霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

身体の変化

この世は、仮想世界だ。

 

これは、私が40年以上にも渡って不思議な体験をしてきた中から発見をしたり、前世の記憶などから導き出した持論だ。

 

魂を磨く修業の場所である仮想世界だが、お金や物が溢れる3次元の物質世界にもなってしまっている。

 

大半の人が当たり前のように、時間に追われ、努力や頑張りを重ね、収入を得て物を買って生活をしている。

 

今の物質世界では、自分に合った仕事や好きなことだけをしていく生活は、困難な人も多く、物や情報に溢れた社会は複雑なうえ、不平不満に満ちている。

 

魂を磨き成長していく場所のはずが、魂をすり減らしている人の方が多いように思う。

 

この世の、目で見えている世界は、全体の3パーセントほどしかない。

 

物質世界は、この3パーセントだけに重きを置いて造られた社会だ。

 

だが、目で見えている世界に重なるように、残り97パーセントの目では見えない世界が存在している。

 

それは、私達の身体や生活に常に影響があること、自分自身と向き合い魂を磨く場所だと知っている私にとって、この物質世界での生活は、とても生きにくいものだ。

 

長年、仕事に行く時は、目で見えている世界にだけ焦点を合わせ、周りの人と同じように働いてきた。

 

これは、片目だけで世の中を見ているような不自由さがあり、ひどく疲れる。

 

だが6年ほど前より、私は自分自身の抑えがきかくなり、通常の勤務ができなくなった。

 

自分らしく生きるようになると、少しずつ世の中の物質は色あせて見えるようになっていき、逆に目では見えない世界は、輝きを増していった。

 

そして味覚も変化していき、自身の持つ気(オーラ)の浄化を更に意識するような食生活へと変わっていった。

 

以前は普通に食べていた肉類も臭いが気になり始め、唐揚げや豚カツのように高温の油で揚げた比較的臭いの少ない調理法の物しか食べられなくなっていった。

 

しかし、肉や魚を食べると、それらの持つ血が体内に入ることで、自身の気(オーラ)の濁りが気になり、それらを食する回数もだんだんと減っていった。

 

今では、炭水化物・大豆製品・野菜・きのこ類・海藻類・ごま・ナッツ類・チーズ・ヨーグルトが、普段の食事となっている。

 

ほとんどアルコールも飲まなくなり、水・お茶・豆乳・野菜ジュース・コーヒーだけを主に飲んでいる。

 

おかげで生き方も身体も楽になり、気(オーラ)も浄化されるからだろうか、以前よりも目では見えない世界が見えやすかったり、聴こえやすかったりする。

 

友達と会う時だけ、昔のようにアルコールを飲み、たくさん食べることもあるが、以前のように、食べることが楽しみ、という感覚はない。

 

食べ物も灰のように色あせて見えている今、友達と会っている時間を楽しむ手段の一つとして、飲食をしているような感じになっている。

 

本格的に地球が次元上昇への転換期へと突入し、これまでよりも宇宙エネルギーが大量に降り注ぎ、人類の身体に影響している。

 

それによって、私の食事の回数も量も減った。

 

本来、自身の体内で足らない栄養素を作りだしたり、空気中や宇宙エネルギーから栄養が摂れるものだが、3次元の物質世界では、それがなかなか難しい。

 

だから、ご飯を食べることで、直接、栄養を摂る必要がある。

 

しかし現在では、世界各国で『食べない人』が増えている。

 

今後、同じ地球に住みながら人類は、3次元の物質世界で生きる者と4次元や5次元などの精神世界で生きる者とに分かれていく。

 

3次元の物質世界で生きる者は、頑張りや努力を積んでも、今までのように良い結果へと繋がらないことも多く、生きづらいと感じるかもしれない。

 

一方、目覚めを迎え、精神世界で生きる者は、目で見える世界と目では見えない世界、両方を意識しながら暮らしていくようになっていく。

 

お金や物・食べ物などの執着が無くなっていき、周りと比較することなく、自分自身と向き合い、好きなことやワクワクすることを見つけながら、家族や友達との信頼関係を築き、生活をしていく人が多くなっていくはずだ。

 

この精神世界への目覚めには、個人差がある。

 

時々、「どうしたら目覚めることができますか?」と聞かれることがあるが、これは私にもわからない。

 

目覚めのきっかけや時期は、本人が生まれてくる前に、自分自身で目覚めの計画をしている場合が多い。

 

