ホームステイ先に来た霊
私は大きなスーツケースを転がしながら、ブラジルにあるゴイアニア空港の中を歩いていた。
家を出てから、40時間ほどかかった。
国内線⇒成田国際空港⇒アメリカのロサンゼルス国際空港⇒ブラジルのサンパウロにあるグアルーリョス国際空港⇒ゴイアニア空港
乗り換えと長い待ち時間を繰り返し、機内食と軽食を合計7回は食べた。
初めて利用した「ヴァリグ航空」だったが、私の予約した席が「ダブルブッキング」となっており、一人旅だったことが良かったのか「ビジネスクラス」へと変更。
成田国際空港を離陸してサンパウロまでの空の旅は、おかげで快適にゆっくりと過ごすことができた。
サンパウロにあるグアルーリョス国際空港の国内線へは、現地ガイドの案内で無事に乗り換えも完了。
初めて訪れたブラジルは人が多く活気に満ちていて、見るもの聞くもの、すべてが珍しく興奮した。
ゴイアニア空港の出口には、フロリダでルームメイトだったA君が迎えに来てくれていた。
私がフロリダのフォートローダーデールでの留学を終えた時、ちょうどA君がブラジルへの一時帰国を予定していて、「南米に行きたい」と頻繁に言っていた私とスイス出身のB君とを誘ってくれたのだった。
A君とB君と私は、語学学校のクラスメイトでもあり、短期間の留学で帰国していく人が多い中、私達はフォートローダーデールでの長期滞在者でもあった。
A君の実家に約1か月滞在する。
8月ごろのブラジルは冬の季節だが、ゴイアニアは温暖な気候で湿気も少なく、最高気温が30度前後の爽やかな天気が続いたが、朝晩は肌寒い日があった。
街並みはとても綺麗で、たくさんのハチドリが花の蜜を求めて飛び、野生のフクロウやインコが公園や広場にある木々の中で見れた。
A君の家はコンドミニアムの高層階にあり、広いワンフロアーがすべて住居となっていて、そこにはA君の両親と妹、お手伝いさんが2人住んでいた。
A君の父親の家系はドイツから、母親の家系はポルトガルからの移民であり、ブラジルに広大な土地を所有していて不動産や建築の仕事をしていた。
妹さんの眺めの良い部屋を借りることとなり、そこには専用の風呂場とトイレも備わっていて快適だった。
しかし、部屋の棚のあちこちに「高さ20センチ弱のセラミックの古い人形」が飾られていることだけが気になっていた。
顔の所々が黒く汚れていたり色が剥げていることが更に不気味さを増していて、私は自分の荷物を広げるより先に、全ての人形を後ろ姿だけが見えるように配置をした。
どの人形の目も気持ち悪かったからだ。
そして滞在中は、できるだけ人形を見ないで過ごすように心がけながら、ブラジルを楽しむことにした。
ブラジルの首都であるブラジリアは近代的な建物が多く、車で郊外に行くと乾燥した大地が地平線まで広がり、森では野生のオウムなどのカラフルな鳥、川ではワニなどが見られて、夜には南十字星のある満天の星空。
北半球にある日本の月は「ウサギがモチをついている」ように見えるとされているが、南半球にあるブラジルでは、月の模様も違って見えた。
コンドミニアムから車で1時間ほど走ると地平線まで広がるA君の両親が持つ広大な農場があり、その中には森があったり川が流れていたりもするが、たくさんの従業員が住み込みでコーヒー豆・パパイヤ・グアバなど様々な農作物を育てていて、日本やスイスからやって来た私達を歓迎してくれた。
従業員の人達は貧しく、学校にほとんど通えていない時期があったりして、「日本がどこにある国なのか」知らない人も多かった。
ブラジルでは貧富の差が大きく、路上で生活をしている子供を見かけることもあった。
そんなゴイアニアは強盗事件が多発していて、銀行への出入りの際は、銃を携帯していたり盗みをしていないかを調べる為に必ず「エックス線検査や金属探知機」で体をチェックされる。
日本人女性は、身代金目的で誘拐されることがあるから「一人歩きは絶対しないように」と私はA君の母親から何度も言われていた。
国が違えば、文化も習慣も違う。
ブラジルでのスーパーは、とても面白かった。
