気(オーラ)も動かしてくれるマッサージ
あっという間の一年だった。
今年は、特に家族の体調不良や家のことに追われた。
仕事の忙しさもあって、心身ともに疲れ、私自身も体調不良となる日が多く、夏から秋にかけては、体重が4キロ減っていた。
身体の疲れや痛みを取りたい時、私は病院ではなく、まず気功師のいるマッサージへと行く。
誰もが気(オーラ)を持っており、それは身体を包むように存在する。
身体に不調があると、気のエネルギーも弱くなったり、痛みの出ている部分の気が暗く見えたりする。
気功師は患者にエネルギーを与え、弱った気を元に戻していくことで免疫や自然治癒力を上げ、身体の不調を整えていく。
「気」が「元」に戻るから、「元気」になっていく。
整体やマッサージなどを職業にしている人は多いが、大半は身体のみの治療の為、日が経つと痛みが再発してくる。
それに、気の弱った患者に触れることで、整体師やマッサージ師の方が、気を奪われてしんどくなる場合もあるようだ。
だが気功師は、自身の気を与えることも奪われることもない。
自分の身体を媒体として、新たなエネルギーを取り込み、それを気として手のひらから出し、患者に与えている。
気功師は、私の身体に手をかざしたり、軽く患部にのせるだけだが、その手のひらはカイロのように温かい。
そして気功師の手から注がれる気が、私の全身に波紋のように流れ込むのを感じることができる。
頭から足先までが快感でしびれるような状態で、全身が温かくなり、眠気がやってくる。
1時間ほどの治療は、精神的にも癒される。
治療後は、頬に赤身がさして肌つやも良くなり、視界も明るくなったように感じるのだ。
そして毎回、大量の水が飲みたくなり、トイレに頻繁に行くようになる。
滞っていた気や身体の機能が正常に戻っていくことで、体内の毒素を出そうしているのかもしれない。
おかげで、心身ともにスッキリする。
今まで、整体・マッサージ・カイロプラクティックなど、様々な所に行ってきたが、気と身体、両方の治療ができる人は数少ない。
しかし、その気功師たちがいてくれると思うだけで、心強い。
また心身ともに疲れても、そこへ行けば、癒しと元気をもらえるから。
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物や場所には想いや記憶が宿る
もみじやイチョウが、色とりどりに染まる紅葉の季節。
この時期の京都は、とても風情がある。
家族や友達と年に数回、京都を訪れ、観光名所を歩き、紅葉や川を見ながら美味しいものを食べる時間は、格別だ。
しかし、国の中心を担っていた歴史ある京都での散策は、時々、私にいろいろな場面を見せてくる。
家族と嵐山に行った時のこと。
時代劇に出てきそうな竹林の小径へ行った。
写真を撮っている人や立ち止まって竹を観察する人など、観光客がとても多かった。
私達も竹を愛でながら、周りの人が少なくなるのを待っていた。
そんな時、慌ただしい気配と足音がして、そちらへと目を向けた。
血相を変えた若い武士が、ものすごい勢いで走ってくる。
私は即座に後方へと飛びのき、武士に道をあけた。
突然の私の行動に、周りは驚き、怪訝な顔を向けてくる。
誰も若い武士が見えておらず、私の家族でさえも驚いていた。
若い武士を見たことで、私の中の、目では見えない世界を見るスイッチが入ってしまった。
辺りを見回すと、現在の町並みや竹林の小径に重なるようにして、武家屋敷などの昔の町並みが現れていた。
場所には、人の想いや記憶が宿り、また過去・現在・未来は同じ所に存在している為、過去と現在の風景とが重なって見える。
歴史ある京都では、武士の霊を見かけることも多い。
京都や全国各地に残るお城周辺では、刀や槍を持った鎧兜姿の者たちの戦が見えることもある。
同じように、物にも人の想いや記憶が宿る。
欧米では、超能力捜査官とよばれる人たちがいる。
彼らは、行方不明者や事件によって亡くなった被害者の写真や愛用品から想いや記憶などをたどり、捜査をする。
遺品や形見の品は悲しみだけでなく、故人との思い出を繋ぎ、遺族の心の支えとなることもある。
また新しい服や物を買うことに喜びを感じ、手に入れた後は、着ることも使うこともなく、部屋に置いたままという人がいる。
