【前世の記憶】琉球王国のノロ
沖縄本島への移住を1か月後に控えたある日、夢を見た。
自分の前世の夢を見る時、いつも懐かしい気持ちになるのとナゼか悲しくもないのに泣けてくる。
その夢は、暗い夜の海から始まる。
松明の明かりが、数隻の小さな木造船を照らしている。
船には白い着物を着て、長い髪の毛を後ろに束ねて白いハチマキをした10代の女性が2列になって15人ほど牛ぎゅう詰めで乗っている。
彼女達の一番後ろに座っているのが前世の私。
前世の自分を見た瞬間、情報が蘇ってくる。
当時の私は琉球王国の「ノロ」(琉球神道の女性の神官・巫)であり、木造船に乗っている10代の女性達を率いるリーダー。
たしか全部で3つか4つのグループがあり、すべてに「〇〇の福久」という呼び名がついていて、私のグループは「海の福久(うみのふく)」と呼ばれていた。
私は30代くらいの年齢で同じように白い着物を着て、長い黒髪を後ろに束ね、胸元には水晶からできているような5つの勾玉がついた長めのネックレスをしている。
どこかの海岸に数隻の木造船が着くと50人ほどの女性達が一斉に船から降りて、松明やロウソクを片手に列を成して木々の中を入っていく。
足元は石でできた道のようになっていて、歩くほどに木々は険しく、大きな岩がいくつも現れる。
そして目的の岩場までくると女性達は整列して正座をし、朝日が出てくるまで祈り続けた。
この夢を数回見た。
いつも夜の暗い海から始まって内容が同じだが、天候だけが違っていた。
晴れている日もあれば雨の中を歩いているものもあったから、前世では何度も儀式の為にそこを訪れていたのだろう。
だが、どこの場所かまではわからなかった。
実際に沖縄で滞在をするまでは。
私が移住後、しばらくしてから友達が「斎場御嶽(せいふぁーうたき)に行きたい」と言った。
初めて聞く言葉で、どういう所なのか全然わからなかった。
しかし行ってみると、そこは夢で何度も見た場所だった。
斎場御嶽(せいふぁーうたき)は、琉球王国の時代に国家的な祭事をする男子禁制の聖地。
国王の姉妹や王女は「聞得大君(きこえおおきみ)」として任命され、たくさんいるノロの頂点に立つ神女として斎場御嶽(せいふぁーうたき)で祭事を行い、神の声を聴き、それを国王に伝えて国を守ったとされている。
実際に斎場御嶽(せいふぁーうたき)に立つと空気が澄んでいて、周りの木々や岩からの光のエネルギーを肌で感じることができ、当時の祈りが聴こえてくるような懐かしさがあった。
別の日。
私の前世の記憶に興味を持ったホテルスタッフが、「系図屋」を紹介してくれた。
現在も琉球王国の国王の血をひく一族や仕えた士族の子孫が暮らす沖縄では、戦争などで家系図や資料が燃えたりして自身のルーツが不明なことも多いらしい。
その家系図を文献や資料などを基に調べ完成させていく職業が「系図屋」だ。
60代の男性は、琉球王国時代の城跡、国王や士族のお墓などに連れて行ってくれた。
そうすることで新たに蘇る記憶もあるだろうからと。
そして男性の思惑通り、各地で私は少しずつ当時を思い出していった。
首里城の内部、広場になっているような所にノロである女性がたくさん集まっている記憶。
そして当時の私は首里城の中に自分専用の部屋を持っていて、ツヤのある濃い茶色の板の間に座り、向かいにいる10代の女性4人に神事の指示を出している記憶。
お墓に行くと国王や后・士族の親子の霊が姿を現し、私は「系図屋」の男性に彼らの外見や着物・冠やかんざしに至るまで伝えた。
仕事の資料として役に立つはずだから。
二度に及ぶ沖縄生活は、私の前世をたどる為でもあったようだ。
余談になるが、私は昔から「琉球王国」という単語に惹かれることが多く、琉球言葉やや民謡を聴くと魂が揺さぶられるような不思議な感覚になる。
そして父からは何度も「おまえは、沖縄へ新婚旅行に行った時に授かった子供だ。だから沖縄と縁が深い」とも言われていた。
また琉球王朝を舞台とした「テンペスト」が話題になった時、観に行く予定をしていた叔母が当日に体調を崩し、急遽、私が行くこととなった。
今思えば、これらのことも前世の記憶を蘇らせる為の要因だったのだろう。
今世の私は沖縄生活でも「目では見えない世界」と向き合い、日々、格闘のような状態だったが、「ノロ」をしていた前世でも神や精霊の声を聴き生活をしていたことを思うと妙に納得してしまうところがある。
「やっぱり私の人生は、スピリチュアルを探求していくようになっているんだな」と。
落花生の豆(ピーナッツ)をすりつぶして、サツマイモのデンプンと合わせ作られている。
モチモチの食感がクセとなり、タレの甘辛さが病みつきになる。
何個でも食べられる美味しさだ。
黒ゴマや黒糖のジーマーミ豆腐もある。