【情報】守護霊の段取り
こんな経験はないだろうか。
いつも通り「同じ時間」に起きて準備したつもりなのに、「早く用意ができた」または「なぜか、遅刻しそうになった」。
いつもと同じように車で通勤しているのに、今日は「赤信号」で止まることなく目的地に着けた。
これは「目では見えない世界からの段取り」で、その一部の例だ。
特に、自身の「守護霊による段取り」が多く、今後に展開する物事が「学び」となっていたり、「新しい出会い」があったりする。
どの人にも「守護霊」は存在し、いつも「アドバイス」や「段取り」などをしてもらっている。
「同じ夢」を何度も見たり、「3人以上」にそれぞれの場所で「同じ話」や「注意」をされる場合も「アドバイスやメッセージ」である可能性が高い。
引っ越しや転職などの「物事の始まり」や「人との出会い」にも「縁とタイミング」があり、人生で起こることは「すべて必然」、たとえそれが「辛く苦しい出来事」であっても意味があり、「学び」に繋がるものとなっている。
「生きる」ということは、何かとしんどいことだ。
しかし、世の中には「ほどほど(ちょうどいい程度)」という言葉があり、私は人生を生きる上で「この言葉は大切」で、これを意識することで「人生のスムーズさ」も違ってくると思っている。
目標に向かって自分なりに考え行動し、努力をすることは「知識や経験」となり、「魂の成長」へと繋がっていくから「頑張る時期」も必要だ。
でも、いくら頑張っても芽が出ない時や八方ふさがりになるような場合は、一旦、その歩みを止め、自分の好きな事をして、のんびり過ごす方が良い。
頭や体を休めてリラックスをしている時こそ、新しいアイデアが浮かんだり、川の水が流れるように物事が動き出したりする。
それが「守護霊の導き」であったり、次のステップへ向けた「段取り」であったりする。
一人で頑張るのではなく、時には「目では見えない世界」を頼り、「お願いやお任せ」をして良いと思う。
そして自分の思うように物事がスムーズに動き始めたら「感謝」をして、また頑張る。
何事も「ほどほど」が良いのだ。
どれくらいが自分にとっての「ちょうどいい程度」なのかを私は常に意識をして行動をしている。
例えば「働き過ぎず・遊び過ぎず」、自分にとっての「ちょうどいい中間」を意識している。
しかし、この「ちょうどいい中間」の加減が自身でわかってない人が多いように思う。
その為、一人でずっと悩み不安になりながらも、がむしゃらに頑張り続け、すでに体は限界がきているのに気力で走り続けている人をよく見かける。
頑張り過ぎは視界を狭くし直感を鈍らせる為、「守護霊」からの「サイン」に気づかないことが多い。
人は、一人で生きているのではない。
どの人も「目では見えない世界」と繋がっているし、「自身の守護霊の存在」があり、「アドバイス」「お導き」「段取り」などを頂いている。
それに「気づけている人」は、「悩みや不安」が少ないように思う。
「気づけていない人」は、常に「意識が外を向いている」ことも原因ではないだろうか。
毎日、時間に追われ、テレビやスマートフォンなどを見て「情報」にあふれた環境の中で過ごしていると、外にばかり意識がいき「自分と向き合う時間」がほとんどない。
好きな事をしたり、テレビやスマートフォンの無い「静かな場所」でリラックスをしたり、瞑想をすることで「内なる自分」と向き合え、「本当の自分を知ること」ができたり、「自身の体の変化」に気づけたりする。
「守護霊からのサイン」にも少しずつ気づけるようになっていくはずだ。
また「本屋を隅々まで歩いてみる」のもオススメだ。
分野にこだわらず、「目についた本」「気になった本」を手にしてみるのが良い。
その本の中に「求めている答え」が載っていたり、「新たな自分」を発見できたりするはずだ。
私の経験上、本は自分で選んでいるのではなく、「本に呼ばれ、手に取らされている」という感覚がある。
私は時間があれば、本屋で何時間でも過ごすことができる。
それは「子供の頃の出来事」が、私を本好きにさせ、本屋へと足を運ばせるようになった。
私の場合、幼少期より「霊体験」があり、「この人は、どこから来ているのか」「なぜ、体全体がすけているのか」など、いつも体験する度に様々な「なぜ?」が出てきていた。
「次の体験」をすると「私の質問に対する回答」が、「パズルのピース」のように「知識」として手元に一つずつ集まるようになる。
その「パズルのピース」の一部が繋がると「目では見えない世界の仕組み」を少し解明できたりする。
私の質問に回答をしてくれる「母方の祖母」や「父」からも時々「ピース」をもらうこともあった。
小学生の高学年くらいになると、母が友達から「大量のマンガ」を借りてくるようになった。
・「紅グモ」 楳図かずおさんの作品 など
母が借りてくるのは、なぜか「霊」や「古代文明と宇宙」に関するような物ばかり。
子供だった私には、「恐怖新聞」「うしろの百太郎」「紅グモ」は、絵を見るだけで怖かった。
これらのマンガを怖いと思いながらも読んでみると、私の「聞きたかったこと」や「知りたかったこと」が載っていたり、更に「目では見えない世界」や「宇宙」にも興味を持つキッカケとなった。
当時、「ドラえもんやキャンディキャンディとか、もっと明るく楽しいマンガもあるのに、なぜ怖い本ばかり!?」と不思議に思っていたが、今思えば、これらの漫画を読ませ「知識や興味を持たす」という「私の守護霊の段取り」だったようだ。
これにより自分で本屋に行くことも多くなり、様々な分野の本を読むようにもなっていった。
私の「先祖霊」は「行者や修行僧」が多く、「母方の祖母」や「父」も「目では見えない世界」の体験がある。
思えば「不思議な家族構成」であり、その環境で育った私は自然と「目で見えてる世界」と「目では見えない世界」との「両方の視点」を持てるようになった。
最初は「霊体験」ばかりだったのが成長するにつれ、私のレベルにあわせて、少しずつ経験する分野も「宇宙」「龍」「神仏」などへと広がっていった。
時には過酷だったり体調不良になることもあったが、自分なりに模索し、それを乗り越えると新たな視野が広がり、過去の自分と比べると成長を感じられる自分になっている。
この成長は、私の守護霊の「お導きや段取り」によって得たものでもあるが、まだ私の「パズル」は完成していない。
これからも私は努力を続け頑張るが、時には何もせずに「目では見えない世界」にお任せをするという、私なりの「ほどほど(ちょうどいい程度)」を意識しながら、「不思議な体験」を通して「パズルのピ-ス」を集めていく。
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