「早く目覚めたいから」と高いお金を払って、スピリチュアル講習に通う人がいるが、これはオススメしない。

 

物質世界で生きる者は、自分の外にばかり目が向いていて、たくさんの情報集めをして行動をする人が多い。

 

これでは、目覚めに繋がらないと思う。

 

自分の悩みや不安への解決、人生の課題や未来についての答えは、常に自分自身の中にある。

 

執着を捨て、静かな場所で、リラックスできる時間を取り、自分自身を見つめなおしたり、好きなことやワクワクすることは何か、を考えてみるのがいい。

 

そうすることで、自分に必要なものがわかり、目覚める可能性がある。

 

何十年も先の話になるが、もし地球上の人類全員が目覚めたとしたら、たくさんの目では見えない存在が、自分を生かしてくれていることに気づき、心が満たされ不安が一切なくなる。

 

また、生まれてきた意味や前世の記憶を思い出すようになったり、言葉を使わなくても相手の考えが読み取れるようなテレパシーを使えるようになってくるだろう。

 

自身の人生課題もわかる為、周りと比べることや争うこともなくなり、平和で穏やかな生活になっていく。

 

物質世界でのお金という制度に価値がなくなっていく為、金融機関や税務署なども不要となり、お金や人間関係のトラブルも無くなるから、警察や裁判所などもいらなくなってくる。

 

そして、政治や経済のシステムも無くなっていく。

 

盗難や犯罪も起こらないから、家やマンションでは、カーテンも防犯カメラや防犯システムも必要ない。

 

自分にできることや周りを喜ばせることを考えて、生活をしたり働くようになっていく。

 

服や食べ物への執着が消え、少量の物だけで足りるようなり、物々交換になっていくかもしれない。

 

現在では、生まれながらにして盲腸のない若者がいると聞くが、今後、少量だけの食事になっていくと、足りない栄養は体内で作ることができ、不要な内臓は退化していく。

 

自分自身の中に、いつも見守ってくれる神のような存在を感じられるようになり、宗教も廃れていったり、統合されていくだろう。

 

余談だが、鏡は自分の中にいる神を映し出す道具として、昔から存在している。

 

カガミは『カミ』と『ガ』を合わせたもので、『神』と『我』と書く。

 

だから、いつも鏡は綺麗さを保ち、自身の身だしなみも整える。

 

自分自身の中に神のような存在を意識すると、不安や恐怖なども無くなり、感謝とともに行動するようになっていく。

 

その為、外に神を求める必要が無くなり、神社やお寺・教会は祈りの場所ではなくなり、宗教というものが変わっていく。

 

国境も無くなっていき、日本人やアメリカ人などの呼び方も無くなり、『地球人』として行動していくこととなる。

 

その頃には、宇宙との交流も盛んになっているだろう。

 

これらは、けっして夢物語ではない。

 

地球の次元上昇となる転換期は、人類の目覚めを促し、真の愛と平和に満ちた社会へとしていく為のものである。

 

今はまだ、一歩を踏み出したばかり。

 

現在は、コロナウイルスや災害の影響も借りて、今までの常識やシステムを壊し始めている段階だ。

 

今後に不安を抱えている人も多いが、焦ることはない。

 

自分のペースで、毎日が楽しいと思える人生を歩むことが大切なのだ。

 

 

 

 味覚が変わり、とても好きになったのがシナモン。

 

シナモンもアップルパイも好きで、ほぼ毎日食べている。

 

この話を友達にしたら、

 

「霊感の強い人は、シナモン好きって聞くよ」と。

 

 まったく知らなかったが、そういえば昔、霊感の強い祖母も、よくニッキ飴や和菓子の八つ橋を食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あばれまわる黒龍

まだ本格的な夏にもなっていないのに、連日の蒸し暑さで、すでに体力が消耗している。

 

湿度の高い、梅雨の時期が苦手だ。

 

普段、ゆっくり寝たいと思いながらも、忙しさもあって気がせいて、平日・休日に関係なく、朝6時には起きている。

 

だが、うだるような暑さによって、少しずつ身体の不調が出始めた為、明日8時間は寝るぞ、と決めてベッドについた。

 

ふと目が覚めると、朝5時55分。

 

いつもなら、アラームが鳴る時間だ。

 

身体に6時起きというのが刷り込まれているのか、アラームが無くても自然と目覚めてしまった。

 

いやいや、今日は最低でも8時間は寝る!

