霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【前世の記憶】バレエダンサー

久しぶりに、夢を見た。

 

20代の頃からよく見ていた夢で、いつも内容は同じだ。

 

夢の中の私は日本人で、10代後半と若く、ヨーロッパにあるバレエ学校を訪問するところから始まる。

 

学校は細かな模様が壁一面に施された石造りの外観で、階段を3段上がると広い玄関ホールに入る。

 

中はひんやりとしていて天井が高く、奥に進むと部屋が並んでおり、一部ガラスをはめ込んだドアから中を覗くと、様々な国から留学に来ているバレエダンサー達が柔軟をしていたり、音楽に合わせて踊っている。

 

私に気づいた白人男性が、部屋の奥から歩いてやって来た。

 

長身で細身だが、バレエダンサー特有の筋肉と姿勢の良さがあり、肩まで伸びたゆるやかなウェーブのかかった金髪は、彼の雰囲気によく似合っていた。

 

気さくな彼の案内で、各部屋を見てまわった。

 

そして、一人の男性を紹介された。

 

身体にピッタリと合った黒色のシャツとタイツ姿で、小柄な日本人だった。

 

その男性と握手をした瞬間、彼の手のぬくもりと懐かしさが蘇り、ハッと目が覚めた。

 

あの男性を知っている。

 

だが考えれば考えるほど、思い出せない。

 

しかし彼の手のぬくもりを思い出すたびに、気持ちは温かくなり、懐かしさが込み上げてくる。

 

気づくと、私は泣いていた。

 

彼に出会えた喜びで、心が震え、涙がとまらない。

 

頭の中ではずっと、彼は誰なのかを考えているのに。

 

頭と心が、正反対の状況が続く。

 

何度同じ夢を見ても結果は同じで、今も彼が誰なのかわからない。

 

それなのに、心ではまた会いたいと思っている。

 

それほど昔ではない時代、前世の私はバレエダンサーとして活躍をしていたようだ。

 

その魂の記憶もあってか、今世の私はミュージカルや歌舞伎などの舞台を観に行くことが好きだ。

 

ストーリーよりも役者の演技力や舞台・ドラマ・映画の演出の方が気になって、じっくりと観てしまう。

 

そういえば幼少期の私は、人と目を合わせながら話をすることが苦手だった。

 

人の目が怖く、人数が増えるとどうしていいかわからず、居心地が悪くなる。

 

前世でバレエダンサーをしていた夢を見出したことで、大勢の人に観られる喜びを得た一方で、何かのきっかけで、たくさんの人の目が急に怖くなったという記憶も蘇った。

 

年齢を重ねるにつれ少しずつ克服はできているが、今でも時々、ずっと目を合わせて話ができなかったりする。

 

また大勢の人の拍手を聴くと、懐かしさで泣けてくるがある。

 

これも、このバレエダンサーの前世と繋がりがあることなのだと思う。

 

夢の中に何度も現れる前世の彼とは、まだ今世では出会っていない。

 

人は魂は同じままで、何度も身体という器を変えて生まれ変わる。

 

だが、姿や性別が変わったとしても、瞳だけは変わらない。

 

だから、気づくはずだ。

 

もし彼が私と同じ時代に生まれ、近くにいるのならば。

 

 30代の頃に、「前世退行催眠」を受けた経験を持つ女性と出会ったことがある。

 

彼女は、それによって自身の前世をいくつか思い出し、前世で関わりの強かった3人と今世に再会を果たしていた。

 

霊体験などを一切したことがない彼女だったが、目では見えない世界があることを信じ、スピリチュアルに興味があり、自分の生まれてきた意味を知る為に本をよく読んでいた。

 

そんな彼女が言うには、前世の知り合い3人とそれぞれ出会った時、一目見てわかったそうだ。

 

相手の雰囲気で直感したそうだが、会話をするようになり、時間をかけてコミュニケーションをとっていくと前世と同じしぐさをしたり、嗜好が同じだったりして、間違いなく知り合いだ、と確信したようだ。

 

私の場合も前世での家族や知り合いが、今世でも家族や同級生だったりする。

 

どの人にとっても、出会いに偶然はなく必然で、前世からの知り合いとの再会もある。

 

人間関係は、奥深く興味深いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるゴルフ場と道路の話

青空と穏やかな海を見ながら、車でゴルフ場へと向かっていた。

 

この4か月ほど前、職場のホテルへと向かっている途中で、後ろから追突された。

 

赤信号で減速をしているところに、勢いよく後方から車がぶつかってきて、首と腰とにムチ打ち、そして全身打撲となった。

 

