霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

予知夢

いつものように、保険事務をこなす毎日を過ごしていたある日。

 

その日は、朝から胸騒ぎがしていて、仕事をしていても集中できずにいた。

 

胸騒ぎがする時は必ず、何かが起こる。

 

それは私自身に関することもあれば、家族や友達に関することもあるが、国内や海外で起こる凶事の時もある。

 

大きな何かが起こる予感と、急に、どうしても明日は休まないといけない、という衝動にかられた。

 

ちょうど仕事は落ち着いていて、翌週から末日にかけてが繁忙期の為、「休みを取るのは今週中に」と言われていたから、私は思いきって翌日の休暇を申し出た。

 

突然の申請にもかかわらず、スムーズに休暇が取れてホッとしたものの、まだ胸騒ぎは続いていた。

 

次の日。

 

朝6時頃に目が覚めたが、日頃の寝不足を解消する為、また寝なおすことにした。

 

そして、夢を見た。

 

晴れた空、目の前には穏やかな海が広がっていて、どうやら漁港に私はいるようだった。

 

ここは、どこ? 初めて見る景色。

 

夢を見ながらも、場所について考えている私。

 

しばらくして、大きく足場が揺れた。

 

ごぉぉぉぉぉぉぉぉ。

 

地鳴りとともに、そこらじゅうが揺れて、立っていられない。

 

地震

 

周りからは、物が落ちて割れる音や悲鳴なども聴こえてくる。

 

とても長く感じられた地震が、ようやく止んだ。

 

そして、誰かが叫んでいることに気がついた。

 

「高台へ! 地震の後は、津波が来るぞ!」

「早く高台へ!」

 

たくさんの人が家から出てきていて、瓦礫(がれき)をよけながら坂道を上がって行く。

 

私も、できるだけ海から離れる為に走った。

 

夢の中だからか、思うように前に進まない。

 

その時、また大地が揺れ始めた。

 

目の前にいた男性が、誰かの家の玄関を開けて、叫んでいる。

 

「起きてるか? 津波が来る! 早く逃げろ!」

 

この地域は漁業が盛んで、夜中に漁をして朝方に戻り、昼間は寝ている人が多いようだった。

 

人々が互いに声をかけながら、高台を目指していた。

 

後ろを振り返ると、ビルのように高く立ち上がった波が、こちらに迫って来るのが見えた。

 

凄まじい速さで、波が次々と建物や道路を破壊していく。

 

その不気味な音と避難を促すサイレンの音、人々の悲痛な叫び声。

 

そこで、はっと目が覚めた。

 

息をしていなかったのか、一気に酸素を吸い込む。

 

時計を見ると、すでに8時を過ぎていた。

 

とても現実味のある夢で、身体は実際に坂道を走ったかのように疲労感があり、漁港の景色を思い出すと悲惨な状況に胸が痛んだ。

 

胸騒ぎの原因は地震津波であり、それは近いうちに起こるにちがいない、と確信した。

 

だが、正確な日時やどこの場所で起こるのかが、いくら夢の内容を思い出しても不明だった。

 

場所などを特定できる目印やヒントが、無かったからだ。

 

そして、夢を見て6時間ほどが経って、実際に大地震が起こった。

 

2011年3月11日(金曜日)、14時46分。

 

東北大震災だった。

 

その時、私は家でちょうどテレビを見ていて、そのことを知った。

 

津波が防波堤を越えて、町を飲み込んでいく様子をリアルタイムで見ていたが、それは夢の中の景色と同じものだった。

 

もし地震の日時や場所が正確にわかっていたら、被害を最小限にすることができただろうか。

 

ふと、そう思うことがある。

 

予知夢とは、未来に起こることを夢で体験することだが、今回のように、夢の中で地震津波を少し体験をしただけで、実際には地震を回避させることも、被害を最小限にすることも、何一つできなかった状況は、もどかしい。

 

 次回、もし予知夢を見るなら、気分がスッキリしたり、笑顔になれるものが良い。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊道となる部屋

ある晴れた日、友達の部屋に泊まりに行くことになった。

 

そのアパートは沖縄北部にあり、ホテル従業員の寮としても一部使われていて、ここも怪奇現象や霊の目撃が多い場所だった。

 

その為、友達から「私は何も見たことないけど、目撃者が多いのが気持ち悪いから、見に来てほしい」と頼まれたのだった。

 

アパートの外観は古く、コンクリートは所々がひび割れている。

 

狭いエレベーターに乗り込み、友達の部屋があるフロアで下りた。

 

