霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

死後から四十九日間でする訪問

今から15年以上も前の話。

 

30代の時、同級生のNちゃんが亡くなった。

 

幼稚園が同じで、よく家にも遊びに行った。

 

幼い頃から初恋があったり、小学生では恋に勉強に運動に何にでも積極的で、私と同い年なのに、一歩先の世界を行くお姉さんのように感じたこともあった。

 

高学年の時、習っていた「公文の教室」が同じで顔を合わせると話をしたが、彼女はいつも中学生レベルの数学の問題をサラサラと解いていた。

 

昔から「色白の美人さん」で勉強がよくでき、大人びたところがあった。

 

高校からは別々の学校へと進学となり彼女との交流はなくなっていたが、20代になり居酒屋でバッタリ再会をした時は昔と変わらず、気さくに話ができる友達だった。

 

その時、彼女は元気そうに見えたが、「病院に通っている」と言っていた。

 

しかし「どこが悪いのか」を訊ねても教えてくれなかった。

 

ただ、「今は、だいぶ良くなったから」とだけ答え、微笑んでいた彼女の顔が忘れられない。

 

ある日、買い物から帰ってきた母が言った。

 

「高架下の会場でお葬式の準備がされてて、名前が同級生のNちゃんと同じだった」

 

「え!? 本人じゃなくて、同姓同名の別人じゃないの?」

 

返答しながらも嫌な予感がした。

 

急いで近所の高架下にある会場へと向かう。

 

「葬儀の看板に書かれた名前」と会場の入り口に立つ「喪服姿の女性」を見て愕然とした。

 

Nちゃんのお母さんだった。

 

何十年ぶりかに会ったNちゃんのお母さんは、疲れた様子ではあったものの気丈に振る舞い、会場での準備を進めていた。

 

近寄ると私に気づいてくれて、話ができた。

 

Nちゃんのお母さんは、死因を明かしてはくれなかったが、「朝になっても起きてこない娘の部屋に行った時、すでに布団の中で亡くなっていたこと」や「密葬で見送る予定だ」と教えてくれた。

 

翌日のお葬式に行き、彼女に別れのあいさつをした。

 

それから数日後、夜中、ふと目が覚めた。

 

誰かが来る気配。

 

ベッドの足元のほうには、ベランダへと出られるガラス戸と閉じられたカーテンがあった。

 

しばらくして、そのガラス戸とカーテンをすり抜けて入って来たのは、グレー色の小さな子猫。

 

私の足元の布団に着地した時、軽い感触が伝わってきた。

 

にゃ~!

 

子猫が鳴くとNちゃんがカーテンをすり抜けて部屋に入って来た。

 

「Nちゃん!!」

 

私は、心の中で同級生を呼んでいた。

 

「えっ、私が見えてる?」

 

「うん、見えてるよ」

 

Nちゃんは、とても驚いていた。

 

私の「目では見えない世界」が「見えてしまう体質」を知らない同級生は多い。

 

Nちゃんも、その一人だった。

 

初めは驚き戸惑っているようだったが、私に「最期の別れ」をして消えた。

 

亡くなった人は「四十九日までの間」に、今世で関わった人すべてに「お礼」などをしてまわるようだ。

 

今までに私の家へやって来たのは、Nちゃんだけではない。

 

ある日、母と私が夕食後にテレビを見ている時、母の横に立つ男性に気がついた。

 

座っている母に男性は「ありがとう」と言っていて、私は母に「男性の外見と言葉」を伝えた。

 

その男性は近所に住む「母の同級生」で、病気で亡くなり、お葬式のあった翌日だった。

 

また別の日。

 

会社が繁忙期で朝から晩まで働き、毎夜のように霊に起こされ、かなりの疲れと寝不足で休日に昼寝をすることにした私。

 

ベッドで気持ちよく寝かかっていると急に金縛りになり、私の枕の横に誰かが腰かけた。

 

かろうじて片目だけ開けることができて見てみると、男性の後ろ姿。

 

目を閉じて、今度は視力を使わずに見てみる。

 

60代くらいの小柄な男性で薄い頭に面長の顔、エンジ色とベージュの色の柄の入った服を着ていて、薄茶色のサングラスをかけていた。

 

「ごめんな~、ごめんな~」とつぶやいている。

 

同時に男性の感情も伝わってくる。

 

どうやら男性は自分の家族に謝っているようで、私の叔母の職場の人のようだった。

 

結局、眠気も吹っ飛び、昼寝を中断。

 

起きて、叔母に男性の事を伝えた。

 

このように亡くなった人は最期に家々を訪問するが、時間帯もバラバラ、「あいさつやお礼」をしてくれることもあれば、遺族へのメッセージを持ってくる場合もある。

 

こうして「今世での思い」「未練やしがらみ」などを自身で取り除き、四十九日目に「あの世」へと旅立つ場合が多いようだ。

 

自分の周りで誰かが亡くなったら、意識してみてほしい。

 

もし、その人の姿が見えない場合でも気配を感じたり足音がしたり、何らかの「サイン」があるはずだ。

 

タバコや香水が好きだった故人なら、その香りがする場合もある。

 

同級生Nちゃんは30代の若さで亡くなったが、彼女なりに一生懸命、悔いなく生きたのだと「最期のお別れ」の時に感じた。

 

人の死とは「長生きできたから良かった」とか「若いうちに亡くなってしまって可哀そう」とかいうものではない。

 

年齢に関係なく、「毎日をどれだけ濃く生きたか」が重要だと思う。

 

たとえ長生きしていても毎日ボーッと何もせずに過ごしているなら、人生の中身が薄く、得た知識や体験も少ないだろう。

 

若くても、毎日、考えたり努力を重ねて自分自身を磨いたり、いろいろな体験をする人生は中身が濃い。

 

この世には「肉体を持つことでしかできない体験をする為」に生まれてきているのだ。

 

Nちゃんを見習って、私も「後悔」や「やり残し」がないように生きたいと思っている。