって来て、あなたにメッセージを伝えたかったようだけど、ポルトガル語がわからなかった」

 

「僕のおじいちゃん、二日前に亡くなったんだ。旅先に実家からの連絡があって、そのことを知ったんだ。おじいちゃんは、亡くなる直前まで僕に会いたがっていたらしい」

 

A君は「おじいさんに会った」という私に驚いていたが、私もA君の話を聴いて驚いた。

 

たぶん、おじいさんは亡くなってからすぐに孫のA君の旅先まで会いに行ったのだろう。

 

しかし、どうしても「メッセージ」を伝えたくて、私の所へと来たようだ。

 

ポルトガル語」はわからなかったが、私が「こんな感じに聞こえた」と「おじいさんの言葉」を「音」で説明をしたら、A君は少し考えて言った。

 

「元気で。無理はするなよ・・・だと思う」

 

100%正解かどうかはわからないがA君は喜んでくれ、私の「モヤモヤ」もスッキリとした。

 

当時、留学生が犯罪に巻き込まれることも少なくなかった。

 

この数週間前にもイタリアからの10代の留学生が「銃で数発」撃たれ、下半身不随となる重傷を負った。

 

彼の乗っていた「レンタカー会社の新車」に目をつけた若者のグループが、「あおり運転」をしながら追いかけ、それに抵抗しながら彼は「語学学校の寮の前」まで戻った。

 

しかし、車を降りた所で銃撃されたそうだ。

 

すぐに新車を乗り捨てて逃げていれば、撃たれることもなかったかもしれない。

 

彼が撃たれた「語学学校の寮」は、以前、私が住んでいた場所だった。

 

A君のおじいさんも、留学中の孫を心配していたのだろう。

 

これまで数多くの「霊」と向き合ってきたが、「生前に使っていた言語を使う霊」と「テレパシーを使う霊」との違いは何なのか。

 

いまだによくわからないが、死後の年数があまり経過していない「霊」の方が、「生前に使っていた言語」で話しかけてくることが多い気がする。

 

死後100年以上も経っているような「霊」は、「テレパシー」を使う方が多く、「会話・感情・死亡した時期や原因・出身国などの情報」が一気に私の脳や心に入ってくるような感覚で、意思疎通が早くてラクだ。

 

留学して1年以上が経つと、あらゆる国のルームメイトとの「面白い生活体験」ができたことだし、今度は「一人で生活してみたい」という思いが日に日に強くなっていった。

 

「一人で住んだら、ゆっくり寝れるかもしれない」という思いもそこにはあった。

 

しかし、その思いは一瞬で崩されるのだった。

 

「【未来映像】一人暮らしをしたものの」へと続く。

 

 

 

フロリダにある「ケネディ宇宙センター」に行った時、たくさんの「宇宙食」を買って「お土産」や「自分用のおやつ」にしたことがある。

 

今では「災害用の保存食」として保管をする人もいるそうだ。 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死後から四十九日間でする訪問

今から15年以上も前の話。

 

30代の時、同級生のNちゃんが亡くなった。

 

幼稚園が同じで、よく家にも遊びに行った。

 

幼い頃から初恋があったり、小学生では恋に勉強に運動に何にでも積極的で、私と同い年なのに、一歩先の世界を行くお姉さんのように感じたこともあった。

 

高学年の時、習っていた「公文の教室」が同じで顔を合わせると話をしたが、彼女はいつも中学生レベルの数学の問題をサラサラと解いていた。

 

昔から「色白の美人さん」で勉強がよくでき、大人びたところがあった。

 

高校からは別々の学校へと進学となり彼女との交流はなくなっていたが、20代になり居酒屋でバッタリ再会をした時は昔と変わらず、気さくに話ができる友達だった。

 

その時、彼女は元気そうに見えたが、「病院に通っている」と言っていた。

 

しかし「どこが悪いのか」を訊ねても教えてくれなかった。

 

ただ、「今は、だいぶ良くなったから」とだけ答え、微笑んでいた彼女の顔が忘れられない。

 

ある日、買い物から帰ってきた母が言った。

 

「高架下の会場でお葬式の準備がされてて、名前が同級生のNちゃんと同じだった」

 

「え!? 本人じゃなくて、同姓同名の別人じゃないの?」

 

返答しながらも嫌な予感がした。

 

急いで近所の高架下にある会場へと向かう。

 

「葬儀の看板に書かれた名前」と会場の入り口に立つ「喪服姿の女性」を見て愕然とした。

 