誰かに見られている気配、しかも大人数。

 

外は快晴なのに、アパート内は、なんだか薄暗く肌寒かった。

 

友達の部屋の前に着くと、その両隣の部屋からも歓迎してくれる声が聴こえる。

 

声のする方を見てみると、同じ宿泊部の女友達が数人いて「ここに住んでいる」と言う。

 

その夜は一つの部屋に集まり、飲んで騒いで、女子会を楽しんだ。

 

夜中になっても特に異常はなく、皆それぞれの部屋へと戻り、私も友達のリビングで眠りについた。

 

早朝、友達が仕事に行く為、身支度を始める。

 

その物音で目が覚めたものの、友達とは昼頃にホテルで会い、部屋の鍵を返すという約束もすでにしていたから、私は再び眠りについた。

 

しばらくして、部屋のインターフォンが鳴った。

 

ピンポン ピンポン ピンポン

 

音で目覚めた私に友達が言った。

 

「この部屋のインターフォン壊れてるみたいで、よく鳴るの。気にしないで寝てて。

それじゃ、ホテルでね。」

 

彼女は、部屋を出て行った。

 

その直後、またインターフォンが鳴った。

 

ピンポン ピンポン ピンポン

 

すると突然、私の身体が金縛りになった。

 

リビングにいた私からは、玄関の様子がよく見えた。

 

ピンポン ピンポン ピンポン

 

インターフォンの音とともに玄関のドアをすり抜けて、ランドセルを背負った小学生の男の子が部屋に入って来た。

 

ピンポン ピンポン ピンポン

 

次は、シワだらけの小柄なおばあさんが入ってくる。

 

その後もインターフォンの音は鳴り続け、老若男女の霊が次々と入って来て、リビングを通り、突き当たりの壁や窓のあたりから外へと出て行った。

 

この部屋が霊道となる時、その異空間の現象によって鳴るのか、それとも霊が律儀に鳴らして部屋に入ってくるのかは不明だったが、インターフォンが壊れているのではなかった。

 

やがて静かになり、金縛りが解けた。

 

初めての霊道体験で、すっかり眠気は吹き飛び、興奮と疲れと昨夜のお酒が残っていた。

 

シャワーを浴びてスッキリしたい、と思い浴室へ。

 

沖縄では、お風呂に浸かる習慣がないから、浴槽が無いアパートも多い。

 

ここも、タイル張りにシャワーが付いているだけのものだった。

 

熱いお湯を頭から被っていると、後ろのドアから気配を感じた。

 

コンコン

 

ドアをたたく音。

 

明らかに人ではなく、霊の気配だ。

 

まだ部屋を通る霊がいたのか!?

 

お湯を止め、動きを止め、耳を澄ます。

 

「目では見えない世界」を見る方では、ドアが透けて、その前に立っている若い男性霊の姿が見えた。

 

ドアを開けようとしているのが、私に伝わってくる。

 

時々、性への執着が手放せず、この世に留まっている霊と出会うことがある。

 

そんな霊は、「色情霊(しきじょうれい)」と呼ばれる。

 

どの色情霊も欲望むき出しで、自分の快楽を得ることだけを考えているから、出会うと質が悪い。

 

しかし、ドアの前に立っている男性霊からは、そんなギラギラした欲望が伝わってこなかった。

 

どちらかと言えば、奥手で女性経験があまりなさそうなタイプ。

 

性には興味があって立ち止まったけど、浴室の中に入ってくる度胸がない印象。

 

「私の声が聞こえますか?こんな所で立ち止まってはダメです。

あなたの行くべき場所へ行ってください。」

 

私は彼に数回、呼びかけた。

 

やっと彼が動き、リビングへと歩き出す。

 

そして、部屋から出て行った。

 

素直な霊で、運が良かったと思う。

 

浴室の中の私は、すっかり身体が冷え、またシャワーを浴びなおした。

 

友達に何と伝えれば良いのか、を考えながら。

 

私が何も伝えず、インターフォンの故障だと思い込んだまま住み続けた場合、彼女の身体が心配になった。

 

霊道は、たくさんの霊が通るから、その影響を受けて体調不良になる可能性が大きい。

 

しかし正直に、今までインターフォンが鳴っていたのは、部屋が霊道となって霊が通っていたからだと伝えたら、彼女はとても怖がるのではないか。

 

重い気分を抱えながら身支度をして、ホテルへと向かった。

 

結局、私は体験したこと全てを彼女に話し、「部屋を変えてもらう方が良い」と伝えた。

 

