自分を追い詰め、死を引き寄せる自殺
これは、20歳の時の話。
保険事務の仕事を始めて、一年目。
毎朝8時半ごろに出勤をしていたが、繁忙期で「同じチームの総合職の男性2人の手伝いをしてほしい」と前日に上司から言われた為、その日は、すでに7時半から働いていた。
まだパソコンがほとんどない時代で、手書きやワープロで資料を作っていた。
少し開けたブラインドからは柔らかな朝の光が差し込み、3人しかいないオフィスは、とても静かだった。
男性の一人に作業について確認をしようと席へ向かう。
突然、男性の背後にあったブラインドが一瞬、暗くなった。
ドンッ!!
思わず首をすくめるくらい、ものすごく大きな音が聞こえた。
「何かが落ちたみたい」と私は男性2人に言いながら、ブラインドに駆け寄り、それを上へと引き上げ、窓を全開にした。
下を見る。
顔面蒼白で目を見開いた男性が、仰向けで倒れていた。
後頭部からは血が流れ出していて、歩道から車道へと細い線が伸び続けていた。
時間は8時を過ぎており、男性の周りには通勤途中の人たちが集まり始めていた。
落ちた男性に巻き込まれた人はいなかったようだ。
私のいたオフィスは低層階にあり、同じビルの6階以上に広告代理店が入っていた。
そこで働いていた男性は、40代の中間管理職だったそうだ。
その高層階から飛び降り「自殺」と断定されたと数日後に聞いた。
飛び降りた場所には、男性の靴がきちんと揃えて置かれてあり「事件性はない」と判断されたようだった。
しかし、それなら何故、男性は仰向けに倒れていたのだろうか。
しかも目は大きく見開かれ、口もあいていて、私には「驚いている表情」に見えた。
結局のところ、真相はわからない。
もし私が、いつも通り「8時半」に出勤をしていたら、すでに男性は救急車で搬送されていて見ることもなかっただろう。
だが、この日に限って私は「7時半」にはオフィスに入っていた。
それまでは「亡くなった身内と対面」の経験はあったが、「見知らぬ人の亡骸」を見たのは初めてだった。
20年以上が経った現在でも、あの「男性の顔」を忘れることはない。
これも「私の守護霊の段取り」だったのだろう。
この目撃をした日を境に、私は「自殺をした霊」や「遺族」と会う機会が数回あった。
私が会った「自殺をした霊たち」は、生前の職種も年齢も様々で、しっかりと計画を立てて自殺をした人、日々の業務の過酷さに解放されたいと思い続け自殺をした人など、いろいろだった。
しかし、共通部分があった。
それは、自らの命を絶ってしまったことへの「後悔」。
自殺者に対して「死ぬ勇気があるなら、もっと生きて頑張れたんじゃないの」という言葉を何度か聞くことがある。
だが「自殺をした霊たち」の話を聴くと、「勇気」があったから死んだのではない。
生前、彼らは生活環境を改善しようと努力をしていたが、うまくいかず、次第に心が折れ「もう死ぬしか方法がない」と思うところまで追い詰められたようだ。
それが最終的に自分で「死」を引き寄せることとなり、「死」というものに取り込まれた状態になったのではないかと思う。
それは「影」のようなもので、それに取り込まれると四六時中「死」ばかりを考えるようになり、そうなると周りに助けを求めようとも思わないだろう。
そんな状況から自分の力だけで抜け出し、元の明るい生活へと戻るのは難しいように思う。
「自殺をしてから我に返り、自分のやってしまった事の重大さに気づき、体に戻ろうとしたが戻れなかった」
「不安や悩みから解放されたくて死んだのに、全然、ラクになれない」
「残した家族の姿を見て悲しくなった」などの話を聴いた。
彼らは死後も「苦しみと後悔」「家族への思い」などを抱えながら「この世」にとどまり、「霊」として存在している。
「遺族」は、自殺の理由がわからなかったり、「もっと自分達が気づいてあげることができていれば」という後悔などで、そのまま時間が止まったような状態で過ごされている方も多い。
「自殺」は、良い結果を何一つ生まない。
「死んだ人」にとっても、「残された人」にとっても。