日頃のストレスなどから、状況や環境を変えたいという思いが、衝動買いに繋がっている。
新しい服や物には、新鮮な気が宿っている。
それを家に持ち帰ることで、部屋の空気が変わり、気分が晴れる。
しかし、あっという間に、その気は色あせてしまうから、また新しい物が欲しくなる。
そういう人には、断捨離がオススメだ。
使わない服や物を捨てることにより、あいた空間に新しい気と風が流れる。
気分もスッキリするだろう。
身体を乗っ取られる
私が、高校生の時に体験をした話である。
3泊4日だったと思うが、スキー合宿へと行った。
バスの中では、雪景色を見ながら、クラスの友達としゃべりまくり、楽しく過ごしていた私だった。
だが、宿舎の玄関に入った途端、急に気分が悪くなり、その場にうずくまった状態で、一歩も進めなくなった。
突然のことで担任の先生も友達も驚き、私を抱えるようにして、玄関から一番近い食堂の板の間へと連れていってくれた。
熱も身体の痛みも無かったが気分が悪く、目が開けているのがしんどい状態で、私は板の間に敷かれた布団で、いつの間にか眠っていた。
周りの話し声や笑い声で、ふと目が覚めた。
身体は鉛のように重く、起き上がることができない。
食堂では、晩ごはんの時間が始まっていた。
目覚めた私に気づき、先生や友達が、様子を見に話しかけてくれる。
だが、頭の中にモヤがかかっているような感じで考えがまとまらず、目の前にいる先生や友達の声がとても遠くに聞こえ、話そうとしても、声がほとんど出なかった。
お腹は空いているのに気分が悪く、身体を動かそうとすると、一層、気持ち悪さが増した。
今まで経験したことがない症状だった。
部屋割りが決まっていたが、原因のわからない症状の私をクラスメイトと同じ部屋に入れるわけにはいかず、かと言って、他に寝かせる場所もなく、私自身も一歩も動けず、
先生たちも困りはて、結局、食堂の板の間で過ごすことになった。
晩ごはんが終わり、みんな各部屋へと戻っていった。
私は同じ姿勢のまま、トイレやお風呂にも行かず、寝て覚めてを何度もくり返していた。
ざわざわざわ
何かの気配と物音がして、目が覚めた。
だが、身体が金縛りで動かない。
食堂の電気は消され、真っ暗になっていた。
私の布団の周りで、たくさんの気配と何かを話しているような声がする。
しかし、姿は影に包まれていて全然見えない。
大勢の話し声が重なって、何を話しているのかもわからない。
時々、「この娘は・・・」とか「やってきた」と単語が聞き取れる程度だった。
私のことについて話し、たくさんの目が私を見つめて、様子をうかがっているような印象だった。
私は、どのくらいの時間、寝ていたのか。
今は、何時なのか。
モヤがかかったような頭で考えてみても、何もわからなかった。
急に気配が消え、金縛りが解けた。
吐き気がなくなっていて、起き上がれるようになっていた。
私は布団から出て、トイレに行くことにした。
時計を見ると、夜中の2時を過ぎていた。
見回りの先生にも会わず、部屋も廊下も、とても静かだった。
私は長い時間、宿舎の中をあてもなく歩き回った。
そして、布団へと戻って眠った。
二日目の朝、私は再び、気持ち悪さで動けないでいた。
昨日から何も食べていないのに、この日も食べられず、わずかな水を飲むだけで、襲ってくる睡魔に勝てず、ずっと寝ていた。
友達は、スキーを楽しんでいた。
晩ごはんの良い匂いがする頃には、お風呂を終え、満喫した時間を過ごしてきたクラスメイトの顔がそろっていた。
同じ食堂にいるのに、ご飯も食べれず、お風呂にも入れず、ずっと寝たきりの私の所だけ時間が止まり、影に覆われているかのような差があった。
そして夜中がやってくると、私の身体は自由に動けるようになった。
だが、お腹が空いていても、ご飯を用意してくれる人は、夜中にはいない。
先生を起こそうと考えたが、頭の中のモヤは晴れず、先生の居所がわからない。
誰かに声をかけたいと思うのに、誰一人として会わない。
今思えば、私と接触しないように、全員が眠らされていたのだろう。
三日目の朝、気分の悪さに加えて、ご飯を食べていないことで身体に力が入らなかった。