私の想像と違って、彼女は、あっけらかんとしていた。

 

インターフォン、よく鳴っていたけど、故障でも風のせいでもなかったんだ。霊が見えない体質で良かったー!!」と。

 

そして後日、彼女は部屋を変わった。

 

しばらくして、他の女性従業員も新しくできた寮へと引っ越しをした。

 

あの日以降、私はアパートを訪れていないが、現在も、まだ建っているようだ。

 

今日もまた霊道が開いているかもしれない、インターフォンの音とともに。

 

 

 

 

沖縄そばが好きで、よく食べに行ったし、冷蔵庫にも買い置きをしていた。

 

特にプルプルした軟骨のソーキよりも、皮・赤身・脂身のある三枚肉の方が、好き。

 

 食べ始めは、コクのあるカツオだしを味わって、途中から唐辛子を泡盛に付け込んだコーレーグースを入れて、味に変化をつけるのも良い。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁から出てくる

あるホテル従業員の寮。

 

その建物は沖縄本島の中部、58号線沿いにあり、綺麗な青い海が見える所にある。

 

「コの字」のようなデザインの白い2階建てアパート。

 

入口を入ると右側と左側に部屋が並び、建物の中央には、さびた鉄の階段がある。

 

階段近くの1階と2階には、洗濯機があった。

 

やはりここでも外に置かれていて、未使用時はフタを開けたままにしており、潮風によって一部がさび、ホコリも虫も、何もかも入る状態となっていた。

 

沖縄の洗濯機事情にウンザリしながらも、スーツケースを持ち上げ、2階へ。

 

この寮では、他にも気がかりがあった。

 

それは、白いワンピースを着た若い女性の霊が部屋に入って来たり、洗濯機の横でうずくまっている姿などが、よく目撃されていることだった。

 

その為、霊を祓う「しめ縄」があちこちに張られていた時期もあったようだが、全然効果がなかったらしい。

 

それに加えて、1階に住んでいた若い男性従業員が、自殺をしたことでも知られている寮だった。

 

私の新しい住まいは2階の角部屋で、廊下の突き当たりに立つと海が見えた。

 

6畳ほどの部屋と小さなキッチン、ユニットバスがついていて、狭いベランダからは海がまったく見えず、鬱蒼(うっそう)と草木が茂る空き地の景色。

 

自然に囲まれた寮で、アリ・クモ・ゴキブリ・ヤモリなどが室内・室外とも多く、ベランダも干せる状態ではなかった。

 

引っ越しをして3日後には、小さなアリの大群が部屋の床一面や棚の上を歩いている状態で、足の踏み場も無く、掃除機で吸うわけにもいかず、コロコロの粘着テープで駆除するという、ゾッとするような作業に数日間を要した。

 

潮風によってキッチンの換気扇は動きが鈍く、茶色いサビがポロポロと落ちてくる状態で、ガスコンロは全然使えなかった。

 

だから、アリの大群が食べ物目当てで入ってきたのではなく、ベランダから玄関へと川の流れように移動するのを見た時、定期的に通り道として、部屋に上がって来ているのではないのか、と落ち着かない気持ちになった。

 

1か月ほど経った、ある休日。

 

毎日の仕事と虫との格闘に疲れ、なかなか朝起きられず、外の物音で目覚めては、またウトウトと眠りに落ちることを繰り返していた。

 

すると急に金縛りになり、左耳の耳鳴りが始まった。

 

ごぉぉぉぉぉぉぉぉ!!

 

ベッドで仰向けだった身体は指一本動かせず、まぶたを開けることもできない。

 

久しぶりに感じる強力な金縛り。

 

しかし「目では見えない世界」を見る方では、部屋全体が見えていた。

 

そして、私の頭側には、部屋とユニットバスの仕切りとなっている白い壁があった。

 

その壁から白いワンピースを着た若い女性が、はうようにして出てくる。

 

私の身体の数10センチ上を、壁から少しずつ抜けて、女の身体が私の腰あたりまで出てきた。

 

真っ黒な長い髪の毛は、いくつもの束の塊のようになり、私の身体を覆っていく。

 

私のお腹の位置まで前進をしていた彼女が動きを止め、私の身体に両手をつき、ゆっくりと私の顔を見上げた。

 

もし霊体験が初めてだったら、このホラー映画のようなシチュエーションに、泣いて叫んでいたかもしれない。

 

しかし、幼少期から数々の霊体験をしている私にとって、すでに感覚が麻痺しているのか、壁から出てこようが、天井から出てこようが、どうってことはなかった。

 

霊も、元は人間なのだ。

 

いつの頃からか、私は霊体験に遭っても怖さを感じなくなっていて、かえって冷静に行動できるようになっていた。

 

ねぇ、なんで怒ってるの?