 

自分に言い聞かせて、改めて横になる。

 

夜中から降り続いている雨の音も、今は心地よく聴こえる。

 

寝不足の身体は重く、すぐに眠気が襲ってきた。

 

気づくと、どこかの木造住宅の玄関にいた。

 

突風が家を揺らし、激しい雨が屋根や壁に打ちつける音がする。

 

これは明晰夢(めいせきむ)だな、と思っているのに、妙に胸がざわつき、不安にさせる風と雨音だった。

 

玄関の木の引き戸を開けてみる。

 

一瞬にして、ずぶ濡れ状態となったが、目の前の茶色く濁った川の流れと轟音とがすさまじく、自分の身なりなんて構っていられなかった。

 

水嵩が増し濁流となって、今にも辺り一帯、すべてを飲み込んでしまいそうだった。

 

バケツをひっくり返したような大雨と川の轟音、そして時々、木々などを巻き上げながら突風が打ちつける様子に、恐怖で足がすくんだ。

 

川から離れて逃げないと、と思うものの、どこに逃げていいのかもわからず、玄関へと戻り、引き戸を閉めるだけで精一杯だった。

 

木造住宅には誰もおらず、辺りの様子もわからず、私は呆然と玄関に立っていた。

 

突然、空気が変わったような気がした。

 

外に何かがいるような気配がして、引き戸を少し開けてみる。

 

突風と豪雨によって視界が悪かったものの、目を凝らして見渡した。

 

すると、雨雲の下を翔る黒龍がいた。

 

その姿に惹かれ、よく見ようとして、自然と足が川の方へと進んでいた。

 

すると川の水が溢れだし、あっという間に私自身も家も、なにもかも飲み込まれていった。

 

しかし苦しさもないまま、気づくと私は豪雨の中を風のように、ものすごい勢いで進んでいた。

 

眼下には、山脈や川があり、パッチワークのように見える田んぼや畑が広がっており、たくさんの家が並んでいた。

 

私は黒龍と一体化していて、黒龍の眼を通して、私も景色を見ているのだった。

 

そこに恐怖は微塵もなく、空を翔る心地よさがあった。

 

一体化に慣れてくると、黒龍の想いのようなものが私に伝わってきた。

 

それは、環境破壊をし続ける人間に対する怒りと生きることの苦しさや悲しみを抱える人間への憐みのような想いだった。

 

黒龍が縦横無尽に空中を移動し、時々、山肌に身体の一部をあてることで、その部分が崩れて土石流が発生した。

 

また、川面すれすれを飛ぶことで、川の水が氾濫していった。

 

瞬く間に、家や畑などが茶色い土や水に染まっていく範囲が広がっていく。

 

縦横無尽に翔る黒龍によって突風が吹き、豪雨を降らせ、災害と呼ばれる現象になっているのだった。

 

8時25分のアラームが鳴って、目が覚めた。

 

8時間以上、ベッドの上で横になっていたものの、夢によって頭はボーっとした状態で、いつにも増して疲労感が残っていた。

 

長雨と数日前に起こった静岡県熱海市の土砂災害のニュースを見たから、このような夢を見たのだろうか。

 

それにしても現実味のある黒龍の姿と想いとが、いつまでも余韻として残っている。

 

人類は快適な生活を求めるが故に、森林を伐採し、石油や温泉を掘り続け、空気・水・土をも汚染し、自分達の住む地球の環境破壊を行っている。

 

自分で、自分の首を絞めているような状態なのだ。

 

災害には多くの命を奪う残酷な部分があるが、生きている者たちの人生観を変えるという大きな役割もある。

 

黒龍によって創り出された災害の夢は、環境破壊を続ける人類への警告のように思えてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の災害

7年くらい前から、東京の災害に関する夢や映像を何度か見る。

 

この数年は、見る回数が増えている。

 

何度か同じような夢もあり、それは山手線の電車が出てくるもの。

 

夢の中で私は、どこか駅近くのマンションに一人で暮らしている。

 

部屋は、3階にあるようだ。

 

朝8時ごろ。

 

通勤する人や学生の声、バイクや車などの音が、窓から入ってくる。

 

私も身支度を整えながら、テレビを見ていた。

 

突然、激しい揺れと地響き、外からは悲鳴や叫び声、何かが落ちるような音が一気に押し寄せてきた。

 

揺れは長く感じられ、立っていられない。

 

テレビと自分自身とが倒れないように、膝をつき、テレビとその台とを強く掴む。

 