Nちゃんのお母さんだった。

 

何十年ぶりかに会ったNちゃんのお母さんは、疲れた様子ではあったものの気丈に振る舞い、会場での準備を進めていた。

 

近寄ると私に気づいてくれて、話ができた。

 

Nちゃんのお母さんは、死因を明かしてはくれなかったが、「朝になっても起きてこない娘の部屋に行った時、すでに布団の中で亡くなっていたこと」や「密葬で見送る予定だ」と教えてくれた。

 

翌日のお葬式に行き、彼女に別れのあいさつをした。

 

それから数日後、夜中、ふと目が覚めた。

 

誰かが来る気配。

 

ベッドの足元のほうには、ベランダへと出られるガラス戸と閉じられたカーテンがあった。

 

しばらくして、そのガラス戸とカーテンをすり抜けて入って来たのは、グレー色の小さな子猫。

 

私の足元の布団に着地した時、軽い感触が伝わってきた。

 

にゃ~!

 

子猫が鳴くとNちゃんがカーテンをすり抜けて部屋に入って来た。

 

「Nちゃん!!」

 

私は、心の中で同級生を呼んでいた。

 

「えっ、私が見えてる?」

 

「うん、見えてるよ」

 

Nちゃんは、とても驚いていた。

 

私の「目では見えない世界」が「見えてしまう体質」を知らない同級生は多い。

 

Nちゃんも、その一人だった。

 

初めは驚き戸惑っているようだったが、私に「最期の別れ」をして消えた。

 

亡くなった人は「四十九日までの間」に、今世で関わった人すべてに「お礼」などをしてまわるようだ。

 

今までに私の家へやって来たのは、Nちゃんだけではない。

 

ある日、母と私が夕食後にテレビを見ている時、母の横に立つ男性に気がついた。

 

座っている母に男性は「ありがとう」と言っていて、私は母に「男性の外見と言葉」を伝えた。

 

その男性は近所に住む「母の同級生」で、病気で亡くなり、お葬式のあった翌日だった。

 

また別の日。

 

会社が繁忙期で朝から晩まで働き、毎夜のように霊に起こされ、かなりの疲れと寝不足で休日に昼寝をすることにした私。

 

ベッドで気持ちよく寝かかっていると急に金縛りになり、私の枕の横に誰かが腰かけた。

 

かろうじて片目だけ開けることができて見てみると、男性の後ろ姿。

 

目を閉じて、今度は視力を使わずに見てみる。

 

60代くらいの小柄な男性で薄い頭に面長の顔、エンジ色とベージュの色の柄の入った服を着ていて、薄茶色のサングラスをかけていた。

 

「ごめんな~、ごめんな~」とつぶやいている。

 

同時に男性の感情も伝わってくる。

 

どうやら男性は自分の家族に謝っているようで、私の叔母の職場の人のようだった。

 

結局、眠気も吹っ飛び、昼寝を中断。

 

起きて、叔母に男性の事を伝えた。

 

このように亡くなった人は最期に家々を訪問するが、時間帯もバラバラ、「あいさつやお礼」をしてくれることもあれば、遺族へのメッセージを持ってくる場合もある。

 

こうして「今世での思い」「未練やしがらみ」などを自身で取り除き、四十九日目に「あの世」へと旅立つ場合が多いようだ。

 

自分の周りで誰かが亡くなったら、意識してみてほしい。

 

もし、その人の姿が見えない場合でも気配を感じたり足音がしたり、何らかの「サイン」があるはずだ。

 

タバコや香水が好きだった故人なら、その香りがする場合もある。

 

同級生Nちゃんは30代の若さで亡くなったが、彼女なりに一生懸命、悔いなく生きたのだと「最期のお別れ」の時に感じた。

 

人の死とは「長生きできたから良かった」とか「若いうちに亡くなってしまって可哀そう」とかいうものではない。

 

年齢に関係なく、「毎日をどれだけ濃く生きたか」が重要だと思う。

 

たとえ長生きしていても毎日ボーッと何もせずに過ごしているなら、人生の中身が薄く、得た知識や体験も少ないだろう。

 

若くても、毎日、考えたり努力を重ねて自分自身を磨いたり、いろいろな体験をする人生は中身が濃い。

 

この世には「肉体を持つことでしかできない体験をする為」に生まれてきているのだ。

 

Nちゃんを見習って、私も「後悔」や「やり残し」がないように生きたいと思っている。