何かしてほしいことある?

 

金縛りで声が出せない為、私は彼女に心の中で呼びかけた。

 

うぅぅぅぅぅ。

 

うめく彼女。

 

この数日前に、1階に住んでいる同じ部署の従業員から「部屋に女性の霊が入って来た」という話を聞いたばかりだった。

 

よく彼女を観察してみると、白いワンピースではなく、ネグリジェを着ているようだ。

 

年齢は高校生くらいに見え、とても細く華奢な子だった。

 

格好からしても、琉球王国時代の女性ではなく、今時の若者のようだ。

 

そして彼女から伝わってくる感情は、寂しさや悔しさ、それと心の痛み。

 

断片的な映像が、現れ始めた。

 

学校でのいじめにより不登校となり、拒食症や精神病になっていくような映像。

 

孤独で精神的にも追い詰められた彼女は、自殺をしたようだ。

 

死んでも、生きている時と同じ感情を手放さず、さまよう霊となった彼女。

 

この寮には、20代から40代のホテル従業員が住んでいて、夜に集まって宴会をしていることが多かった。

 

彼女には、とても楽しそうな光景に見えていたのではないだろうか。

 

それ故に、彼女の寂しさや孤独感は増しただろうし、自分をこんな目にあわせた人に対する怒りや悔しさも、強いものへとなっていったのだろう。

 

あなたのことを教えてくれて、体感させてくれて、ありがとう。

 

私は心の中で、彼女に伝えた。

 

そして、今世での執着を手放して、死後の世界へと旅立つように促した。

 

しばらくの間、彼女はうなり声をあげ、葛藤しているようだった。

 

やがて、一気に金縛りが解けて、彼女の姿も消えた。

 

どのくらいの時間、金縛りになっていたのかは不明だが、身体が鉛のように重かった。

 

だが、彼女が消える間際、ふっと気持ちが軽くなった様子が伝わってきたことで、安堵感に包まれた。

 

それ以降、彼女を見かけることは、一度も無かった。

 

 

 

 長年、愛用している「貼るだけのエアコンカビ防止」アイテム。

 

沖縄も湿度が高く、カビが出やすい。

 

微生物がカビを食べ、繁殖を抑えてくれる。

 

これを使ってから、エアコンの臭いが全然ない。

 

夏でも冬でも、エアコンの使用頻度が高いから、私にとって手放せない物となっている。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひな人形と桃色の風

節分が過ぎると、「桃の節句」や「ひな祭り」の文字を街中で見かけるようになる。

 

その時に、ふと思い出す、私のひな人形。

 

子供の頃、毎年2月になると母が飾ってくれていた。

 

お内裏様とお雛さま、老人の左大臣と若い右大臣、三人官女、笛や太鼓を持つ五人囃子が段飾りの定位置に並べられ、桜や橘の花があり、ひなあられやちらし寿司なども供えて、とても華やかだった。

 

どの人形も綺麗な顔をしていて、細部にまでこだわった着物や小物を着けていた。

 

しかし、私は人形が苦手だ。

 

幼少期から霊を目撃することが多く、寝ている時も呼ばれて起こされていた私にとって、ひな人形を飾っている期間は、更に怖さが増す日々だった。

 

私が年齢を重ねるにつれて、次第に、お内裏様とお雛様だけを飾るという簡素なものへと変わっていった。

 

だが、それも高校生くらいまでで、その後は一切、飾ることもなく、冷たく人気のない物置に段ボールに入れたままの状態で放置してしまっていた。

 

20年後。

 

私は37歳となり、実家に戻ってきていた。

 

そして長年、物置に放置していた「ひな人形」を思い出し、もう今後も飾ることがないであろうそれらを神社に奉納することに決めた。

 

手放す前に、もう一度、飾ってあげようということになった。

 

段飾りでは場所を取る為、1階の和室に母がテーブルを置き、その上に白いさらしを敷いてくれた。

 

そのテーブルに、すべてのひな人形を並べ、ひなあられなどのお菓子、ちらし寿司、お酒やお水を供えた。

 

久しぶりに見るひな人形は、どこも色あせることなく、昔と変わらず綺麗なままで、子供の頃に感じた怖さもなかった。

 

それどころか、何故か急にひな人形を作った人の想い、私の為に購入してくれた人の愛情などが伝わってきて、心に灯りがともった。

 

ひな人形を飾って数日後。

 

夜10時頃、2階の洗面所から廊下に出ると、なんだか辺りの様子が違うような気がした。

 

それと、笛の音!?

