【前世の記憶】父親との「魂」の絆
私が記憶しているだけでも、父との「親子関係」は、今世で「3回目」である。
それが判明したのは、長い歳月をかけて「繰り返し見た夢」のおかげである。
一つの「前世の記憶」が蘇ると、あとは次々と記憶が蘇ってくるようになった。
学生の頃から私は、「生き埋めになる夢」を何度も見た。
夢の中、私は「土の壁」に囲まれていた。
幅は約1メートル、高さは2メートル以上で、私は立ったまま「空」を見上げていた。
雲一つない「真っ青な青空」が見える以外は何も見えないが、人の話し声がした。
何を話しているのかは、聞き取れない。
しばらくすると、私の頭上へと「土」が降ってきた。
手で払っても払っても、たくさんの「土」が降ってくる。
やがて「土の山」が足元を隠し、身動きが取れず、もがく私。
しかし「土」は容赦なく降ってきて、気づけば肩から顔へと積もっていた。
目・鼻・口に「土」が入ってくる。
私は土の中で懸命にもがいていたが、「土」は重く、息は苦しく、恐怖もあって思うように動けない。
そして、だんだんと体力が無くなっていった。
呼吸ができない息苦しさと「肺の痛み」が襲ってきて、「死の恐怖」と「もう、どうすることもできない」という思い・・・。
そこで、目が覚めた。
あまりにも「現実味を帯びている夢」で驚いたのと、しばらく息をしていなかったのか苦しくて、慌てて深呼吸をした。
同じ夢を何度も見たが、時々、「この夢の原因となる夢」「続きの夢」も見るようになった。
そして、すべての夢が一つに繋がった。
「前世」の時代は定かではないが、かなり昔。
場所は、中東の国である「サウジアラビア」で、イスラム教のモスクがあった。
私は当時、5歳くらいの「男の子」で、兄弟が多かった。
草原に座っている50歳台くらいの父親は、日焼けをした肌をしていて、小柄だが筋肉質な体をしており、頭には白いターバンを巻いていた。
「夢の中での父親」を見た瞬間、「現在の父親」と面影が重なった。
外見は違うのに、「瞳」が「現在の父親と同じもの」だったのだ。
当時の私たち家族は、「放牧」をしながら、各地を転々としているようだった。
乾いた大地の中に緑の繁ったオアシスが見えたり、都会に出たときは、モスクから聞こえる「アザーン」の音が街中に響き、夢を見ながら、その「アザーン」の懐かしさで、目が覚めると泣いていたこともあった。
ある日、私たち家族は「山賊」に襲われ、両親や兄弟が殺害された。
私だけ物陰に隠してもらったおかげで、運良く助かった。
しかし、目の前で家族が殺された場面は、当時、5歳くらいだった私の目に鮮明に焼き付き、記憶された。
夢の中で私は、15歳くらいの青年へと成長をしていた。
私の心の中にあるのは、家族を殺した者たちへの「復讐」しかなかった。
極貧生活の中、「復讐」をエネルギーに生き、「山賊の情報」を求めながら生活をしていた。
ある日、私は家族を殺した「山賊」を見つけ出し、岩山から「復讐の機会」をうかがっていた。
私の持ち物は、「ヤギの皮」でできた「水筒」と「刀の部分が湾曲になったような剣」、そして「短剣」だけだった。
しかし、逆に山賊の一人に見つかり、私は捕まってしまった。
そして意識が戻った時には、すでに「穴」の中に入れられていた。
生き埋めとなり、「息ができない苦しさ」と「肺の痛み」が続き、気づけば私は「地上5メートルくらいの所」から自分が入っていた「穴」を見下ろしていた。
穴の周りには、たくさんの山賊がいた。
私は、自分が「死んだ」ことを悟った。
顔を上げると私から1メートル離れた所に「白く輝く球体の光」が飛んでいて、それを見た瞬間、なぜか「あの世へ行く為に迎えが来た」と思った。
私の場合、いつの間にか「復讐」の気持ちは無くなっていて、味わったこともないくらの「安堵感」に包まれながら、「白く輝く光」を追っていった。
そこで目が覚めた。
私は、泣いていた。
「懐かしさ」と「悲しさ」、「前世を思い出した嬉しさ」、いろんな感情が押し寄せ、泣けて泣けて、どうしようもなかった。
この「中東での父との親子関係」が「1回目」だった。
「前世の記憶の封印」をしていた脳が一度開くと、もう閉じることはできないようだった。
次々と「前世の記憶」を夢で見るようになった。
「2回目」となる親子関係は、アメリカのニューヨークで、私たちは「黒人」だった。
いつの時代かは不明だが、それほど昔ではない。
当時、父は20歳前半くらいと若く、髪の毛を何本も細い「三つ編み」にしていて、それらを後頭部で一つに束ねていた。
エンジ色の革ジャンを着ていて、長身で細身の父には、とても良く似合っていた。
父が何の仕事をしていたのかは不明だが、いつも「拳銃」を所持していて、極貧生活から抜け出す為に「違法な仕事」をしては、大金を稼いでいたようだった。
私は当時、5歳くらいの「息子」だったが、そんな父でも「憧れ」だった。
しかし、父は若くして「胸の病気」を患い、亡くなった。
私は「1回目の前世」と同様に、幼少期で「天涯孤独」となった。
今世では、「3回目の親子」であるが、今回は「父と娘」である。
だが、今世でも父とは7歳くらいまでしか一緒には暮らしていない。
しかし、私は「寂しさ」を一度も感じたことがなかった。
なぜなら、いつも「父の存在」を肌で感じることができるし、時々、父と電話やメールをする機会もあったから。
父と私は、似ている点が多い。
私たちは、生まれつき髪の毛や瞳が「茶色」で、「霊が見える体質」も同じだ。
「母方の祖母」も「霊が見える体質」だったが、「目では見えない世界」の見え方や聞こえ方、得意とする分野など、人によって違いがあるようで、祖母の場合、霊と会話をしたり、自分に乗り移らせたりして「メッセージ」を伝えることが多かった。
父の場合は、「予知能力」である。
二人からの遺伝によって、私の場合も「メッセージ」を伝えることができたり、「未来映像」が見えたりする。
この世には、「肉体」を持ってしか経験することができないことを体験する為、生まれてきている。
「父との親子関係を体験する」為に、何度も「親子」をしているが、毎回、「長年、一緒に暮らす」ということが出来ていない。
これでは「4回目も親子」という可能性も・・・少しウンザリするような、「仕方がないか」と思えるような・・・。
しかし、これだけは断言できる。
今後、父と私の「外見・性別・人種」などが変わり、再び「親子」になったとしても、すでに前世から何回も人生を共に歩んできている為、「魂の繋がり」は、これからも変わることはない。
それがまた「離れて住む」ことになるとしても、私にとっては「些細な出来事」でしかない。
前世からの大きな「魂の繋がり」があり、その繋がりは「魂の絆」でもあるからだ。