電車の急ブレーキの甲高く耳障りな音がして、それが更なる恐怖をつのった。

 

ようやく揺れが治まった。

 

足元に散乱している物に気をつけながら、開いた窓のほうへと行ってみる。

 

右側に目を向けると、山手線の電車が見えた。

 

急ブレーキをかけて停車をした為か、電車はホームから随分と離れた所で止まっていて、少し煙が出ている車両もあるが、ドアは開かず、満員の乗客が閉じ込められていた。

 

駅前では、倒れた物や落ちてきたコンクリートなどをよけながら、たくさんの人が密集していた。

 

頭から血を流しケガをしている人、名前を呼びながら誰かを捜している人、泣いている赤ちゃんをあやす若い母親の姿もあった。

 

そこへ、また次の揺れがやってきた。

 

私の部屋がミシミシと鳴りだし、あっという間に壁に亀裂が入っていった。

 

部屋が押しつぶされる!

 

そう直感した私は足をとられながらも、玄関を目指した。

 

だが、玄関の鉄の扉が、全然動かない。

 

地震の揺れによって、扉が変形しているようだ。

 

天井からはコンクリートの破片が、パラパラと落ちてきている。

 

揺れが続く中、玄関扉を開けようと格闘している私の近くで、天井の一部が崩れ落ちてきた。

 

一瞬で視界が真っ白になり、むせて息ができない。

 

そこで、目が覚めた。

 

心臓が早鐘を打っていて、私は深呼吸をくり返し、自分を落ち着かせた。

 

実際に現場にいたかのような生々しい夢で、阿鼻叫喚な光景だった。

 

 

また映像では、火が出てくるものを何度も見る。

 

これらの映像は、すべて起きている時に見ている為、夢ではない。

 

ある時は、夜の歯磨き中に。

 

またある時は、お風呂で髪の毛を洗っている最中に。

 

電車に乗っている時や仕事で書類作成をしている時もある。

 

時間帯や私の心理状態・状況などは一切関係なく、見えるのだ。

 

その日も脳内に突然、映画のワンシーンのような映像が流れ込んできた。

 

東京23区のあちこちで建物が崩れ、火の手がそこらじゅうで上がっている。

 

大きな火事になっている所もあれば、煙だけの所もある。

 

その間を人々が、逃げ惑っている。

 

砂埃をかぶって全身が真っ白になっている人、ケガをしている人が大勢いる。

 

人々の声や建物の崩れる音、火・煙・ガスの臭いまで、映像とともに私の中へと流れ込んでくる。

 

地震なのか、テロなのか、原因はわからないが、広範囲で被害が出ているような印象がある。

 

年に数回、この映像は現れる。

 

また別の映像では、東京23区の一部に、かなりの数の仮設住宅が建っているもの。

 

しかし、まだまだ焼野原となっていて、瓦礫(がれき)が山積みになっているところも多く、仮設住宅を建てる為に昼夜を問わず、自衛隊が働いている。

 

何キロにも渡って高い塀を造り、仮設住宅を取り囲んでいる場所もあった。

 

この映像も、今までに二度は出てきている。

 

 

今後、これらのことが全て実際に起きるとは限らない。

 

だが、警告のように長きに渡って何度も出てくる夢や映像は、無視できない怖さがある。

 

それに、今までの経験からすると、私の見た夢や映像が現実となるのが多いことも不安材料だ。 

 

だから情報として、一応、ここに記録を残しておきたいと思う。

 

 毎年のように異常気象が続き、記録的な大雨や地震の多い中、自分の身は自分で守らなければならない。

 

夢や映像では東京を中心に出ているが、当然、隣接している県にも影響がある。

 

私の友達や知人も関東在住が多く、夢や映像のことを話す機会があると伝え、災害の備えや気をつけて行動してもらうようにしている。

 

私も普段から出かける時は、万が一に備え、電車に乗る前には必ずトイレに行ったり、コンタクトレンズの日は、必ずメガネも持参している。

 

電車内に閉じ込められたり、被災した時の事を考えて。

 

電車が使用不可になった場合も考え、職場から家までの徒歩ルート、公衆電話や公衆トイレの場所、水の出る場所など、少しは把握をしている。

 

手荷物の中にも、常に水・絆創膏・ティッシュ・マスク・液体ハミガキ・ウェットティッシュ・ビニール袋など、多めに入れている。

 

その為、いつも私のカバンは重い。

 

だけど、お守りのような安心感がある。

 