 

動きを止めて、耳を澄ます。

 

やはり、かすかに笛の音のようなものが聴こえ、それは誰もいない1階からしているようだった。

 

いつものように薄暗い階段を下りていく。

 

階段の途中でガラっと空気が変わり、どこからか風が吹いてくる。

 

それは暖かく、春を感じさせるような淡い桃色の風で、桜の花びらも混じっていた。

 

そして、目の前に映像が現れた。

 

青空が広がる桜吹雪の中、芝生の上で、ひな人形が宴(うたげ)をしているものだった。

 

左大臣や右大臣が仕切り、五人囃子が奏でる音に合わせて踊りを舞ったりするのを、お内裏様とお雛様がお酒を飲んだりして眺めている。

 

その宴会での楽しげな音楽や踊りが空気を動かし、温かな淡い桃色の風となり、家の中を吹き抜けていく。

 

その風にあたると心が満たされるような感覚となり、自分の持つ気(オーラ)が輝いた。

 

映像を見ながら1階まで下り、和室の襖を開け、電気をつけた。

 

私の眼球では、昼間と同じ位置に置かれたひな人形が見えた。

 

全然、動いていない。

 

しかし、私の「目では見えない世界」を見る方では、和室全体に映像が広がっていて、ひな人形が動いていた。

 

そこで初めて、ひな人形を飾る理由が、わかった気がした。

 

家族が女子の健やかな成長を祈ることで、その想いがひな人形に届く。

 

だが、ひな人形は、お内裏様とお雛様だけを飾るだけでは意味がないのだ。

 

左大臣や右大臣、五人囃子や三人官女なども飾り、宴会をしてもらうことで桃色の風が家中に吹き、それによって女の子を大人の女性へと少しずつ成長させるのではないだろうか。

 

気(オーラ)を変化させ、色をつけ、大人の女性となるのを促す桃色の風。

 

子供の頃から不思議だった。

 

何故、ひな人形に食べ物や飲み物をお供えするのか。

 

日本には様々な人形があるが、お供えをするのは、ひな人形だけだ。

 

ひな人形の始まりは平安時代と古く、祓いの行事で使われていたらしいが、いつの時代からか段飾りに綺麗に並べられ、ちらし寿司やひなあられなどお供えするようになっている。

 

それは、何故なのか。

 

現代では、すぐに人と連絡が取れたり、会うことができたりと便利な世の中だし、医療の技術も向上して長生きが可能となっているが、昔は短命だし、人との連絡にも時間がかかる。

 

だからこそ、昔の人は思いを馳せたり、ひな人形にお供えをして祈りを込めたり、目では見えない世界があることも意識をして暮らしていたのではないだろうか。

 

現代では、目で見える世界だけで暮らしている人が多く、ひな人形の本来の意味を知らないまま飾っているのだ。

 

お内裏様とお雛様だけを飾っても意味がないのに。

 

五月人形も、ひな人形と同じで、男児を大人の男性へと成長を促す物なのだと思う。

 

子供の頃は、ただただ怖く、ひな人形の役割に気づくこともできなかったが、20年の時を経て、ひな人形に関わった人達の想いや宴会の映像が見られて良かった。

 

毎年、ひな人形をきっちり飾っていなかったから、私は周りから「女らしさや色気がない」とか「おっさんか」と言われるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想と龍

寝る前に必ず、瞑想をする。

 

それは5分と短い時もあれば、30分ほどの時もある。

 

それをすることで心が落ち着き、時間に追われていた一日の疲れがリセットされた気になり、よく眠れる。

 

瞑想中、自分の呼吸にだけ意識をしていると少しずつ雑念が取り払われ、感覚が研ぎ澄まされていく。

 

そんな状態になった時、頭の中に突然映像が入ってきたり、声や音が聴こえたりすることがある。

 

初めて体験したのは、7年前。

 

黒い雲が広がっていて、次々と稲妻の光が走り、大きな雷と大雨の音。

 

しばらくすると雲の間を縫うように翔る龍が現れる。

 

やがて、その真っ赤な龍が天空から私の方に向かって下りてくる。

 

黄色い眼、たて髪やヒゲ・ウロコが、金色に輝いているのを確認できるくらいにまで近づいてくる。

 

そこで瞑想が途切れて、映像が消える。

 

