霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【前世の記憶】心乱される記憶

私は裸足で、片足を引きずりながら逃げていた。

 

遠くから大勢の男の声と犬の遠吠えが聞こえ、彼らの持つ松明の明かりが近づいてくる。

 

気は焦るが、身体が思うように動かず、息苦しい。

 

どこかに身を隠したいが、石造りや木造の店が建ち並ぶ通りへと入ってしまった。

 

オレンジ色の街灯が所々にあるだけで、その石畳の通りは薄暗く、夜中ということもあり、店の中に入ることも隠れる場所もない。

 

先ほどまで通りの裏にある林に隠れていたが見つかってしまい、正面から左肩を矢で射抜かれていた。

 

なんとかすぐに取り除いたものの、どうやら矢じりに毒が塗ってあったようだ。

 

男たちや犬を避けながら、林から風下にある通りへと逃げている間も血が止まらず、身体にしびれが出てきていた。

 

ワンピースは赤く染まり、すでに全身にまでしびれが広がり始め、目がかすむようになってきている。

 

それでも「捕まりたくない」という思いが強く、塀に寄りかかりながらも、道の奥へ奥へと進んだ。

 

だが、そこは行き止まりになっていた。

 

絶望とともに、振り返る。

 

男たちの声と石畳に響く足音が、すぐそこまで近づいてきていた。

 

これは、私の前世記憶の一部である。

 

この記憶が蘇ったきっかけは、あるマンガだった。

 

今世の私は、学生の頃から、よくマンガや小説・雑誌を読んでいた。

 

20歳の頃、ますます本の世界に夢中になった。

 

絵本・図鑑・医学・宗教・旅行・歴史など、パソコン関連以外の様々な種類の本を読み、知識を得る喜び、現実逃避ができるマンガは、リラックスタイムとなっていた。

 

特に、篠原千絵さんの描くマンガはどれも魅力的で、何度も読み返すほどストーリーがおもしろく、よく買っていた。

 

そして、21歳の頃に『天は赤い河のほとり』に出会った。

 

読み始めると話の内容に、どこか懐かしさを感じるようになっていき、それが一体何なのか、を知る為に何度も読み返した。

 

すると、フラッシュバックのように、少しずつ記憶が蘇ってくるようになった。

 

またアクションの多いドラマや映画で、左肩をアイスピックや小刀で刺される場面を観た瞬間、私にも似た経験がある、と今世の私にはまったく体験がないのに、不思議とそう思う自分がいた。

 

パズルのように断片的なピースが繋がり始めると、それはやがて、恐怖や痛みのトラウマの記憶と、あの人に会いたいけど会ってはいけない、という思いをも呼び起こし、心乱れるような、息苦しいような感覚を抱くようになっていった。

 

すでに20年以上の時をかけて、この前世の記憶は、だいぶ繋がってきている。

 

だが、まだまだわからない部分も多い。

 

中世ヨーロッパか、もっと古い時代のような前世。

 

国は乱れ、あちこちで内戦が起こっていた。

 

私は貧しい村で生まれ育ち、やがてそこも戦場となって両親は巻き込まれて亡くなり、住んでいた場所も焼野原となった。

 

 まだ子供だったが頼る人もなく、路上生活をしていたような記憶があり、奴隷としてか、または人買いによって、ある身分高い人の館に引き取られたようだ。

 

その館の一部では、人体実験を行う部屋があり、たくさんの孤児たちが暮らしていた。

 

透視能力や未来映像が見える人材を育て、敵地の情報を集めたりしているようだった。

 

私も、そこで何度も実験されていた。

 

そして、実験がうまくいかない時は、身体に電流を流されたり、毒を持つ虫の部屋にいれられたりと、いろいろな拷問を受けていた。

 

拷問によって、たくさんの子供が命を落とす環境だった。

 

第6感の開花は、激しい怒りや恐怖が引き金となったり、体内の生体電流が関係すると考えられていた。

 

現代でも霊感が強い人は、よく家電が壊れたり、キップやカードの磁気が飛ぶことがあり、これは体内の電流量が多いからという説がある。

 