医師の診察を受けても「異常なし」と言われ、薬を飲んでも症状は変わらない。
寝ている時間だけが、長くなっていった。
最終日の晩ごはんは、すき焼きだった。
生徒の歓声やお皿の音などが聞こえる中、私は浅い眠りをくり返した。
夜中には、また私の布団を囲む気配と声がした。
金縛りで動けなかったが、吐き気がマシになっていたことが嬉しかった。
だから、長時間の金縛りでも耐えることができた。
しかし、朝になると身体の症状は戻り、動けない状態になっていた。
出発時間となり、私は友達の肩を借りながら、なんとかバスに乗った。
バスが出発して30分ほどが経った頃、突然、私の身体は軽くなり、通常の状態に戻った。
吐き気が治まり、頭のモヤが晴れ、一気に食欲がわき、持っていたお菓子を手当たり次第に食べまくり、大量の水を飲んだ。
少し前まで顔面蒼白で、ほとんど歩けなかった私の急変ぶりに、周りは驚いていた。
頭がスッキリとして、私は気づいた。
霊にとりつかれると、身体がどうなるかということを。
宿舎にいたのは、雪山で亡くなった大勢の霊だったのだ。
そして、霊感の強い私にすがって来ていて、私を宿舎にとどめる為に、身体を弱らせようとしていたのだ。
もし一人で宿舎に滞在をしていたら、私はあのまま霊に取り込まれ、身体が弱り、餓死していたかもしれない。
しかし、学校からのスキー合宿だった為、手助けしてくれる先生や友達がいたから、無事に宿舎から脱出できたのだ。
宿舎を出て、雪山から遠ざかった為に、霊が身体から離れ、私は元に戻った。
近年、自殺者や事故物件も増えており、霊の数も多くなっている。
頭にモヤがかかったような感覚や記憶がないといった症状、原因不明の体調不良、味覚が変わったりした場合は、霊によって身体に影響が出ているのかもしれない。
本に呼ばれる
この数か月、同居人の体調不良もあり、今まで以上に仕事と家事に追われ、ホッできる時間がなく、毎日が過ぎている。
ゆっくりショッピングがしたい、と思うものの、数日ぶりの食料品などの買い出しで、すでに荷物は重く、帰宅しなければならない時間も迫ってきていた。
そんな時、本屋の前を通りかかった。
私は本屋が好きで、普段なら何時間でも飽きずに滞在できる。
しかし、今は時間に余裕もないし、荷物も増やしている場合でもない。
家に帰って、仕事をしなければ。
それなのに、本屋の中から声が聞こえるのだ。
その声を聞くと、私は本屋に入らないと気がすまない。
たとえ、どんな状況でも。
重い荷物を抱えながら、店内に入る。
この日、声がしていたのは、精神世界の棚にあったマンガからだった。
その表紙を見て、驚いた。
数か月前にそのマンガの存在を知り、読みたいと思っていたが、昔に出版された物は、オークションで10万円を超えたとされる話題の本で、手に入らないと思っていたからだ。
復刻改定されて本屋に並んだ初日に、私はマンガ本に呼ばれ、手にすることができた。
本の声というのは、人間の声とは全然違う。
本が明るい白い光を放っているのが見え、頭の中に直接、音のような振動のようなものが入ってくるのだ。
昔から本屋に入ると、本に呼ばれる。
多い時は、あちこちの棚に置かれた本から、お呼びがかかる。
私は、その声を聞きながら、本を手にして、軽く文章に目を通す。
すると、何気なく開いたページに、私の知りたかった答えが載っていたり、今後に必要な情報があったりする。
これは、私自身の守護霊が段取りをして、本を通して回答や情報を与えてくれている。
自分で本を選んでるように思っている人が多いが、実際は本に呼ばれて、手に取っている。
本からの白い光が見えていなくても、声が聞こえないと思っていても、誰もが第6感を持っているから、自身の気(オーラ)を通して反応している。
私は、更に重くなった荷物を抱えて、家に戻った。
ゆっくりと本を読む時間は、今は取ることができないが、毎日、数ページずつ読み進めている。
漫画家の見た夢が、次々と現実となり、話題になった本だ。
世の中には、不思議な体験を持つ人が多い。
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墓場に集まる霊