ある時は、真っ白な雪に覆われた富士山。

 

朝焼けのようにピンク色の空が富士山の頂上をサクラ色に染め、周りは雲海に囲まれている。

 

山頂の左側には、白龍が縦横無尽に舞っている映像。

 

また別の日。

 

呼吸に集中して瞑想をしていると、誰かに呼ばれている気がした。

 

目を開けて、耳を澄ましてみる。

 

やはり、どこかで声がするが、部屋には私だけしかいない。

 

数分後、突然、目の前に映像が出てきて、あっという間に私も映像の中に取り込まれたような状態となった。

 

そこは水墨画のような色彩の世界で、目の前には瓦屋根の小さなお堂があった。

 

一体ここは、どこ?

 

驚きと戸惑いで身動きができない私。

 

すると雲の間から月が出てきて、辺りを明るく照らし始めた。

 

そして、月と同時に現れた黒龍

 

空を翔る姿は力強く荒々しさがあり、月明かりに照らされる身体は黒く輝き、神秘的な美しさがあった。

 

どれくらいの時間、ボーッと黒龍の姿に見入っていたかわからないが、また声が聴こえ始めて我に返った。

 

すると、お堂の中に入ったわけでもないのに、中の様子が見えてくる。

 

両手に収まるくらいの小さな観音様が、たくさん祀られている。

 

そして、私の頭の中に声が直接入ってきた。

 

私を包み込んでくれるような温かさと歓迎とが伝わってきて、次に黒龍はお堂の守りと神々の使いをしていることを教わった。

 

気づくと映像は消えていたが、身体には余韻が残っていた。

 

同じように瞑想をしていても、日によって調子が違う。

 

「無の境地」とでもいうか、あるゾーンのようなものに綺麗に入れた日だけ、映像が出てくる。

 

この話を周りにすると、「妄想や想像なのでは?」と言う人がたまにいる。

 

もし私の妄想や想像なら自分で自覚もあるだろうし、今まで自分が経験した範囲内でのことしか思い描くことができないだろう。

 

それに妄想や想像では、鮮明な映像が出てこない。

 

しかし現れる映像は、どれも色合いが繊細で、私が見たこともない建物や風景が出てきたりするし、音や匂いなどの感覚も鮮明に残る。

 

瞑想中だから意識もあり、起きている状態なので夢でもない。

 

実際に瞑想をして体感をしてもらうのが一番わかりやすい方法だと思うのだが、私の家族や友達に瞑想を試みてもらうと、全員の言うことが同じになる。

 

「雑念ばかりが出てきて、集中できない」

 

「気づいたら寝てた」

 

そんな訳で、誰も瞑想が長続きしない。

 

だけど私は、今日も瞑想をする。

 

心身のバランスを整える為に。

 

不思議な映像と体感の為に。

 

そして、龍を見る為に。

 

 

 

素焼きの石に数滴、アロマオイルをしてから瞑想する。

 

ティーツリーやミント(ハッカ油)など、爽やかなグリーン系の香を使っている。

 

匂いに癒されて、瞑想がしやすく感じる。

 

またハッカ油は、虫よけの効果もあるから、特に使う頻度が高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

霊と虫の大群と

沖縄での初めての住まいは、ホテルが所有していた一軒家で、女性のホテルスタッフ7人との共同生活。

 

丘の中腹に建ち、立派な門があり、広い庭と南国の木々に囲まれていた。

 

その為、家の中にはヤモリがたくさん入り込み、時には干からびた死骸を発見することもあった。

 

私が使っていた1階の和室は虫が多く、壁や畳の上を大小さまざまなアリやクモがいつも歩いていた。

 

台風の時期には巣が壊されるのか、アリの大群が家に入り込み、リビングの壁一面を黒々と染めていることが多く、私達を驚かせた。

 

また台風の過ぎ去ったある朝、ブーンブンブンと何かの音で目が覚めた。

 

音の出所を探すと網戸にびっしりスズメバチ

 

他のルームメイトの部屋でも同じように、スズメバチの大群が窓ガラスに当たり続けていたり、網戸に押し寄せたりしていた。

 

どの部屋の網戸も破れていなかったおかげで、家の中にスズメバチが入ってくることもなく、また玄関だけは何故だか一匹もいない状態で誰も刺されることもなく、駆除してくれる業者を呼んだり、仕事へも行くことができた。

 

沖縄では台風も虫も多いのに、洗濯機を家の中ではなく、外に設置している所が多い。

 