前世の私は成長するにつれ、少しずつ第6感の能力を開花させ、他の子供たちと違って、専用の部屋やバスルームを与えられ、優遇されるようになっていった。

 

だが、自分の能力が戦いに使われ、多くの犠牲者を出すことに耐えられず、その施設から逃げ出した。

 

私は10代後半の若い女性で、腰くらいまである黒髪に、ワンピースを着ていて、裸足だった。

 

左肩からの出血がひどく、全身がしびれ、立っているのがやっとの状態だった。

 

大勢の男たちに追い詰められ逃げ場を失った私の方に、上級軍服を着た長身の男性が近づいてくる。

 

通りが暗く、逆光で顔はよく見えないが、その彼が私の腕を掴んだ記憶が蘇った瞬間、今世の私の脳がしびれるような状態となり、心が乱されるような感覚になった。

 

この男性こそが、会いたいけど会ってはいけない、という思いにさせる人物だった。

 

前世の記憶では、彼に腕を掴まれたところで、私は意識を失っている。

 

その後は、傷と毒によって出た高熱による身体の熱さと息苦しさとで、とぎれとぎれの記憶しかない。

 

だが、ベッドに寝かされ意識がもうろうとしている中、何度か私の頬をやさしく撫でる大きな手の感触は覚えている。

 

 そして意識が戻り、左肩の傷が癒えた頃には、館の地下牢へと入れられた。

 

逃亡の罪を犯し、二度とくり返さないよう、牢獄の壁に固定された鎖に左手首を繋がれた。

 

ほとんど身動きができず、家畜のような扱いの中、戦いに備え、私の透視能力や未来映像を聞くのが目的でやって来る者もいた。

 

あの上級軍服を着た男性も何度か顔を見せ、身分や地下牢という環境に関係なく、私に優しかった。

 

私が館から逃げたもう一つの理由は、彼にあった。

 

日に日に彼への想いが募り、身分違いの恋に苦しくなったからだ。

 

館の主人は身分が高く年老いた男、その息子の友達が、彼だった。

 

戦いが多かった時代ということもあり、気性が激しく、残忍なところがある男たちの中、20代の若さでありながら、彼は穏やかで頭脳明晰だった。

 

ある日、私の能力が大きく戦場を変え、国に貢献をしたようだった。

 

地下牢から解放され、自分専用の部屋へと移される。

 

私は久しぶりに広いバスルームを使い、垢と汚れに覆われた身体を洗った。

 

お湯につかっていると、上級軍服を着た男性がバスルームに入ってきた。

 

メイドたちが全員、退出する。

 

男性が近づいてきて、手を差し伸べてくる。

 

二人っきりとなり、裸の私には逃げ場がない。

 

彼は私を引き上げ、お湯で濡れたままの私を抱きしめ、キスをした。

 

脳がしびれるような感覚になり、全身の力が抜けていくような快感に満たされた。

 

彼との身分違いの恋に関する記憶は、今世になっても私の心を乱す。

 

そして、第6感開花の為に受けたトラウマの記憶も同時に蘇る。

 

他にも前世の記憶は持っているが、この記憶だけは特殊だと思う。

 

21歳の頃から現在に至るまで、まだ新たな記憶がでてきたりして、全てが解明されていないように感じる。

 

人との出会いや物事には、縁とタイミングがある。

 

マンガを手に取り、この前世を思い出すきっかけとなったのも必然だろう。

 

そして、いつか解決するにふさわしいタイミングで、全ての記憶が一つに繋がるはずだ。

 

誰もが第6感を持っているが、直感や虫の知らせ程度で、能力を活用できていない。

 

前世記憶に関しても、脳内に封印されたままの人が多い。

 

でも、同じ類の本にばかり興味があったり、懐かしさを感じる出会いや出来事があったなら、それは前世と繋がりがあるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水子霊

水子(みずこ)とは、生まれてから日数が経っていないうちに亡くなったり、中絶や流産などで、この世に生を受けることができなかった胎児のことだ。

 

私の家系にも、複数の水子がいる。

 

その為、家のお仏壇には水子の位牌(いはい)があり、ご先祖のお墓の横には、お地蔵さんを安置している。

 

