霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

相手を助けると自分も助けてもらえる

昔から「良い行いを人にすれば、自分に良いことが戻ってくる」という言葉を聞く機会が多かったが、正直なところ、学生の頃は実感がわかなかった。

 

しかし20代後半の体験で、理解ができるようになった。

 

当時、アメリカ留学とブラジルでのホームステイを終えて実家へと戻り、何日間も出てくる私自身の未来映像を見ながら「今後をどうするか」悩む日々を送っていた。

 

いくつかの未来映像のうち心がワクワクしたのが、やはり海外で生活をしているもので、黒いスーツ姿で働いている自分を見ると「海外永住の可能性もあるかもしれない」と心が躍った。

 

だが同時に「目では見えない世界での体験」による過酷な生活の可能性も未来映像には含まれており、不安もあった。

 

実家に住み、慣れ親しんだ保険事務の仕事をする未来映像もあり、それは金銭面でも精神面でも安定した生活となるとわかっていたが、当時の私には選択ができなかった。

 

「目では見えない世界」を追求し、自分自身を磨くことは「安眠を手に入れること」にも繋がるからだった。

 

実家にいても海外で生活をしていても訪問してくる霊が多く、ほとんど熟睡できない毎日で、経験を積んで少しでも自分のレベルを上げることで下級霊を寄せ付けないように、また視野を広げることも必要不可欠だった。

 

そんな訳で、また海外に行くことにした。

 

どこの国にするかを決める為、情報を集めに出かけると街中のあちこちで「オーストラリア」の文字が目につくようになった。

 

すると通りがかった旅行会社で「オーストラリアでワーキングホリデー」のパンフレットが目につく。

 

早速、旅行会社の中にある留学やワーキングホリデーの部署に行き、出発の手続きを始めた。

 

オーストラリアのゴールドコーストで「海外カウンセラー資格」を取る為のインターンシップとワーキングホリデーに行くプラン。

 

数か月後に出発を控えたある日、同級生のW君を街中で見かけ、声をかけた。

 

5年ぶりに再会をしたW君は、私の顔を見るなり驚くことを言った。

 

数日前に私が帰国をしていることを友達から聞き、「ずっと連絡を取りたいと思っていた」と言う。

 

そして「もし今後も海外に行く予定があるなら、俺も一緒に連れて行ってくれ」と。

 

彼は割烹料理の板前をしていて「いつか海外で自分の腕を試したい」と思っていたが、海外生活をする手続きや段取りの方法がよくわからない状態だったと言う。

 

当時は、まだまだ留学もワーキングホリデーに行く人も少なく、海外での日本食レストランも少なかった。

 

私は彼を連れて行く為にワーキングホリデーやホームステイの手続きなどを率先してこなしていった。

 

渡豪の当日、同級性のW君と同じ飛行機に隣同士に座っているのが不思議な感じがした。

 

冬の日本から夏のゴールドコーストに到着し、空港で夏服に着替える。

 

晴天で白い砂浜に真っ青な海のサーファーズパラダイスに到着。

 

波がとても高くサーファーがたくさんいて、浜辺にはライフセーバー達が海の安全を守っている。

 

そんな海の近くで私達は1か月間だけ、それぞれの場所でホームステイをする予定だった。

 

その間に彼は、アパートと仕事を探す。

 

私は、海外カウンセラーの資格を取る為のスケジュールをこなしながら、アパートを探す予定だった。

 

海外カウンセラーは留学する人にアドバイスをしたり、現地の情報を伝えたり、留学生とホームステイ先の仲介などをしたりする。

 

その為、現地の観光名所や語学学校、ホームステイの受け入れをしている家族に会いに行ったり、ボランティア活動をしたりと忙しい日々を送った。

 

アパートも見つかりルームシェアをするが、私の場合、アメリカ留学と同様で金縛りも多く住むことが困難となり、2か月に一度は住まいを変える状態だった。

 

そんな中、日本人のMちゃんと出会い、一緒に住むことになった。

 

彼女も海外永住を希望している一人で、いつも穏やかでワインが好きなMちゃんと飲んで話をしているとホッとした。

 

ゴールドコーストに滞在して8か月くらいが経った頃には資格を取得し、私はツアーガイドとして黒いスーツを着て働いており、充実した毎日を過ごしていた。

 

しかし、いつまで経ってもゴールドコーストでの暮らしは、私にはしっくりこなかった。

 

旅行と違って住んでみると「土地の合う・合わない」が必ずある。

 

何か不満があったわけではない。

 

ただ「この土地ではない」という感覚と馴染めず落ち着かないモヤモヤ感があった。

 

一方、同級生のW君は、ずっとラーメン屋でバイトを続け、友達も増え、英語も少しずつ話せるようになり、日本人の彼女もできて楽しそうだった。

 

板前の腕を活かして、バイト先で日本料理やお寿司も提供をしていた。

 

私が帰国を決めた頃、W君の彼女の妊娠が判明し、彼は結婚を決意した。

 

そして彼はオーストラリアに住み続けている。

 

私は帰国後、一年の寒暖差が少なくビザが不要な沖縄に行こうかと考えていた。

 

そんな時にゴールドコーストでルームメイトだったMちゃんから電話があった。

 

帰国していた彼女も同じように沖縄行きを考えており、すでにホテルで働く為に履歴書を郵送し、採用の回答を待っているところだった。

 

私も同じホテルを受けることに決め、履歴書を送った。

 

数日後には電話での面接があり、とんとん拍子に採用と沖縄に行く日程が決まった。

 

そのことを伝える為にMちゃんに連絡すると彼女は沖縄行きを止めて「ハワイに行くことにした」と言う。

 

彼女の履歴書は、なぜか郵便ポストの中に何日も置き去りにされていたことが判明し、郵便局長が謝罪に来たとのこと。

 

ホテルに履歴書が届いていなかったことを知らなかった彼女は、「不採用だったのだ」と思い、ハワイ行きに気持ちを切り替えていた。

 

人の出会いや運命の流れは、とても不思議なものだ。

 

今思えば、私がゴールドコーストに行ったのは、同級生W君の手助けとMちゃんに出会う為。

 

同級生W君にとっては転機の時期であり、私との再会も彼の守護霊の段取りだったように思う。

 

私はMちゃんと出会ったことでホテルの情報をもらえて助かり、沖縄での生活が転機となった。

 

どう考えてもポストの中に履歴書が放置されていたことは、普通ではありえない。

 

Mちゃんにとっては私に沖縄のホテルの情報を教える為に、いろいろ調べてくれたような結果となった。

 

そしてハワイに行った彼女は、そこで出会った男性と結婚し、今はアメリカのラスベガスに住んでいる。

 

もしW君と再会をしていなかったら。

 

もしMちゃんの履歴書が、ちゃんとホテルに届いていたら。

 

全然違った未来になっていたかもしれない。

 

 

 

オーストラリアでは水よりワインが安く、よく飲んだ。

 

普段は辛口のワインを飲むが、オーストラリアで初めて「貴腐ワイン」というものを知って、はまった時期がある。

 

別名「デザートワイン」とも呼ばれ、甘味があり、熟成によって色も濃く、味も濃厚に値段も高くなっていく。

 

私はバニラアイスにかけて食べるのが好きだった。

 

安い貴腐ワインとアイスでも、合わせるとリッチな味わいになり、心を満たしてくれた。