その為、洗濯する時は「虫の入っている水で服を洗うかもしれない」という覚悟が必要だった。

 

ルームメイトの一人は、洗濯の脱水後に服を取り出してみると、足のもげた大きなジョロウグモの死骸が出てきたことがあった。

 

毎日、たくさんの綺麗なチョウやトンボが飛んでいたり、クワガタなどの昆虫を見かけると心躍ったが、アリ・クモ・ゴキブリ・スズメバチヤスデ・ヤモリ・・・挙げだしたらきりがないくらい家に現れる虫の大群には悩まされ、ホテルの仕事で疲れている私を更に疲弊させた。

 

そして、もう一つ私を悩ませたのが霊の多さだった。

 

第二次世界大戦時、沖縄では20万人を超える死者が出ている。

 

それに加えて、戦争以外で亡くなった霊も数多くいる。

 

だから時間帯に関係なく、あちこちで霊と会う状態だった。

 

家の近所でも、ごみ置き場を徘徊する老人の男性霊を何度も見かけたり、和室で寝ていると毎晩のように金縛りの中、戦時中に亡くなった人達の訪問を受けた。

 

ほとんど眠れないまま、ホテルに行き仕事をする。

 

フロントでの仕事は残業も多く大変ではあったが、同世代の人が多く、頻繁にあった昼から明け方にかけてのビーチバーべキューでは、仕事を終えたホテルスタッフが入れ替わり立ち代わり参加をした。

 

出身地も部署も違う人達との交流は、とても楽しいものだった。

 

しかし、ルームメイト達が参加をして帰ってくると、必ず霊を連れて帰ってきた。

 

ある日、私とルームメイトのSちゃんが、バーベキューを終えて帰宅をした。

 

しばらくして、それぞれの布団に入るとすぐに足音がした。

 

パタパタパタパタ。

 

Sちゃんの布団の方からしていた足音は、部屋を出て行った。

 

そんな足音に気がついたSちゃんが私に「何か忘れ物?電気つけようか?」と言った。

 

「私じゃないよ、今の足音。小学生くらいの防空頭巾をかぶった女の子の霊だよ」

 

Sちゃんは、とても驚き怖がった。

 

だが夜のバーベキューの時に海で泳ぎ、それにより女の子を連れて帰ってきたのは、Sちゃん自身だった。

 

私は彼女に言った。

 

「沖縄では夜の海には入らない方がいいよ。霊の数も多くなったり霊力も増すだろうし、足を引っ張られたり、ケガや体調不良になったりする可能性もあるよ」

 

沖縄で生まれ育った人は「海は泳ぐものではなく、眺めるものだ」と言い、泳がない。

 

それに、泳げない人もたくさんいる。

 

海で泳いでいるのは、沖縄県以外からの移住者か観光客が大半だ。

 

幸いSちゃんの身体には何事もなく、防空頭巾の少女も彼女からすんなり離れ、家を出ていったから良かった。

 

戦争を知らず都会で生まれ育った私にとって、最初の沖縄移住は霊を通して戦争を肌で感じたり、虫の大群によって奮闘し鍛えられたような気がする。

 

たくさんの霊と虫とでホッとする場所がなく、毎日が寝不足の状態で、仕事も忙しく大変だった。

 

でも、人間関係の良さに救われた。

 

だからこそ、長期滞在ができたのだと思う。

 

沖縄でも、一生つき合える友達が数多く持てたことは、大きな喜びである。

 

 

 

普段、めったにアイスクリームを食べないが、沖縄ではよく食べたブルーシール

 

さとうきび」や「塩ちんすこう」、「紅イモ」などの沖縄ならではの味も楽しめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【前世の記憶】琉球王国のノロ

沖縄本島への移住を1か月後に控えたある日、夢を見た。

 

自分の前世の夢を見る時、いつも懐かしい気持ちになるのとナゼか悲しくもないのに泣けてくる。

 

その夢は、暗い夜の海から始まる。

 

松明の明かりが、数隻の小さな木造船を照らしている。

 

船には白い着物を着て、長い髪の毛を後ろに束ねて白いハチマキをした10代の女性が2列になって15人ほど牛ぎゅう詰めで乗っている。

 

彼女達の一番後ろに座っているのが前世の私。

 

前世の自分を見た瞬間、情報が蘇ってくる。

 

当時の私は琉球王国「ノロ」琉球神道の女性の神官・巫)であり、木造船に乗っている10代の女性達を率いるリーダー。

 