私が水子の存在を知ったのは、小学生の時だった。

 

当時、木造2階建てに住んでいて、祖母も若く元気だった。

 

テレビのある居間の隣は、祖母が寝起きしたり、客人を迎えたりする縁側つきの部屋となっていて、そこにお仏壇もあった。

 

蒸し暑いお盆の時期には、死者が迷わず帰ってくるように、と縁側に提灯を吊り、お仏壇の横にも盆提灯の明かりをつけ、絶えずお線香が焚かれ、祖母がお経を朝晩と唱えていた。

 

お仏壇や簡易テーブルには、そうめん・白飯・煮物・枝豆・蒸したサツマイモ・果物・お迎え団子やお菓子、また水やお茶に加えて、ビールや日本酒などが所狭しと並べられていた。

 

小学生の私にとって、お盆は普段と違い、荘厳で神秘的な雰囲気があり、ワクワクするような高揚感と、家だけではなく、町中がザワザワと霊の気配に満ちていく怖さとが、合わさる期間でもあった。

 

ある日の夜、居間で家族と食事をしながら、テレビを観ていた。

 

ちょうどドリフターズの「8時だよ。全員集合!」と呼びかけがあった時、

ふと縁側の提灯へと目が向いた。

 

吊るされた提灯の中のロウソクの火が激しく揺れていて、暗闇の中、そこだけがほのかに明るく、その灯火によって周りの影が不規則に動いていた。

 

そして、隣の部屋の異変に気づく。

 

部屋の真ん中に、模様の入った茶色の毛布が置かれていた。

 

それは、何かを包んでいるかのように形作られていた。

 

はっきりと中が見えた訳でもないのに、なぜか私は「男の赤ちゃんが入っている」と確信を持って呟いた。

 

それを聞いた祖母も隣の部屋を見て、「あぁ、水子さんが帰ってきた」と言った。

 

祖母も幼少期より、目では見えない世界が、見える体質だった。

 

その時に初めて祖母から、水子さんとはどういうものか、を詳しく教えてもらった。

 

数日後、私が階段を上がっていると、3段ほど前を飛び跳ねるように上がっていく少女の霊に気づいた。

 

7歳くらいで、おかっぱ頭に大きな花柄が描かれた赤色のワンピースを着ていた。

 

不思議と怖さは無く、「女の水子さん」と嬉しくなる自分がいた。

 

この小学生時代のお盆以降、私は度々、この男女の水子さんに助けてもらっている。

 

私が20代の頃。

 

ある日の夕方、駅から家までの帰り道。

 

仕事に疲れ、考え事をしながら、慣れ親しんだ道を歩いていた。

 

車が多い時間帯で、交差点にさしかかった。

 

私は考え事に夢中で、ろくに信号を見ておらず、横断歩道を渡ろうとした時、急に後ろから襟首をつかまれ、同時に自分へと向かって吹いてきた強風の影響も加わって、勢いよく後ろへと引き戻された。

 

次の瞬間、目の前をトラックが横切っていった。

 

間一髪の出来事だった。

 

その時、まだ赤信号だったことに気づいた。

 

私を引っ張ってくれた人にお礼を言おう、と振り返って見る。

 

その通りには、人っ子一人いなかった。

 

いたのは、10代に見える女の子。

 

我が家の水子さんだけだった。

 

その女の水子さんは、以前にも「この日は交通事故に遭うから外に出ないで」と、何度か知らせてくれ、当日、私は会社を休んだことがあった。

 

何かと助けてくれる、男女の水子さん。

 

しかし、この男女の水子さんが姿を現す時、いつも年代が違うのだ。

 

ある時は、幼児や小学生くらい。

 

ある時は、大人になっている姿。

 

同じ家系だからか、20代の姿で出てくる女の水子さんは、私と顔が似ている。

 

だが私と違って、とても女性らしい容姿に服装、癒し系の可愛らしい雰囲気を持っている。

 

また私が寝かかっている時、突然、男児の姿でやって来た男の水子さんは、いたずらで、私の頭をペンペンと軽くたたいてきたことがあった。

 