免許を取ったばかりの大学生が徹夜で遊び、居眠り運転をしていたからだった。

 

私は休職を余儀なくされ、ムチ打ちと全身打撲の症状を緩和させる治療を受けに、毎日、クリニックへと通った。

 

身体は少しずつ回復したものの、残業の多いフロントでの立ち仕事はできない状態となった。

 

その為、ホテルが所有するゴルフ場の予約課へ異動となった。

 

沖縄の海側にあるホテルと違って、ゴルフ場は内陸部の高台にあった。

 

上司への挨拶と制服合わせ、館内案内をしてもらいに、初めてゴルフ場を訪れた。

 

手入れの行き届いたグリーンが広がり、青空によく映えていて、とても綺麗だった。

 

遠くには、海も見えた。

 

ゴルフ場にはホテルが隣接しており、レストランや室内からの眺めも最高だった。

 

帰り際に、予約課の上司が言った。

 

「明日から出勤する時、必ず従業員専用の駐車場を使ってください」

 

従業員とゲスト(お客様)専用の駐車場とでは、道路が分かれているとのことだった。

 

58号線の通りから従業員駐車場までの道順を、明るい昼間のうちに確認しておくことにした。

 

駐車場の入口を見落とさないように、慎重に運転する。

 

だんだんと車1台が通れる幅しかない細い道路へと変わっていき、景色は畑や住宅が多くなってきた。

 

駐車場らしき場所が、全然見あたらない。

 

坂道を上り、どんどん奥へと進んで行くと、両側には木々やサトウキビ畑などが見えてくるようになった。

 

そして、別会社の敷地を示す看板が立っていた。

 

一体、駐車場はどこだったのか?

 

車を止めて、あたりを見渡した。

 

すると車の前方、背の高いサトウキビ畑の中から、わらわらと老若男女が出てきた。

 

50人以上、いるようだ。

 

その中の男性が、「駐車場は、この道を100メートルほど下った所にある」と教えてくれた。

 

私は、心の中でお礼を言った。

 

言葉にしなくても彼らには、ちゃんと私の思いが伝わった。

 

それは、全員が霊だからだ。

 

戦争で亡くなった人達のようだった。

 

道を教えてくれるなんて、親切な霊だ。

 

時々、こういった情報をくれる親切な霊と出会うことがある。

 

しかし、彼らに私が見えて聞こえる体質だとバレてしまっては、明日からこの道は使用できない。

 

なぜなら、彼らは私を見つけると、自分達の想いを聞いてほしいと毎回出てくるにちがいないからだ。

 

そういった経験を、過去に何度か体験していた。

 

出勤前に大人数で車を取り囲まれたりでもしたら、車の故障・遅刻・体調不良などになりかねない。

 

そんな事態を防ぐ為、従業員の駐車場は発見できたものの、ゲスト専用の道路と駐車場を使わせてもらえないかと伝える為に、再び上司の所へ向かった。

 

「あなたも見える人ですか~」

 

再び現れた私に、上司は言った。

 

このゴルフ場とホテルでは、従業員もゲストも霊の目撃が多いとのことだった。

 

従業員の中には体調不良となり、異動3日目で辞めた者もいると言う。

 

ゴルフ場では赤いワンピースを着た女性霊が目撃されたり、あるホールでは、キャディーが必ずお辞儀をしてから入らないとケガをする、という話まで聞いた。

 

今まで働いていたリゾートホテルでも霊が多かったが、車の追突事故よって、更に霊の多い場所へと配属となったのだった。

 

霊たちに呼ばれたか!?

 

ふと、そんなことを思った。

 

翌日からゲスト専用駐車場に車を止めて、出勤をした。

 

朝のゴルフ場は爽やかな海風が吹き、グリーンが鮮やかで、とても綺麗だった。

 

だが、館内の従業員専用通路や仕事場は、いつも薄暗さがあり、湿気ている場所も多く、窓から日が射していても寒気がした。

 

いかにも霊が好みそうな環境だった。

 

更衣室に現れる若い女性霊、倉庫の荷物の間にうずくまる少女霊など、あちこちで霊を見かけた。

 

話しかけてくる霊はいなかったが、どこにいても、四六時中、誰かに見られている感覚があった。

 

そんな環境の中、予約課と繁忙期にはフロントで数時間だけ働いた。

 

ゴルフ場では、大半の従業員が早朝からの出勤だったが、私は11時出勤の遅番として入ることが多く、とても働きやすかった。

 

いつも帰る頃には、すっかり辺りが暗くなっていた。

 

