霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【未来映像】一人暮らしをしたものの

留学をして一年以上が過ぎた春頃、私は「一人暮らし」を始めた。

 

アパート1階の1LDK

 

50代くらいのロシア人夫婦が、アパートの管理人だった。

 

リビングが20畳以上あり、キッチンは小さめだったが、クローゼットが広かった。

 

日本円で家賃5万円。

 

家賃や光熱費の支払いは、「小切手」でする。

 

渡米後、すぐに「現地の銀行口座」を開設をした時、窓口で「小切手」を渡されて驚いた。

 

「小切手!? いつ使うの?」

 

私は「小切手はセレブみたいなお金持ちが使うもの」と思っていたから、まさか自分が使う日が来るとは思ってもみなかった。

 

アパートから徒歩5分の所にはスーパーや郵便局、カフェ、更に5分歩くと人の少ない穴場のビーチがあった。

 

仕事や予定がない日は、夕方、白い砂のビーチに座り、エメラルドグリーンの海を眺めたり、カモメやペリカンを見て癒された。

 

時々、ビーチを「お年寄りと若者」が歩いていた。

 

これは当時、とても人気のある「バイト」だった。

 

フォートローダーデール」は、大金持ちの独り身のお年寄りが多く、その人達の「話し相手」をするバイトだ。

 

お年寄り達は、海の近くに建つ「高級コンドミニアム」に住んでいることが多かった。

 

私の友達もバイトをしていて、一度、連れて行ってもらったことがある。

 

コンドミニアムの部屋はとても広く、どの部屋からもキレイな海が見えた。

 

60代の男性は「有名な会社の会長」をしていて「毎年、働かなくても莫大な年収が入ってくる」と言っていた。

 

そのうえ数年前には妻と母親とを亡くしており「遺産」が入ってきていた。

 

「もう、これ以上のお金はいらないんだ。気軽に話せて、一緒にご飯が食べれる友達がほしいんだ」と言っていた。

 

彼の周りに集まる人は「お金が目的」ということが多く、「親友」と呼べる人がいないということだった。

 

小切手にしろ、バイト事情にしろ、「驚くネタ」がたくさんあるアメリカ生活。

 

毎年5月には、フォートローダーデールでの「エアショー」が2日間ある。

 

ジェット機や戦闘機、アパッチのヘリコプターなど、アメリカ空軍機が海上を飛ぶ。

 

また軍人や騎馬警官の制服姿も格好よくて、「アメリカの軍人や警察官だった頃の前世記憶を持つ私」としては、ワクワクが止まらない2日間だった。

 

楽しいことも多かったが、やはり「霊体験」も日常茶飯事だった。

 

それは「一人暮らし1日目」から起こった。

 

寝ていたら朝方に「金縛り」。

 

すると、男の子や女の子たちの笑い声がし始めた。

 

私の寝ているマットレスの周りに現れる「7人の子供たちの霊」。

 

全員10歳前後で、私の住み始めたアパートが建つ前に、そこに住んでいた子供たちのようだった。

 

その日から度々、私の部屋に現れるようになり、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」が始まる。

 

彼らが出てくるのは決まって朝方で、毎回、数時間は「金縛り」となり、語学学校に行く時間を奪われた。

 

「学校に行く時間なんだけど、鬼ごっこ、まだ続く?」

 

「あたしの声、聞こえてるよね? 質問した時、数人の子と目が合うし」

 

何度か質問をしてみたことがあるが、一度も答えてくれたことがない。

 

いつも「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」をして楽しく笑う子供たち。

 

日によっては「金縛り」が強く、いつのまにか眠らされていることもあった。

 

私の意識が戻っても、まだ「金縛り」の状態が続いていて、やっと子供たちが消えてくれた後には「全身筋肉痛」がお決まりだった。

 

「一人暮らしをしたら、ゆっくり寝れるかも」という思いは一度も実現することはなかったが、それでも私は「アメリカに住みたい」と思い続けていた。

 

しかし、この頃から「私の未来映像」が出てくるようになっていた。

 

それは「フロリダでの生活をやめて、実家に戻る」という色つきの映像。

 

その映像が出始めの頃は、「映像が出ていても、私はずっとフロリダで生活をする」と思っていたし、「寒暖差の激しい気候が体にこたえる日本」で再び生活するというのは絶対に嫌だった。

 

やがて、その「未来映像」は毎日出てくるようになり、多い時には「一日5・6回」ということもあった。

 

そして生活環境にも変化が出てきていた。

 

通っていた語学学校の終了時期が迫っていて「卒業をするか」、「大学へと進むか」を決めなければならなかった。

 

「学生ビザ」を持って渡米をしていた為、何らかの学校に通っていないと違法になる。

 

しかし私には「大学に行くこと」や「他の語学学校へ移って学ぶ」という意欲がなくなっていた。

 

「フロリダで普通の生活を長く続けていたい」という願いしかなかったが、「ゆっくり寝ることもままならない環境」ではそれも難しく、少しずつ体力も気力も萎えていった。

 

そうなるとバイトに行く気も失せてくる。

 

すると、あれだけ嫌だった「帰国」という言葉が、自然と「良い言葉」に思えるようになっていった。

 

「いったん帰国して、日本でゆっくり体を休めながら今後を考えるのも良いかも」と。

 

一人暮らしをしたものの、物事が空回りするようになっていき、心身ともに疲れ、少しずつ「未来映像」を受け入れる結果となった。

 

余談になるが、本来なら「未来映像」は何通りもあり、どれを選んでも良いし、「運命」は選択次第でいくらでも変えられる。

 

しかし当時の私の場合、「帰国」という「未来映像」しか出てこなかった。

 

「一人暮らし」をして数か月後、すべての荷物をまとめて私は帰国をした。

 

そして2か月ほどが経った頃、「アメリカ同時多発テロ事件」が起こった。

 

それは、2001年9月11日だった。

 

そして2001年9月18日と10月19日には、「炭疽菌事件」が起きた。

 

炭疽菌を封入した容器を封筒に入れてテレビ局などに送ったもので、「バイオテロ」とも呼ばれており、炭疽菌に感染をした負傷者や死者が出た。

 

フロリダの郵便局でも封筒が見つかりニュースになった。

 

この「2つのテロ事件」のニュースを見た時、「私の未来映像」が「帰国」という一つの選択肢しかなかった意味を悟った。

 

テロ事件後、空港が閉鎖されたり、出入国が厳しくなった為、もしフロリダに住み続けていたとしたら思うように帰国もできなかっただろう。

 

そして銃犯罪の多い環境に加えて「またテロが起こるかも」という不安の中、フロリダ生活をすることとなり、自分も日本にいる家族も心配の日々を過ごしたにちがいない。

 

そう思うと良いタイミングで帰国をさせてもらえて、私の「守護霊の段取りとお導き」に感謝しかなかった。