【前世の記憶】アメリカの女性警察官
私には、「メキシコ系アメリカ人女性」だった頃の記憶もある。
その記憶は、25歳くらいで「制服警官」をしていた時のもの。
「メキシコ出身の家族」がアメリカに移住をして、当時の私は「ニューメキシコ州」で生まれ育ったような記憶。
そして、どんな経緯があったかのかは不明だが、ロサンゼルスやサンディエゴのような「カリフォルニア州」で「制服警官」をしていた。
当時の私は、とても「大柄な体形」で、少し「制服が窮屈」な感じ。
「浅黒い肌」に「黒い瞳」を持ち、「長い黒髪」を後ろに束ねていた。
まだ「新婚」で、夫は「グリーンの瞳」を持った「やせ型で長身」、年齢は30代前半くらいと記憶している。
夫は、「刑事」だった。
ある日の昼間、「大型のスーパーマーケット」で「数人の犯人」が、「人質」をとって「立てこもる事件」が起こった。
その為、制服警官や刑事たちが集まっていた。
そこに、夫も私もいた。
「人質と犯人たち」は、店内にある「従業員の部屋と倉庫」を利用していた。
刑事たちは、スーパーマーケット内にある食品棚などに身を隠しながら、説得を試みる一方で、「もしもの時を想定」して「突入のタイミング」を計っていた。
制服警官は、全員、スーパーマーケットの外側に配置され、警備などもしていた。
昼間ということもあり、多くの野次馬やマスコミの姿。
ヘリコプターも上空を飛んでいた。
何時間も「説得」がされていたが、解決とはならなかった。
ここから少し記憶が飛んでいて、次に覚えているのは「銃撃戦」になっている場面。
なぜ「銃撃戦」になったのかは不明だが、「銃声」「悲鳴」「どなり声や叫び声」が、あちこちから聞こえている。
私も「犯人」に向かって「拳銃」を撃っていた。
何発か撃ったところで、私の体が後方に吹き飛んだ。
「即死」だった。
頭を撃たれて、私は死んだ。
まだ若く、新婚だった。
「死んだ後の記憶」も一部だが、残っている。
夫が「私の体」を抱きかかえながら、泣いている。
私は、その様子を「夫の横に立ち」、呆然と見下ろしていた。
後日、教会で行われた「私のお葬式」には、たくさんの家族が集まり、泣く人、悲しみで叫んでいる人、また「安らかに眠れるように」と歌をうたってくれる人の姿があった。
「自分のお葬式を見ること」は「奇妙な感覚」であり、「遺族の悲しみを見ること」は、とても胸が痛かった。
「お葬式」が終わって何年経っても、「夫や両親の悲しみ」は深く、そんな姿を見ているのは辛かった。
この「前世の記憶」があるからなのか、「今世での私」は物心がついた時から、外出する時、「ちゃんと家に生きて帰ってこられるとは限らない」という思いが常にある。
だから、万が一、「家に戻れなかった時」のことを考え、ある程度の「整理整頓」をして外出をするし、「家族に伝えておくべき事は先延ばしにせず、すぐに伝えておく」というのがある。
自分の死後、「遺族が悲しむ姿」を見るというのは、とても辛いものだ。
できることなら「笑顔」で見送ってほしいと思う。
また何年経っても、「遺族が故人を思ってくれる」というのは嬉しくもあるが、さらに「辛さが増すこと」でもある。
遺族には、少しずつ遺品の整理をしながら、気持ちを切り替えて、自分自身の人生を楽しんでもらいたい。
いつまでも「悲しみ」を背負ったまま、「時間が止まっている状態の遺族」を見ることは、「死んだ者」からすると、安心して「あの世」へと行くことができない。
「この世」に留まるということは、「死んだ者」もまた「痛み」「辛さ」「悲しみ」から解放されない。
「私の前世での経験」に加えて、「今世での私」は、長年、自殺・事件・事故・災害・病気などで亡くなった「いろいろな霊」に呼ばれたり、家に訪問されたりして、話を聞くことも多い。
その中で、「遺族へのメッセージや願い」を聞く機会もあり、やはり共通していることは「遺族には、楽しい人生を送ってほしい」というものだ。
「前世の記憶」を持つ人は、私の知り合いにもいたし、世界各国での報告も多く、「前世療法」もある。
他の人が持つ「前世の記憶」を読むのは興味深いし、「前世について」研究などがされているのも面白い。