ある日の帰り、ホテル敷地内の道路を出て、街灯がほとんどない細い道を走り、58号線へと向かっていた。

 

直線道路となり、他の車もいなかった為、少しスピードを上げて運転をしていた。

 

すると突然、ヘッドライトに膝から下の足が4本、浮かび上がった。

 

「うわっ!!ごめん、ひきま~す!!」

 

車は、急に止まれない。

 

私はスピードを落とすことなく彼らをひいたが、何も衝撃はない。

 

彼らには、肉体がなかったからだ。

 

4本の裸足が見えた時、すけていたから霊だと判断をして、車でひく決断をした。

 

車が彼らに近づくにつれて、全体像が浮かび上がった。

 

どちらも20歳前後の若い男性霊で、少し丈の短い浴衣のようなものを着ていて、道路の真ん中で話をしているようだった。

 

ひいた後、後ろを見ると、暗闇の中に並んで立つ彼らの姿があった。

 

車の中に入ってこなくて良かった、という安堵と同時に、急に道路の真ん中に現れるなよ、という思いになった。

 

沖縄には電車がないから、車での移動となる。

 

暑い陽射しの中、歩行者や自転車に乗る人は少ないから、車の運転はしやすい。

 

しかし、私にとっては注意散漫になりやすく、運転は好きだが疲れやすかった。

 

自然とお墓の多い、沖縄の道路。

 

ヘビやマングースなどが飛び出してくることもあれば、霊も出てくる。

 

お盆の時期、沖縄市のある交差点で信号待ちをすると、必ず、霊たちが車内に入って来た。

 

そして、運転席にいる私にすがってくるのだ。

 

後ろから首をひっぱる霊、両横から身体によじ登ってくる霊、足元にうずくまる霊など。

 

毎回、息苦しくなり、咳き込み、運転に集中ができなくなる。

 

「今、運転中。あとにして!」

 

何度か注意するが、霊たちは聞かず、増えるばかり。

 

そして、しばらく走行していくうちに離れていく。

 

ある時は万座毛の近くの道路で、琉球王国時代の霊を何度か見たことがあった。

 

着物を着て、馬にまたがる士族の男性霊だった。

 

現代人よりも、かなり背が低く、馬も小さかった。

 

私が車で並走をしても、彼はまっすぐに前を向き、どこかを目指しているようだった。

 

沖縄は、目で見える景色の綺麗さと、目では見えない世界からの驚きと発見に満ちている魅力的な島だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訪問者

沖縄市登川のアパート、その部屋は訪問者が多かった。

 

昼寝をしていると、ベランダから10人ほどの高齢者が入ってくることがあった。

 

ガラス戸を通り抜けて、私を囲むように、並んで見下ろしてくる。

 

全員が、戦死をした霊だ。

 

手に家族写真や思い出のある品などを持っている霊もいて、戦争によって普通の生活が過ごせなかった怒り、家族と離れ離れになった悲しさなどを訴えに来る。

 

いつも私は彼らが話し終えるまで、ただ聴いていた。

 

誰かに聴いてもらうことで、少しは心が軽くなるのだろう。

 

そして、彼らは消えていった。

 

別の日。

 

夕方にアパートに戻り、部屋のドアを開けた瞬間、お線香のにおいで驚いた。

 

玄関を上がると、更ににおいが強くなってくる。

 

それに加えて、誰かがいる気配がした。

 

ゆっくりと廊下を進み、1LDKの部屋を見渡す。

 

部屋には、誰もいない。

 

右後ろに気配を感じて振り返ると、洗面台の前に座っている女性の霊。

 

長い黒髪、顔をひざにつけて座っているから、表情は見えなかった。

 

しかし、じっと見ていると、彼女についての情報が伝わってきた。

 

20歳くらいの女性で、数か月前、事件に巻き込まれて亡くなっていた。

 

彼女の家族が、初盆の為、彼女が成仏することを願って、お線香をずっと焚いているようだった。

 

そのにおいが彼女を通して、私の部屋に充満していた。

 

結局、彼女は3日間、私の洗面台の前に現れたり消えたりを繰り返しながら、自分の想いを少しずつ吐き出していった。

 

また別の日。

 

仕事が休みで、久しぶりに部屋でソファーに座り、ゆっくりテレビを見ていた。

 

すると突然、テレビ台の前を左から右へと走り、ガラス戸をすり抜けて、ベランダへと出ていく者がいた。

 

身長が20センチもないような、小さな男性。

 

サンタクロースのように、赤い服と帽子を身につけていた。

 

以前、数人の芸能人がテレビ番組で、小さなおじさんを目撃した、と話していたことを思い出した。

 

これが、小さなおじさんか!?