不安定な世の中、いつ何が起きてもおかしくない状態に、地球全体がなっている。

 

誰かに伝えたい想いがあれば、その日のうちに伝える方が良い。

 

普通の生活が、明日も続いているとは限らない。

 

一日を大切に、楽しみながら、そして後悔のないように過ごしたい、と私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山

数日前のこと。

 

「富士山の夢を見た」と伝えたら、

 

「縁起が良いから、宝くじ買ったら当たるんじゃない?」と家族や友達から言われた。

 

しかし夢の内容を語っていくうちに、それが縁起の良いものではないことに驚きや戸惑いの反応へと変わっていった。

 

 

朝方、もう起きないと、と思いながらも起きられずにいた私。

 

そんな時に見た夢だった。

 

大きな窓ガラスがあり、そこからは雲一つない青空を背景に、雪の積もった富士山の山頂部が綺麗に見えていた。

 

夢の中で、ここは自分の部屋だ、と思っている私。

 

だが、その部屋には家具などが一切なく、大きな窓ガラスからは眩しいほどの陽光が入ってきていた。

 

そして、目の前にある富士山の雪も、光に反射をしてキラキラと輝いていた。

 

あまりの美しさに眺めていると、私の母と叔母が部屋に入ってきた。

 

「この場所から、こんなに綺麗に富士山が見えるようになったんだ。

今まで建物が多くて、うちの家からでは全然見えなかったからね」と叔母が言った。

 

その言葉に違和感を覚えた私は、もう一度、窓の外を観察した。

 

富士山を見下ろすと、その周りには何もなかった。

 

建物も緑豊かだった自然も、何もかも無い状態で、瓦礫(がれき)の平野だけがあった。

 

青空と雪の富士山との光輝く色合いに反して、どこまでも続く灰色の瓦礫を見て言葉を失った。

 

地震で建物が無くなったんだろうか。

 

鈍った思考ながらも、なんとか原因を見つけだそうとして、ふと富士山の山頂部へと目がいった。

 

あれ!? さっきと様子が違う?

 

何かが違うように感じるのに、どこが変化しているのかがわからず、ずっと観察を続ける私。

 

しばらくして、やっと頂上から白い煙が出ていることに気づいた。

 

先ほどまでは、青空に向かって山頂部の雪が風で舞い上がっていたのだが、今は細く白い煙がたなびいている。

 

その煙の量が、だんだんと増していく。

 

噴火の前ぶれか!?、と思いながら目が覚めた。

 

あまりにも現実味のある夢で、激しい鼓動がおさまらなかった。

 

私は富士山を見たことが、数えるほどしかない。

 

しかもそれらは移動の新幹線の中だったり、東京から見える小さな富士山だったりと、遠目からしか見たことがない。

 

静岡県に数回旅行に行ったこともあるが、春夏の時期で天気が悪く、全然見えなかった。

 

それに、富士登山もしたことがない。

 

だから実際には、山頂部を間近で見たことがないのだ。

 

そんな私が富士山頂部の鮮明な夢を見たことが、不思議に思えた。

 

落ち着いてゆっくりと夢の内容を思い出してみると、奇妙なところもあった。

 

目の前に富士山の山頂部が見える部屋がある建物って、普通で考えたらありえない。

 

富士山の標高は、3,776メートル。

 

窓から山頂部を見ようとするなら、飛行機やヘリコプターのような乗り物に乗っていないと見られない。

 

しかも、その乗り物は、音も無く静止をしていないといけない。

 

山頂部と並ぶ高さにあるその窓からは、見下ろすと、富士山周辺の様子もはっきりと見えた。

 

宇宙船にでも乗っていたのだろうか。

 

地球上の乗り物では、見られない景色だった。

 

夢の中の街は広範囲で破壊されており、瓦礫となっていた。

 

あれは、富士山噴火と地震によるものだったのだろうか。

 

富士山の噴火に関して、実際には、いつ起こっても不思議ではないと言われている。

 

すでに、300年以上も噴火をしていないとも聞いたことがある。

 

噴火後、その火山灰は、西から東へと吹く偏西風によって運ばれ、関東に大きな被害を与えることも予測がされている。

 

人々を魅了する、神秘的な美しさをもつ富士山。

 

日本を壊滅状態にさせる、危険性の高い富士山。

 

それら二面性を現した今回の夢は、『ただの夢』と言えないほど、ゾッとさせるものがあり、いつまでも脳裏に映像が焼きついている。

 