見たことのない野菜やフルーツが山盛りに置かれ、ポルトガル語で書かれたコーヒーやお菓子のパッケージは可愛いく、「ガラナ」というブラジル国民が愛する飲み物もある。
アマゾンにあるガラナの木の実から作られ、爽やかな甘さがある炭酸飲料だ。
ピラルクのウロコが「靴ベラ」になっているのにも驚いた。
しかし見た目と違って、ピラルクもナマズも臭みが全然なく、とても美味しい。
ブラジル発祥のアサイボールやポンデケージョを食べて、濃いめのコーヒーを飲む朝。
シエスタで家族全員が集まり、昼食や昼寝の時間をゆっくり取ってから、A君のお父さんは職場にまた戻っていく。
そして夕方に軽食があり、19時頃に晩ごはん、そして寝る前のコーヒータイムと続く。
一日5食。
慣れない習慣で、なかなかお腹が減らなかったが、目の前に出されると毎回、食べ過ぎてしまう。
それほどブラジル料理は、どれを食べても美味しかった。
夜のレストランでも音楽の生演奏を聴きながら、オープンテラスでブラジルのお酒を飲んだ。
みんな陽気で踊っている人達もいたりして、ポルトガル語がわからない私でも楽しめた。
また温水プールに行ったり、A君の妹の大学の卒業式に参加したり、クラブに踊りに行ったりして、私はブラジルを肌で感じた。
だが、夜中はほとんどが格闘だった。
部屋ではラップ音があちこちで聞こえ、金縛りにあう日が多く、それを解く為にもがき疲れる。
その日もA君とB君と夜中に帰宅をして、妹さんの部屋に一人戻り、シャワーを浴びてベッドにもぐった。
しばらくすると、遊び疲れた体に金縛りがかかる。
いつもより強力で体が全然動かせず、横向きの体制のまま警戒していると、急に空気が重くなったように感じた。
その時、ナゼか急に私は、1か月ほど前に実家で観た「心霊番組」の一場面を思い出した。
それは、キャンプをしていた人が川の写真を撮った時に「奇妙なもの」が写っていたと投稿した「心霊写真」だった。
川面の一部が「真っ黒な長い髪の毛のようなもの」で覆われている写真だった。
心霊ビジネスによって「心霊番組」に寄せられる動画や写真の中には、うまく作られた物も多いが、その写真をテレビで観た時は、ゾッとした。
そのことを思い出した瞬間、私の胴体には無数の黒い髪の毛がびっしりと巻きついていた。
そして、ギリギリと私の胴体を締め上げていく。
体に髪の毛が食い込む痛さと息苦しさ、意識が飛びそうになるほどの強力な金縛り。
左耳の耳鳴りと部屋のラップ音も激しさを増す中、私の胸のあたりに巻きついていた黒い髪の毛の中から20代くらいの女性の霊が現れる。
彼女からは男に裏切られた怒りと悲しみ、川で殺された最期の場面とが伝わってきた。
すると、部屋の外の廊下から足音。
そして私の背後にある部屋のドアから誰かが入ってきた。
それは「黒い法衣」を着た私の祖母の霊だった。
祖母もまた幼少期から霊視ができる人であり、生前、高野山で修行をした経験も持っていた。
金縛りで目が開けれない場合でも、毎回、私には部屋や家全体の様子が隅々まで見えている。
「目では見えない世界」を見る時は、眼球を必要としない。
祖母は私の背後から、私を抱きしめるようにしてベッドに横たわった。
祖母の温もりと私を守ろうとする思い、愛情とが一気に私に伝わってきて光に包まれたように感じた。
すると胴体に巻きついていた無数の髪の毛が切れ、女性の霊は驚いて悲鳴をあげ、そして消えた。
金縛りが解け、ラップ音と耳鳴りがおさまり、祖母も消えた。
部屋にあった人形のうち数体が、棚の上に倒れていた。
古い人形には、人の思いが入っていたり、霊も宿りやすい。
部屋が霊にとって居心地の良い場所になっていたところに霊と波長の合いやすい私が滞在し続け、「心霊写真」を思い出したことで「写真の女性」を日本からブラジルへと引き寄せてしまったようだ。
祖母が助けてくれたことで、この日以降、人形の気持ち悪さも金縛りもなく、心からブラジルを満喫した。
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