 

初めて会った小さな人は、親しみがわいた。

 

数日後、またテレビ台の前を走る、小さなおじさん。

 

私に見られないように、必死で走っている様子だった。

 

「丸見えですけど~」と、小さなおじさんに教えてあげた。

 

すると、姿を消した。

 

その数日後。

 

夜中、目に光を感じた。

 

まぶしいな、と思いながら目を開けると、ベッド近くに置いてあったハンガーラックの上に、二人の小さなおじさんがいた。

 

一人は、顔なじみの細身に細長い顔。

 

もう一人は、丸顔で背の低いおじさん。

 

二人が私の目に向けて、エメラルドグリーン色のレーザー光線をあててくる。

 

「夜中に何してるの?」

 

あまりにもまぶしく、手で光を遮断しようとしたが、手のひらを突き抜けて目に光があたる。

 

目で見える物質世界と違い、彼らも光線も、目では見えない世界に属しているからか、いくら手のひらで遮断をしても無理だった。

 

いたずらっ子のように、楽しそうに光をあててくる小さなおじさん達に、どうすることもできず、すっかり眠気も吹っ飛び、とりあえず目を閉じた状態で横になっていた。

 

しばらくすると飽きたのか、おじさん達は消え、まぶしさから解放された。

 

目に光をあててきた意味は、なんだったのだろう。

 

その日以降、彼らは現れなかった。

 

しかし、代わりに龍や宇宙と繋がるようになった。

 

これは以前に投稿した、【瞑想と龍】や【瞑想と宇宙】を読んでください。

 

今まで、いろいろな場所に住んできたが、この部屋が一番、多岐にわたって不思議な体験をした。

 

霊や小さなおじさん、龍や宇宙とも繋がりやすい空間。

 

部屋の間取りも良く、気の流れが良かったことも、関係していたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狐につままれた!?

しとしとと小雨が降る中、軽自動車を走らせて、アパートへと急いでいた。

 

すでに23時を過ぎている。

 

「目的地は、すぐそこです」

 

スマートフォンのナビ案内が、そう告げた。

 

「はぁ~!? ここ、どこよ?」

 

めったに独り言をいわない私だが、思わず心の声が漏れた。

 

車のライトに照らされていたのは、沖縄葬斎場と書かれた看板だった。

 

時間をさかのぼること、6時間前。

 

知り合ったばかりのホテル従業員と意気投合し、二人で晩ごはんを食べる約束をしていた。

 

夕方17時にアパートのある沖縄市から車で、うるま市の居酒屋へと向かう予定をしていた。

 

沖縄市に移り住んで日が浅く、土地勘がほとんどない状態で、スマートフォンの道路案内を頼りに運転をした。

 

途中、渋滞はあったものの、30分ほどで店に着いた。

 

常連客である彼女は、すでに他の馴染み客と盛り上がっているところだった。

 

彼女を含め、沖縄育ちの人たちは陽気で、よく飲み、よく食べた。

 

私は翌日の早朝からの仕事を考えて、その日は飲めなかったが、沖縄料理を食べまくり、みんなと楽しい時間を過ごした。

 

そして、22時30分には店を出た。

 

周辺は細い道や一通が多く、帰り道をあまり覚えていなかった。

 

その為、スマートフォンのナビ案内に、アパートの住所を入力してから出発をした。

 

この時間帯は渋滞もないから23時までには余裕で到着できるし、睡眠時間もしっかりとれる。

 

そんなことを考えながら、車を走らせていた。

 

また雨が少し降り出してきて、かなり肌寒く感じた。

 

運転をして10分くらいが経った時、急にナビが「ルートを変更します」と言った。

 

えっ?

 

そして、またすぐに「ルートを検索中です」と言う。

 

私は車をいったん止めて、スマートフォンを手に取った。

 

こんなに空いてる道なのに、何故、ルートを変えるのか。

 

最短ルートが、他に見つかったのか!?