近い未来、現実には起こらないよう願うものの、情報として夢の記憶をここにも残しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世は仮想世界

人は亡くなっても、魂は生き続けている。

 

けっして、『無』にはならない。

 

これについては昔から本がたくさん出ているが、私の場合、数多くの不思議な経験を通して知り、今では当たり前のものになっている。

 

だから私には『死』というものの恐怖が無く、むしろ楽しみであったりする。

 

私の前世の記憶では、死後のことを覚えているものもある。

 

魂とその器である身体とを切り離す手段として、亡くなり方は病気、事故や事件など人によって様々だ。

 

しかし、どれも息苦しさや痛みはあるが自身の死を受け入れることで、それらは一瞬のように感じる。

 

そして身体から離れた魂である私は、宙へと浮かび上がり、迎えに来てくれた白い光に包まれる。

 

死後の、人生を終えた、という解放感と喜びは忘れられないものだ。

 

身体を持って生きる、という資格を放棄してしまう自殺では、これらを感じることができない。

 

毎日を自分なりに精一杯、悔いなく生きることで、その解放感と喜びは一層増したものとなる。

 

やがて、あの世の手前にある世界に入っていくと、今回の人生を振り返る作業がある。

 

見返りを求めることなく、家族や人の為にどれだけ良い行いをしたか。

 

また人に与えた悪い行いでは、相手がどんな気持ちだったのか、を自身で体感をすることで学びや気づきへと繋がる。

 

悪い行いよりも良い行いのポイントの方が多ければ、生まれ変わることができる。

 

これが輪廻転生であり、肉体を持って生まれるには、良い行いをして得たポイントの積み重ねなど、条件を満たしていないとできない。

 

この世に生まれてくるということは、それだけで凄いことなのだと思う。

 

肉体を持って生まれ変わるまでは、あの世で、自分の魂レベルと同じ仲間と過ごすことになる。

 

自分と魂レベルが同じだから居心地の良さはあるが、魂の磨きには繋がらない。

 

肉体を持ち、様々な魂レベルの者と過ごすことで、知識を学び、視野を広げ、無性の愛を知り、魂が磨ける。

 

この世は、肉体を持ってしかできない体験をして魂を磨く、修業の場所である。

 

また、やり残した課題や新しい課題に取り組むことも、魂の大きな成長となっていく。

 

課題を一つでも多くクリアできるように、この世に生まれてくる前に、性別・外見・両親・国を自分で決めてから生まれてくる。

 

こうして自分自身で選んだ役を演じながら、人生を歩む。

 

この世は、舞台のようなものでもある。

 

だから自分の心の持ちようで、どんな人間にもなれる。

 

ただし、人の人生を脅かすようなことをしてはいけない。

 

周りと比べることなく、自身と向き合い、自分磨きをするのが良い。

 

あの世が本来の世界であり、この世は修業の場所や舞台となる仮想世界なのだ。

 

 この仮想世界では、今までお金や物を重視する物質世界だったが、目では見えないものも重視する精神世界への移行が、昨年より本格的に始まっている。

 

修業の場所・舞台である仮想世界のレベルを上げて、そこに住む者の魂レベルも上げようとしている。

 

その為、コロナウイルスや天災・異常気象など、想像もしていなかったことが次々と起こり、生活にも変化が出ている。

 

だが、これは始まりにすぎない。

 

今までの普通の暮らしを維持していくことは、さらに難しくなっていくはずだ。

 

しかし現在を生きている人は、自分自身でこの時代を選んで生まれてきている。

 

この地球の転換期を体験したい、という目的の為に。

 

転換期では臨機応変さを求められる場面も多いから、魂の成長にもなる。

 

世の中が変化をしていっても、それについて考え、対応する能力が備わっている。

 

 その能力を開花させるには、いったん立ち止まり、リラックスして、自分自身と向き合う時間も必要だと思う。

 

昨年からのコロナの影響で、お家時間が増えたことは、一人一人の目覚めを促すという機会にもなっている。

 

一人でも多く自分自身の幸せに気づき、困難な状況の中でも楽しみを見つけ、前を向いて歩いていけたら、世の中も少しずつ明るいものへとなっていくだろう。

 

一人で歩むのが難しい時は、家族や友達と一緒に。

 

家族や気の合う長年の友達は前世から繋がっている場合が多く、今世では応援してくれる者という役割になっていたりする。

 

この世は、仮想世界。

 

思いこみや枠をはずし、自身を解放して、自分らしく生きていくのが良い。

 