ようやく朝晩、涼しくなってきた。
夏の猛暑による寝不足と疲れもあって、朝が涼しくなってくると、いつまでも寝ていたくなる。
数年前までは、想像もつかなかった。
長時間にわたって、朝まで熟睡できる日が、やってくるなんて。
40代前半まで、私は浅い眠りしか取れなかった。
たとえベッドに長い時間、横になっていたとしても、熟睡できるのは2~3時間程度で、あとは物音で目が覚めたり、霊に起こされ想いを聞かされていたり、時々、金縛りによって体力消耗したり・・・ほとんど眠れないまま、いつも朝を迎えていた。
眠れない日々が本格的に始まったのは、5歳くらいから。
数日前、久しぶりに、子供時代に住んでいた家の前を通りかかった。
今ではオシャレな新しい家に変わり、若い夫婦と子供が住んでいるが、当時は木造2階建てだった。
ここの家族、ちゃんと眠れてるのかしら。
その家を見ながら、ふと思った。
私が小学生の頃、木造の家の中では、たくさんの霊の気配と声がしていた。
切断された頭部を、首から落ちないように両手で押さえながら、階段を下りてくる女性。
床の間に座っている女性。
庭の片隅に立って、家の中を見ている男性。
頭にナタが刺さったままの、白い着物姿の女性など。
何度も目撃し、勉強中や寝ている時に名前を呼ばれることも、しょっちゅうだった。
私は一人っ子で、自分の体験を他の子供に話す機会がなかったし、祖母も父も霊が見え、数多くの霊体験をしていたから、このような怖い体験は、誰もがしているもので、この恐怖を乗り越えて、みんな大人になっているのだと思っていた。
しかし、小学校に入学をして、同級生と過ごしていくうちに、霊が見えていないこと、人の感情が読めないこと、夜はしっかり眠れていることを初めて知り、驚いた。
どうりで夏になると、お化け屋敷や肝試しに行った話、怖い話のテレビ番組で盛り上がるわけだ。
私にしてみれば、怖いのが日常茶飯事だったから、わざわざお化け屋敷や肝試しに行く人が不思議だったが、見えていないことを知ってから納得がいった。
それに私は、小学3年生くらいまで、相手と目を合わせるだけで、会話をしなくても相手の感情が読めることがあったり、じゃんけんで何を出すのか、前もって映像が飛んで来ることがあった。
私へのサプライズを用意されていても、前もって映像が届いて知ってしまうこともあり、どんな顔をしてプレゼントを受け取れば良いのか、わからないことも多かった。
子供の頃、霊体験などの目では見えない世界でのことが、色鮮やかで、驚きや怖さの度合いが高すぎて、学校生活などの目で見える世界での出来事は、どれも平和的で、友達が怖がっていても、私にとっては、たいしたことがなかった。
だから私の通知表には、『喜怒哀楽が乏しく、子供らしさがない』『大人びている』などと、よく書かれていた。
今思えば、子供の頃は感受性が強く、人と目を合わすことが苦手だったり、昼夜を問わず霊が現れる怖さとで、常に気が張っていた。
夜が眠れず、昼寝で寝不足を解消しようとしても、結局、霊に起こされて眠れない。
同級生から「昨日は爆睡だった」などという話を聞くたびに、うらやましく思ったことが何度もあった。
しかし、中学生くらいになると、爆睡してみたいという思いより、目では見えない世界の仕組みについて、の探求心のほうが勝っていった。
その頃には、霊体験にも人の目にも慣れ、まったく怖さを感じなくなった。
家で何度も目撃していた、頭にナタが刺さった女性や切断された頭部を持つ女性を見て、なぜ、そんなことになっているのか、と興味が湧くようにもなっていった。
だが彼女達は、私の名前を呼び、姿を現すだけで、何も言ってこない。
他の霊も、ただその場所に立っていたり、うずくまったりしているだけで、何の要求もしてこなかった。
20代になった頃、私の生まれ育った地域が、昔は墓地だったことを知った。
そして旦那さんに、ナタでなぶり殺された女性の話も聞いた。
家に現れていたのは、昔、墓地だった所にいた成仏できていない、たくさんの霊だった。
かなり昔に墓場は壊され、その土地に住宅街を造ったようだ。
だが、霊はその場所に残ったまま。
長い月日が流れ、その場所にお墓があったことを知る人もいなくなっていた。