 

訳がわからなかったが、とりあえずは目的地がアパ-トになっていることを確認して、再び車を走らせた。

 

するとまた「ルートを変更します」と案内が入る。

 

街灯がほとんど無い暗い道で、道路標識やコンビニなども見当たらない場所。

 

やがて住宅街に入り、どこを走っているのか、だんだんとわからなくなっていった。

 

ナビの地図を見ても、目印になるような店や建物の表示が一つもない。

 

どうすることもできず、ナビの案内に従って運転をした。

 

突然、前方に眩しいほどの灯りが見えてきた。

 

そこは、電照菊(でんしょうぎく)の畑だった。

 

沖縄は、菊の栽培が盛んだ。

 

冬の時期、夜に菊の畑を電気で照らして、開花の調整をしている。

 

いくつもの電照菊の畑の間を走り抜けた。

 

そして、また住宅街を通る。

 

細道や坂道、一通の道をひたすら走った。

 

時計を見ると、すでに23時を過ぎている。

 

「目的地は、すぐそこです」

 

車のライトに照らされていたのは、沖縄葬斎場と書かれた看板。

 

「はぁ~!? ここ、どこよ?」

 

スマートフォンのナビを確認したが、目的地は私のアパートの住所に、ちゃんと設定がされていた。

 

それなのに着いたのは、火葬場。

 

私は念の為、もう一度、アパートの住所を入力して、ナビ設定をやり直した。

 

そして、車を走らせた。

 

ナビが案内する声と、時々、画面に出ている方角を頼りに運転をした。

 

相変わらず、地名の書かれた道路標識やコンビニが見当たらない。

 

街灯がほとんどない暗い道では、他の車も走っていなかった。

 

しばらくして、「目的地に着きました」とナビ案内の声。

 

目の前には、また沖縄葬斎場の看板があった。

 

「まじか! また火葬場!?」

 

スマートフォンの画面の目的地は、やはり私のアパートの住所になっている。

 

火葬場から離れることも意識して、運転もしていたのに・・・。

 

どうなっているのか理解ができないまま、また車を走らせた。

 

ナビは、先ほどとは違う道を案内している。

 

しかし、しばらくすると「ルートを変更します」との案内。

 

私は、それを無視して車を走らせた。

 

「ルートを検索中です」と何度もナビが告げる。

 

そして、「目的地に着きました」。

 

目の前には、また沖縄葬斎場の看板があった。

 

あまりに驚き、頭の中が真っ白になり、思考が停止した。

 

心臓が、これ以上ないほど早く、脈打っている。

 

かなりの距離を走ったし、先ほどとは違った道を通ったはずなのに、どうしても同じ場所に着くのだ。

 

いや、3回とも沖縄葬斎場の看板を目にしたが、よく思い出してみると、看板を置いていた場所が違っていた気がした。

 

沖縄葬斎場は、何か所もあるんだろうか。

 

疑問は増すばかりで何一つ解決しないまま、気をとりなおして、再びナビを設定した。

 

今度は、目的地をアパート近くにある郵便局にしてみる。

 

火葬場に戻ることが無いよう、慎重に車を走らせた。

 

今度こそアパ-トに戻る、と強く思いながら。

 

そして15分ほどが過ぎた頃、目の前には、沖縄葬斎場の看板があった。

 

まじか! 誰かに呼ばれてるのか!?

 

目をこらして辺りを見回したが、何かを訴えてくるような霊もいない。

 

それなのに何故、4回も火葬場に着いたのか。

 

いくら考えても答えは出ず、アパートにいつ帰れるんだろう、という焦りがつのった。

 

時間は、とっくに23時30分を過ぎていた。

 

店からアパ-トまで30分もかからないはずだったのに、すでに1時間以上も運転していた。

 

何が何だかわからない状態で、まるで、狐につままれたようだった。

 

私は心の中で、自分の守護霊にお願いをした。

 

この状況から脱出ができ、無事にアパートに戻れるよう、お導きくださいませ。

 

そして、またスマートフォンの設定をやり直してみた。

 

この異様な状態にさらに取り込まれないように、闇のものを近づけないように、私はラジオの音量を上げた。

 

アメリカ軍の基地が流しているラジオ局からは、ずっとダンスミュージックが流れていた。

 

軽快な音楽を聴きながら、暗い道をひたすら運転した。

 

暗いT字の道路を進んでいると、突き当たりに数人の人影が見えた。

 

スピードを少しづつ落とす。

 

火葬場の次は、霊か!?

 

警戒しながら、ゆっくりと前進する。

 

どうやら4人いるようだ。

 

更に近づいてみると、それは制服に白いヘルメットをかぶった警察官だった。

 

検問のようだ。

 

一人の若い男性が、車に近づいてきた。

 

窓を開ける。

 

免許証の提示を求められ、アルコール度数も調べられた。

 

無事に済んで、ゆっくりと車を走らせる。

 

私はバックミラーで、彼らを観察した。

 

ずっと違和感があったからだ。

 

何故、こんな住宅街で検問なのか。

 

他の車を全然見かけない場所だ。

 

それに2本の道路が交わっていてT字のようになっており、見通しが良く、もし飲酒運転をしていたら、いち早く検問に気づいて逃げやすいような場所に思えた。

 