願うことが叶いやすい、仮想世界。

 

今後の世の中が良くなるか悪くなるかは、私達の心の在りようで決まってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明晰夢(めいせきむ)

明晰夢(めいせきむ)とは、自分で「これは夢だな」と自覚しながら見る夢のことだ。

 

子供の頃から明晰夢が割と多く、時には夢で見たことが現実に起こる正夢(まさゆめ)へと変わったり、自分の疑問や悩みに関する解答をもらえたりする。

 

数日前にも明晰夢をみた。

 

真夜中に実家の近くを散歩していた。

 

暑くも寒くもなく、誰一人として出歩いておらず、地球上に生きているのが自分だけなのではないか、と錯覚してしまいそうになるくらい何も音がしない。

 

立ち止まって空を見上げると、満天の星空が広がっていた。

 

それを見ながら、これは夢だな、と思っている私。

 

実家のある場所は、実際にはほとんど星が見えることはない。

 

夢の中での夜空は星が無数に輝き、とても綺麗で、しばらく眺めていた。

 

すると、一つの星が上へと移動を始めた。

 

ん!?

 

見間違いかと思い、目を凝らして見てみる。

 

流れ星のようなものが現れ、それをよけるように、今度は二つの星がスーッと移動した。

 

合計三つの星が、流れ星のような光に当たらないよう、すばやく移動を繰り返していく。

 

それはまるで、映画『スターウォーズ』の戦い場面のようだった。

 

私のいる地上からは流れ星のように見えていたが、あれはミサイルかレーザー光線のようなものだったのではないだろうか。

 

夜空を見上げていて、だんだんと目と首が痛くなってきた時、三つの光が私の方へと下りてきた。

 

近づいてきたのは、UFOだった。

 

約50センチの高さに幅が30センチほど、白い陶器でできているようなツルンとした表面を持つ、釣り鐘型のUFO。

 

アダムスキー型と呼ばれるUFOに近い形をしていた。

 

その3機のUFOは私の周りを飛び回り、そしてまた空へと帰っていった。

 

目が覚めてからも余韻で、しばらくはベッドから起き上がれなかった。

 

夢とは思えないほど、細部まで見ることができたUFO。

 

夢ではなく現実だったのではないか、と思わせるような不思議な感覚が残った。

 

一般的に明晰夢は、夢の状況を自分の思いのままに変化させられることでも知られている。

 

だから夢の中で、空を飛んだりすることも可能だ。

 

この明晰夢を利用して、夢の中では楽しい体験に変えたりして、自身のトラウマや恐怖を克服させる療法もあるらしい。

 

自分の記憶や体験が夢に反映されて、夢の中で状況を変化させて願望を叶えるということは理解ができる。

 

しかし今回のように、実際には釣り鐘型のUFOを見たことがない私が、夢の中でUFOを登場させ、状況をコントロールすることは不可能だと思う。

 

釣り鐘型UFOの部分だけ、現実だったのだろうか。

 

考えれば考えるほど、不思議に思えてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リモートでの部屋探し

昨年からのコロナウイルスの影響で、世の中の生活スタイルが一気に変わった。

 

リモートで仕事をする人が増えたり、学校での授業にも取り入れられている。

 

数日前、ニュース番組を見ていたら、不動産業界でもリモートが主流になってきていて、部屋の間取りや日当たりの良さなどの内覧を画面越しに見れるという。

 

気づくと私は眉間にシワをよせ、胸のモヤモヤと不安感とで気分が悪くなっていて、チャンネルを変えた。

 

物事には必ず、良い面と悪い面とがある。

 

リモートによってコロナ感染を防いだり、人との接触を減らせたり、遠方の友達と簡単に画面の中で会えたりすることは良いと思う。

 

しかし就職の面接や出会いを求めるなどの初対面、また物件や部屋探しにリモートを使うことは悪影響の連鎖になりかねない。

 

どの人も気(オーラ)を持っていて、身体を包んでいる。

 

それには、人となりの情報や前世・未来映像などを含んでいる。

 

そして自身の気(オーラ)を使って相手や場所の情報を読み取ったり、危険を察知したり、誰もが無意識のうちに行っている。

 

初めての人と会う時、見た目の情報と自身の気(オーラ)から得た情報によって、話しかけやすそう、気難しそうな人、という印象へと繋がっていく。

 

それは、物件や部屋探しでも同じことだ。

 

年々、自殺者や事件が多く、事故物件も増加傾向にある。

 