たくさんの霊が居着いている土地に建った家に、私は高校生まで住んでいたのだ。
現在、家は新しくなっているが、墓地だった土地は変わらず、あの時の霊もずっといるに違いない。
死後の世界では、時間というものが無いし、この世の執着や未練を霊自身が手放さない限り、あの世へと旅立つことはないから。
他の地域でも、こういった土地はあるだろう。
元は墓地だったり、戦場だったり、処刑場だった土地を住宅街へと変えている所が。
そういった場所は、霊も多い。
どういう土地に住んでいるのか、知っておくことも大切だと思う。
夏は、虫よけとアロマとを兼ねて、ミントやティーツリーの香りを使っている。
朝までグッスリ眠れるから、気に入っている。
鳳凰(ほうおう)
夢を見た。
黒煙の中にいるかのように、歩いても歩いても視界が悪く、自分の足元でさえ見えない。
息苦しく、酸素を求めて深呼吸をしたいのに、刺激臭の臭いで、それもできずにいた。
自分がどこへ向かって歩いているのかもわからず、時々、黒煙が薄まる箇所はあっても、そこには深緑色のモヤがかかっている状態で、結局、何も見えない。
周りに人の気配やうめき声のようなものはするが、歩いても歩いても誰にも会わない状態が続いていた。
突然、煙やモヤが消え、目の前に石垣があることに気づいた。
その石垣の上には、大きな緑色の筒が空に向かってそびえ立っていた。
筒の先端に、鳳凰(ほうおう)がいた。
やがて羽を広げ、上空を優雅に飛び回る。
羽の先端が濃いピンクや紫に染まっていて、柔らかなオレンジ色の光を体から放っていた。
私の頭の中に、音楽のようなものが流れてくる。
鳳凰が羽ばたくごとに視界は良くなっていき、光あふれる緑豊かな景色が広がっていった。
そこで目が覚めた。
鳳凰を見るのは、久しぶりだった。
前に見たのは沖縄に住んでいる頃で、朝、海沿いを車で走っている時だった。
朝焼けが広がる穏やかな海の上を、朝日に向かって飛んでいた。
その時も、オレンジ色の光をまとっていて、その姿はとても神々しいものだった。
同時に、私の頭の中に直接、鳳凰が奏でる音楽のようなものが流れてきていた。
これは耳で聴く音楽とは異なり、光にメロディーがついているようなものだ。
それは、私の身体を光で満たし、元気を与えてくれるエネルギーとなった。
沖縄の同じ場所の海上で、龍も目撃したことがある。
龍は強く荒々しいが、鳳凰は、しなやかで優雅な印象だ。
鳳凰の放つ光と奏でる音楽のようなものは、現在の人類や地球に、癒しや再生を与えてくれる。
真夜中の訪問者
今年の夏は、うだるような暑さが続き、熱を蓄えた鉄筋コンクリートの壁により、私の部屋のクーラーは19度設定にもかかわらず、サウナのような状態だった。
熱帯夜で、2台連動タイプのクーラーは音がうるさく、扇風機で部屋の空気をかき混ぜていても風は生暖かいままで、いつも汗をかきながら、熟睡もほとんどできない毎日を過ごしていた。
数日前のこと。
トイレに行きたくて、目が覚めた。
ベッドに入って、まだ1時間くらいしか経っておらず、時計は真夜中の0時40分となっていた。
珍しいこともあるもんだな、と思いながらトイレから戻ってくる。
ベッドに横になると、身体は疲れているのに眠れない。
蒸し暑さとクーラーの音が気になり、何度も寝る体勢を変えてみる。
しばらくすると、ようやく眠気がやってきて、まどろみ始めた時、下の階で物音がしていることに気がついた。
時計の表示は、2時30分。
夜中に玄関や各階の窓が開くと警報が鳴るようになっているが、それらは一切聞こえない。
それにベッドにいながら、下の階の廊下を黒い塊のようなものが進んでいる様子が見えている。
これらの状況から、明らかに人間ではなく、目では見えない世界からの者だ。
この日は同居人がおらず、家には私一人だけだった。
何者かが廊下を歩いているような足音がしていて、やがて階段を上がってくる音へと変わっていった。
やばいな、ここに来ると思った時には、すでに真っ黒な大きな影が私の身体へと覆いかぶさっていた。
クーラーをつけている為、部屋は密閉状態だ。
それなのに影は、階段から一瞬にして部屋へと入り込んでいる。
その影は、先端がうずまきのような形になったり、全体が伸びたり縮んだりを繰り返したり、自在に動き回った。