たしか全部で3つか4つのグループがあり、すべてに「〇〇の福久」という呼び名がついていて、私のグループは「海の福久(うみのふく)」と呼ばれていた。

 

私は30代くらいの年齢で同じように白い着物を着て、長い黒髪を後ろに束ね、胸元には水晶からできているような5つの勾玉がついた長めのネックレスをしている。

 

どこかの海岸に数隻の木造船が着くと50人ほどの女性達が一斉に船から降りて、松明やロウソクを片手に列を成して木々の中を入っていく。

 

足元は石でできた道のようになっていて、歩くほどに木々は険しく、大きな岩がいくつも現れる。

 

そして目的の岩場までくると女性達は整列して正座をし、朝日が出てくるまで祈り続けた。

 

この夢を数回見た。

 

いつも夜の暗い海から始まって内容が同じだが、天候だけが違っていた。

 

晴れている日もあれば雨の中を歩いているものもあったから、前世では何度も儀式の為にそこを訪れていたのだろう。

 

だが、どこの場所かまではわからなかった。

 

実際に沖縄で滞在をするまでは。

 

 

 私が移住後、しばらくしてから友達が「斎場御嶽(せいふぁーうたき)に行きたい」と言った。

 

初めて聞く言葉で、どういう所なのか全然わからなかった。

 

しかし行ってみると、そこは夢で何度も見た場所だった。

 

斎場御嶽(せいふぁーうたき)は、琉球王国の時代に国家的な祭事をする男子禁制の聖地。

 

国王の姉妹や王女は「聞得大君(きこえおおきみ)」として任命され、たくさんいるノロの頂点に立つ神女として斎場御嶽(せいふぁーうたき)で祭事を行い、神の声を聴き、それを国王に伝えて国を守ったとされている。

 

実際に斎場御嶽(せいふぁーうたき)に立つと空気が澄んでいて、周りの木々や岩からの光のエネルギーを肌で感じることができ、当時の祈りが聴こえてくるような懐かしさがあった。

 

別の日。

 

私の前世の記憶に興味を持ったホテルスタッフが、「系図屋」を紹介してくれた。

 

現在も琉球王国の国王の血をひく一族や仕えた士族の子孫が暮らす沖縄では、戦争などで家系図や資料が燃えたりして自身のルーツが不明なことも多いらしい。

 

その家系図を文献や資料などを基に調べ完成させていく職業が「系図屋」だ。

 

60代の男性は、琉球王国時代の城跡、国王や士族のお墓などに連れて行ってくれた。

 

そうすることで新たに蘇る記憶もあるだろうからと。

 

そして男性の思惑通り、各地で私は少しずつ当時を思い出していった。

 

首里城の内部、広場になっているような所にノロである女性がたくさん集まっている記憶。

 

そして当時の私は首里城の中に自分専用の部屋を持っていて、ツヤのある濃い茶色の板の間に座り、向かいにいる10代の女性4人に神事の指示を出している記憶。

 

お墓に行くと国王や后・士族の親子の霊が姿を現し、私は「系図屋」の男性に彼らの外見や着物・冠やかんざしに至るまで伝えた。

 

仕事の資料として役に立つはずだから。

 

二度に及ぶ沖縄生活は、私の前世をたどる為でもあったようだ。

 

余談になるが、私は昔から「琉球王国」という単語に惹かれることが多く、琉球言葉やや民謡を聴くと魂が揺さぶられるような不思議な感覚になる。

 

そして父からは何度も「おまえは、沖縄へ新婚旅行に行った時に授かった子供だ。だから沖縄と縁が深い」とも言われていた。

 

また琉球王朝を舞台とした「テンペスト」が話題になった時、観に行く予定をしていた叔母が当日に体調を崩し、急遽、私が行くこととなった。

 

今思えば、これらのことも前世の記憶を蘇らせる為の要因だったのだろう。

 

今世の私は沖縄生活でも「目では見えない世界」と向き合い、日々、格闘のような状態だったが、「ノロ」をしていた前世でも神や精霊の声を聴き生活をしていたことを思うと妙に納得してしまうところがある。

 

「やっぱり私の人生は、スピリチュアルを探求していくようになっているんだな」と。

 

 

琉球王国の宮廷料理の一つに「ジーマーミ豆腐」がある。

 

落花生の豆(ピーナッツ)をすりつぶして、サツマイモのデンプンと合わせ作られている。

 

 モチモチの食感がクセとなり、タレの甘辛さが病みつきになる。

 

何個でも食べられる美味しさだ。

 

黒ゴマや黒糖のジーマーミ豆腐もある。