また彼らの制服とヘルメットは現代のものではなく、一昔前のもののように見え、検問をしていた場所には、パトカーが1台も無かった。

 

乗り物もなく、どうやって彼らは来たのか。

 

もし逃走する車があった時、パトカー無しで、どうやって追うのか。

 

そして一番の違和感は、彼らの身体には気(オーラ)が全然無かったことだった。

 

生きている人間には身体を包むように、必ず気(オーラ)が出ている。

 

それが彼らには無かったが、霊のようにも見えなかった。

 

彼らは一体、何者だったのか。

 

免許証の提示を求めてきた彼は、細いつり目で唇が薄い、表情のないキツネ顔をしていた。

 

4人の警察官が並んで私の車をいつまでも見ているのが、バックミラー越しに見えた。

 

今晩は、キツネがからんでいるような不思議な出来事ばかり、と思いながら車を走らせていると、ようやく知っている道に出ることができた。

 

オレンジ色の街灯が、目にしみる。

 

アパートの部屋に着いたのは、夜中12時すぎ。

 

結局、店からアパートまで1時間30分ほどかかり、ただただ疲れた。

 

数年が経った今でも、この日の出来事は時間も含めて、忘れられない。

 

それくらい強烈な出来事であり、不思議な時間だった。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想と宇宙

沖縄の土地には、不思議なエネルギーがある。

 

戦死者の霊が多い一方で、龍などの神秘的な世界とも繋がりやすい場所だ。

 

沖縄では岩などの自然に宿る神を祈り、日々の生活の中でも常に先祖を意識して、手を合わせる習慣もあるようだ。

 

またユタと呼ばれる霊媒師に、家庭での様々な悩みを相談する人も多い。

 

目では見えない世界があることを信じ、スピリチュアルが生活の一部となっている。

 

その為、霊感が強い人・龍が見える人などとの出会いも普通にあり、体験談を聞かせてもらったこともあった。

 

沖縄でUFOを目撃する人も多いようだ。

 

私の場合、寝る前に瞑想をしていると、日によってはゾーンに入れた感覚があり、その時に宇宙と繋がり、その場所の映像が見えることがあった。

 

実際に、その場所に立っているような感覚がある。

 

今までに3回体験したが、すべて沖縄に住んでいる時だ。

 

1回目。

 

白っぽい光に包まれてはいるが、昼なのか夜なのかもわからない。

 

地球ではない、どこかの惑星のようだった。

 

空気は軽く、吸っても吸っても肺に入ってこない感覚があって、酸欠のような息苦しさがあった。

 

木々は無く、乾いた灰色の大地が広がり、月のように空に浮かぶオレンジ色の衛星が見えた。

 

そこは暖かくも寒くもなく、殺風景な景色の中、誰にも会わないまま、しばらく歩いていると左手に海のようなものが見えてきた。

 

風も無いのに少し波がたっていて、光に反射をしてキラキラと眩しいほどに輝いている。

 

しかし、水のような液体の波ではない。

 

近づいて見てみると、それは小指の爪ほどの小さなダイヤモンドのようだった。

 

それらが無数に集まり、まるで生きているかのように動き、波のように見えていたのだ。

 

2回目。

 

それほど広くない部屋の真ん中で、私は一人、なぜか小さな丸い台の上に立っていた。

 

壁も床も白いプラスチックのような素材でできていて、一か所だけ横に長い八角形をした窓があった。

 

外は暗闇で、時々、小さなカラフルな光が右から左へと流れていった。

 

かなりスピードが出ているようだったが、明るい部屋の中、台の上に立っていても、振動をまったく感じなかった。

 

しばらくすると、三方の壁からオレンジがかった金色の液体が滝のように流れてきた。

 

その液体には少し粘り気があるのか、サラッとした水のような動きは無く、スライムのようだった。

 

だが、一瞬で床上20センチくらいまで満たされていく。

 

不思議なことに滝の勢いは変わらないのに、液体は私が乗っている台を濡らすことはなかった。

 

オレンジがかった金色の液体は、とても綺麗で、ずっと見ていても飽きることがなく、見れば見るほど脳がしびれたような感覚へとなっていき、気持ち良くなっていった。

 

日常のあらゆることから身も心も解き放たれたような、肩の荷が下りたような、そんな爽快感があった。

 

3回目。

 

2回目と同じ部屋にいた。

 

しかし、そこには笑顔の女性が丸い台の上に立っていた。

 

身長は低く小柄だが、頭が異様に大きい。

 