だからこそ、実際に部屋を見て、その場の雰囲気を感じることが大切だ。

 

部屋の中で目を閉じると、感じやすくなるだろう。

 

目からの情報を遮断することで、他の感覚が研ぎ澄まされる。

 

もし、この部屋は嫌だな、と直感したなら、それに従うほうが良い。

 

自身の気(オーラ)が、何か危険を察知しているからだ。

 

時々、私の所に「部屋を見てほしい」とスマートフォンに写真や間取りが届くことがある。

 

引っ越し後、眠りが浅く悪い夢を見る、奇妙な物音や誰かがいる気配がする、金縛りにあう、部屋全体が湿気やすくカビやすい、などの文章とともに送られてくる。

 

部屋の写真や間取りから透視をすると、気の流れの悪さや鬼門の通りで寝ていることで睡眠障害が起こっている場合もあるが、霊が写っていて、中には事故物件のものもあったりする。

 

そんな部屋に住み続けることは体調不良になったり、事故に遭う危険性も出てくる。

 

再度、引っ越しとなると出費も増える。

 

この世の大半の病気は、悪い気の流れる間取りや土地に住んでいることが影響している。

  

そんな悪循環にならないように、部屋探しはリモートに頼らず、何度も通って選ぶのが良い。

 

これは、建売の一軒家も同様だ。

 

以前、母がマンションへの引っ越しを考えていて、部屋探しを手伝ったことがあった。

 

膝を痛めていた母には、一軒家での階段の上り下りはきつく、駅に近いマンションでの生活を望んでいた。

 

いくつもの部屋を見て回ったが、間取りが良いけど駅から遠い、スーパーや駅が近いけどユニットバスなど、母の希望に合うような所がなかなか見つからなかった。

 

日を改めて内覧に行った部屋は分譲賃貸で、造りもしっかりしていて広さもあった。

 

高台に建っていてベランダからの景色も、母は気に入っていた。

 

しかし北側にある寝室とクローゼットを見る為、部屋に入った母が「ここ、すごく寒い」と言った。

 

母には霊が見えたりする経験が一切ないが、時々、何かを敏感に察知することがあった。

 

私も続いて部屋に入ってみる。

 

北側に面している部屋とはいえ、ゾクゾクするような寒さがあった。

 

その部屋を出ると、寒さがなくなる。

 

もう一度、私だけ寝室を確認しに行った。

 

やはり、異様に寒い。

 

目を閉じて、しばらく寝室に立っていると、後ろのクローゼットから気配がした。

 

振り返って見ると、そこには背が低くポッチャリとした、髪の薄い老人が立っていた。

 

その老人と目が合った瞬間、彼の情報が伝わってきた。

 

ベランダからの眺めが気に入って分譲マンションを購入し、長年、夫婦で住んでいたようだ。

 

死んでからも愛着があるこの部屋に、一人住み続けている老人霊。

 

私は、母に伝えた。

 

「背の低いポッチャリおじいさんが、クローゼットの前にいる。この部屋を借りたら、もれなくおじいさんも一緒についてくる。それに寝室を使うと、おじいさんに寝顔をずっと見られることになるよ」

 

「絶対、イヤ!」

 

母は即答して、この部屋を断念した。

 

その後も、いくつかの部屋を見に行き、無事に母はマンションへと引っ越しをして、現在も快適な生活をおくっている。

 

いろいろな部屋を実際に見ることで、同じ部屋でも天候によって違いがあったり、自分自身に合った部屋の条件が明確となっていく。

 

良い間取りや場所に住むと、それだけで運気も上がる。

 

住まいは、とても大切だ。

 

住居との良い縁をいただくには、やはり何度も自分の足で出向き、実際に目で見て肌でも感じること、そして最低限の間取りの知識は必要だ。

 

☆南東と北西に面した部屋が、リビングや寝室に向く

 

☆疲れを取りやすく、ぐっすり眠るには、北枕または西枕が良い

ただし近くに河や海がある場合、水の流れを遮断するようにして眠ること

水の流れと並行して眠ると、頭がボーとしたり、片頭痛になりやすい

 

☆北東から南西は鬼門の通りの為、汚水が流れる水回りがある場合は、こまめに掃除と盛り塩をしておくのが良い

 

☆一軒家の場合、家の中心に階段が無いこと

家の中心に階段があることは機能的だが、気の流れが悪くなる

 

これらを意識して、部屋や家を探すことがオススメだ。