私の身体は、影によって羽交い絞めのようになっていて、動くことができず、左耳はジェットコースターにでも乗っているかのような轟音がしていた。
部屋のあちこちで、ラップ音もしている。
ベッドの半分には、縦半分に折った掛け布団やタオルを置いていて、もう半分の場所で、何もかけずに仰向けで寝ていた。
その為、パジャマを着た身体の上に直接、大きな影が覆いかぶさり、うごめいている状態だった。
それはとても重く、私の身体から生気が吸い取られているような感覚があった。
その影の中から、男性と犬が見え始める。
どちらも影絵のような見え方で、ツバのある帽子をかぶった男性と大型犬だった。
本能的に、この影に捕らわれてはいけない、と思い、身体が少ししか動かないながらも必死に抵抗を試みた。
目では見えない世界の者と対面した時、霊の場合でも、言葉を交わさずとも感情や死因などの情報が伝わってきたりする。
この影から伝わってきたものは、どこまでも広がる闇のような映像と陰湿な黒い感情のようなもので、今までの霊体験などとは比べ物にならないほど、危険に思えた。
この影の男性は、生前は人間で、死後、霊になったというものではない。
説明が難しいが、しいて言うなら悪魔や死神のような類のものだ。
いつの間にか、私の身体は掛け布団にくるまれていた。
そして、影はベッドの右側へと移動していて、掛け布団ごと私をベッドから床へと落とそうとしていた。
床に落とされた時点で、魂が連れて行かれる。
なぜか、そう思えてならなかった。
ものすごい力で引っ張られる中、落とされないようベッドにしがみつきながら、私は知っている、わずかな数のお経をくり返し唱えた。
ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
部屋全体に轟音が響き、ラップ音は激しく、ベッドが左右に揺れ始める。
右側から影が掛け布団を引っぱるが、抵抗する私に加勢するように左側へと引き戻してくれる力があった。
私の身体も激しく左右に揺れる。
頭から生気を取られているのか、何度も意識が飛びそうになった。
感覚としては、10分くらい戦っていた気がする。
突然、部屋から影が消え、ラップ音と轟音がなくなった。
ベッドはしずまり、掛け布団は元の場所に置かれていた。
何事もなかったかのように、部屋はいつもの状態だった。
私だけが、いつも以上に汗だくとなり、全身に力が入らないほど疲弊していた。
だが、連れて行かれなくて良かった、という安堵感が広がっていた。
私の守護霊やお経によって、助けていただいたようだ。
私がベッドから落ちないよう、掛け布団の左側を引っぱっていただいたおかげである。
もうクタクタで、睡魔と戦いながらも、生かしてもらえたことへのお礼を守護霊などに伝えてから眠りについた。
朝、いつも通り、目覚ましの音で起きた。
真夜中の格闘と蒸し暑さとで体力は消耗していたが、朝食後、家の中をモップがけすることにした。
廊下を掃除していたら、私の部屋に置いてあったスマートフォンが鳴り、バイブの振動があった。
平日の午前中に電話をかけてくるとしたら、たぶん母だろう。
私は勝手にそう思い、荷物を移動させながらモップをかけていたこともあり、落ち着いてから折り返しの電話をしようと決め、掃除に集中した。
掃除が終わり、スマートフォンを見てみる。
えっ!?
着信の表示が、全然ない。
確かに着信音が鳴り、バイブも作動していたのに。
こんなことってあるのだろうか。
母に電話をして尋ねてみると「電話していない」との回答。
では一体、誰からの電話だったのか。
これも、昨夜の出来事と繋がっているのか。
久しぶりにゾッとした夜ではあったが、どこからやって来たのか、なぜ来たのかがハッキリとしない得体の知れない者だった。
影のこと、電話のこと、考えれば考えるほど、わけがわからない。
常日頃、私は死に対して恐怖はなく、むしろ楽しみにしている。
この世の修業から解放される死が来るまで、私は懸命に生きようと思っているが、今回のように、目では見えない世界からの得体の知れない者によって、変死するのは望んでいない。
あの日以降、影は現れていない。