綺麗な横長の丸顔をしていて、頭全体に張り付くようにある短い栗色の髪。

 

アーモンド型の目は、顔の半分を占めるほど大きかった。

 

そして鼻はとても小さく、口が大きい。

 

なんともアンバランスなサイズなのに、女性の全体像を見ても違和感を感じなかった。

 

コバルトブルーのドレスのような表面には銀色のラメのような物がついていて、彼女が動く度に輝き、今からバーやクラブなどで歌う人のように見えた。

 

彼女からは、長年生き続けている者しか出せない特有の「気(オーラ)」が出ていて、貫禄と穏やかさ、知的さと可愛らしさとがあり、魂レベルの高さを感じるものだった。

 

長くても100歳前後までしか生きることができない短命な地球人にとって、この「気(オーラ)」を出せる者は、数少ない。

 

彼女はずっと笑顔のままで、全く声を出していないが、私の頭の中に直接言葉が入ってきた。

 

「地球もそこに住む人も、まだまだ未熟。だから惑星の外に住んでいるし、原始的な道具や乗り物を使っていて、精神的にも幼い。だけど地球でしか学ぶことができないこともあるから楽しみなさい」

 

その言葉を聞いて、急に思い出した記憶があった。

 

小学生の時、授業で太陽の動きについて先生が説明をしていた。

 

その中に「地球の外側に人間は住んでいる」という話があり、驚いたことがあった。

 

家に帰って母に確認をすると先生と同じことを言い、「常識よ」とまで言われて、更に驚いた。

 

当時の私には誰に教わったわけでもないのに、「惑星の内側に住むもの」というのが当たり前のように知識としてあった。

 

だから、どこか納得できないまま大人になっていたが、この時に彼女の話を聞いて、初めて私の知識は間違いではなかったことを知り、スッキリした。

 

彼女から他にも話を聞いた。

 

地球より高度な文明を持つ惑星では、人は惑星の内側に住み、天候の影響などを受けない暮らしをしている。

 

惑星の外側に住む場合は、宇宙船などの中で暮らし、自分達の身を守ると同時に惑星の環境保護にも繋がっている。

 

また地球人と違って、空間に関する知識があるからこそ、瞬間移動などを可能にする宇宙船などを使い、惑星間の行き来をしている。

 

地球では長い年月、他の惑星との交流をしない鎖国のような状態が続いてきた。

 

その為、文明も人も、周りの惑星から見ると原始時代のような状態だ。

 

しかし、数十年前から少しずつ宇宙との関わりを持ちだすようになり、各国の政府も宇宙やUFOに関する情報を出すようになってきている。

 

現在、地球ではレベルを上げる為の転換期となっていることもあり、今後は更に宇宙の情報が当たり前のように入ってくるようになり、宇宙やUFOに関する体験をする人も増えていくことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海の近くでの生活

晴れた日の沖縄の海は、最高に綺麗だ。

 

濃い青色をしていて、波がほとんどなく、光を反射しながら輝く。

 

青空と白い砂浜と合わさった景色は、海外のような雰囲気も楽しめる。

 

沖縄の中部にある恩納村に住んでいた時、ホテルの仕事が休みの日は、よくタイガービーチや冨着ビーチを眺めに行った。

 

アパートから徒歩5分もかからず冨着ビーチには行けて、夏休みの観光シーズン以外は、ほとんど人がいなくて静か。

 

当時あった近所の店で、メキシコのビールとタコスを買い、海を眺めながら味わう。

 

また冨着ビーチの隣にあるタイガービーチ、そこにはホテルモントレがあり、フロント近くのラウンジでお茶をする為に、毎週のように通った。

 

南国らしいマンゴーやパッションフルーツを使ったケーキを食べながら、本を読んだり、窓の外に広がる澄んだ青空と海を見ながら、ゆったりとした時間を過ごした。

 

各地のホテルではランチビュッフェを楽しんだり、釜焼きピザやケーキが美味しいカフェ「土花土花(どかどか)」、新鮮な魚料理が美味しい「仲泊海産物料理店」なども頻繁に通った。

 

仲泊海産物料理店は海沿いに建っていて、地元の人も多く、「魚のバター焼き」が人気だが、私は「イカ墨汁」が好きだった。

 

初めてイカ墨汁を見たのは20歳の沖縄旅行で、タクシー運転手のオススメの店でだった。

 

新鮮なイカが入らないと作れないから、メニューに載っていても食べられないことも。

 

真っ黒な見た目で驚くが、サラッとしたスープはカツオ出汁と豚バラのコクがあり、にが菜のアクセントもきいていて、いくらでも食べられる。

 

琉球薬膳」といわれるくらい栄養価も高い。

 

海を眺めながら、いろいろな美味しいものを食べる。

 

時には、友達と一緒に会話も楽しみながら。

 

私にとっての至福の時間。

 

どこに住んでいても、こういった時間が、私には一週間に一度は無くてはならない。

 

そうでなければ気持ちが疲れ、ストレスとなり、体調不良になりやすい。

 

普段は海の無い場所で過ごしている為、カフェでのんびり過ごせても、景色が悪い。

 

やはり沖縄の、海の近くでの生活は格別だった。

 

しかし、物事には良い面と悪い面とが、必ずある。

 

綺麗な海は、私に癒しの時間を与えてくれるものだったが、同時に霊の多さも痛感させられるものだった。

 

私がフロントスタッフとして働いていたホテルは開放的な造りで、海に沈む夕日が、とても綺麗に見えることでも知られていた。

 

その昼間から夕方へと移り変わる「逢魔が時」と呼ばれる時間帯、急に空気が重くなり、ロビーに真っ黒な影が何十人も現れることが、よくあった。

 

逢魔が時」は魔物に遭遇したり、大きな災いが起きやすい時間帯。

 

夕日を眺めているカップルやディナーへと向かう観光客の間をたくさんの黒い影が行き交い、ロビーは満員の状態となる。

 

黒い影は人型をしていて、大きさも様々だが、顔も性別もわからない。

 

人間に悪さをする感じは無く、ただロビーを歩いていて、夕日が沈み、夜の暗さに紛れて消えていく。

 

ホテルでは他にも、海から戦死者が出てきたり、誰もいない部屋から人の話し声が聞こえてきたり、エレベーターでは子供の霊が現れたり。

 

いつも線香の臭いがする部屋もあった。

 

たくさん人が集まるホテルでは霊も寄ってきやすく、また観光客自身が霊を連れてやって来る場合もある。

 

戦死者の多い沖縄・海沿い・ホテルという3つが合わさり、どこよりも霊の多い場所となって、私にとっては過酷で疲れやすい環境だった。

 

時々、感受性の強い宿泊客が「部屋が気持ち悪いから変えてほしい」、「沖縄に来てから激しい頭痛で、残りの宿泊をキャンセルして帰ります」という申し出がフロントに入ることがあった。

 

その度に、私も心の中で同意していた。

 

20代の頃は「沖縄に長く滞在していたい」という気持ちはあるものの、あまりの霊の多さに滅入り、「もう無理。身体がもたないから実家に帰ろう」と何度も思った。

 

しかし、綺麗な海を眺めて、美味しいものを食べるとまた癒されて、「やっぱり、まだ住んでいたい」と気が変わった。

 

沖縄の海の近くでの生活は、良いも悪いも特別な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よく質問されること

目では見えない世界が見える、という私の体質を知っている人に、よくされる質問がある。

 

「いつも、見えているんですか?」

「しんどくなったり、疲れたりしませんか?」

 

私と目を合わせると、何か見られていると思う人もいて、「じっと顔をみないで」と友達や知り合いから言われることも時々ある。

 

その反応は、当然だと思う。

 

相手からすれば、プライバシーが筒抜けのように感じて、居心地が悪いだろう。

 

しかし私は、いつも見えているわけではない。

 

スイッチのON・OFFがあるのだ。

 

だから、霊がずっと見えていることもない。

 

相手から相談を受けた時だけ、意識して相手が持つアンテナのようなものに自分を合わせて、目では見えない世界を見る。

 

また相手の守護霊や身内の霊、龍やUFOなど、向こうから私にコンタクトを取ってきた場合も、自然とスイッチがONとなって見える。

 

これらの状況以外は、通常、目で見えている世界だけを見て、行動している。

 

相手の許可なく勝手に透視などをすることは、やはりプライバシーを侵害している気になるから、よっぽどの事がない限りやらない。

 

それに悩みやトラブルを自分自身で考え、努力したりすることは、本人にとって必要な魂の磨きへと繋がる為、たとえ何かが見えたとしても、相手から相談されなければ、私の方からメッセージやアドバイスなどを伝えることもしない。

 

魂の成長の妨げとなってしまうから。

 

今思えば、20代の頃は、スイッチがずっとONになっている状態で、四六時中、霊が見えていたり、周りの人の感情や様々な映像などが見えていて、疲れることが多かった。

 

だが、不思議な体験を重ねるごとに、自然とスイッチの切り替えができるようになった。

 

 現在では疲れることもなく、朝まで眠ることができ、穏やかな日々が送れていて、ありがたい。