「遊んでほしいの?」と尋ねながらも、睡魔に勝てずに寝てしまった経験がある。

 

20代に見える姿で現れた時の男の水子さんは、180センチくらいの身長で、芸能人の反町隆史さんの目元によく似た男前だ。

 

霊体ではなく実際に生身の人間で会いたかったな、と毎回思わせるほど、見た目の良い爽やかな男の水子さんだ。

 

男児の姿も成人で男前の姿も、私にとって彼は『目の保養』となっている。

 

うちの家系には複数の水子さんがいるものの、いつの間にか、この男女2人を意識して生活するようになっている。

 

彼らは肉体を持って産まれてこれなかったが、私の身体を通して、一緒に人生を歩んでいるような感覚がある。

 

余談になるが、死後にあの世へと戻った魂が、この世の家族や友達などに逢いに来る時、年代の見た目を変えてくることがある。

 

我が家の水子さんの場合、この世に生まれ、成長するという体験をしてみたかったのか、年代や服装を変えて現れる。

 

自身の人生を全うして、あの世へと戻った人の場合、生前に一番好きだった年代の容姿で霊となって、この世にいる家族などに逢いに来たりする。

 

だから、高齢で亡くなったとしても、その人にとって、20代の自分が楽しかったと思っていたら、若々しい姿の霊体で現れることがある。

 

しかし、この世に未練などがあって、あの世へと戻らず、その場にとどまった霊の姿は、亡くなった当時のままだ。

 

高齢で病死なら高齢の姿のまま、病気の痛みも持ったまま。

 

事故死なら、ケガや骨折した状態のまま。

 

焼死や水死なら、ただれた皮膚の見た目も、苦しさも持ち合わせたままの姿で、霊として現る。

 

もし亡くなったことを認識させたり、未練や想いなどの解決ができたら、病気の痛みは消え、ケガや骨折は治り、生前の元気だった頃の姿へと戻り、あの世へと旅立っていく。

 

 今後も、男女の水子さんと私は、お互いを通して、見える世界と目では見えない世界とを体感しながら、共に人生を歩んでいく。

 

心強い存在だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母と守護霊

長年、母と離れて暮らしている。

 

それは私が実家を出て、海外や沖縄を転々としていたり、戻った時には母が膝を悪くして、マンションでの暮らしを始めたりしたからだ。

 

現在は、実家とマンションとで住む私達だが、離れていても仲が良い。

 

電話も頻繁にして、数週間に一度は会って、ご飯を一緒に食べる。

 

何時間も会話していても疲れることがなく、話題も尽きない。

 

昔から、母とは考えることや行動するタイミングが似ていて、電話をかけようと思っていると母からかかってきたり、買おうと思っていた物を母が買ってきたり、以心伝心を感じることも多かった。

 

それに加え、母に何か困り事があったり体調不良の時は、母の守護霊から私へ、メッセージや映像が送られてくることもあり、とても助かっている。

 

おかげで、高齢になってきている母の一人暮らしではあるが、私には不安も心配もない。

 

母の場合、今年からの3年間、疲れやすく体調不良になりやすいことも、以前からわかっていた。

 

誰もが12年間を1周期として、運気の上昇と下降とをくり返している。

 

その12年のうち3年間は、『冬の時期』や占いでは『大殺界』などと呼ばれ、運気が一番下がっている期間であり、体調不良にもなりやすい。

 

この期間は、断捨離や身体の休息を心がけるのが良いのだが、それを知らずに多額の買い物をしたり、大きな物事を行ったり、身体の無理をすると、負債を抱えたり、大きな病気へと繋がったりする可能性がある。

 

今年の節分以降から、母の身体に不調が少しずつ出始め、6月末、めまいや耳鳴り・頭の圧迫などの症状が出るようになった。

 

内科や耳鼻科、そして眼科へ行くと、すでに白内障を患っており、いつ緑内障に変わって失明してもおかしくない状況で、緊急に両目の手術が必要、との診断がくだった。

 

母は、今までに大きな病気をしたことがなく、目の手術も初めてだった。

 

眼科へ一緒に行き、検査結果と手術に関する話を訊きに行った。

 

片目に10分ほどの手術とはいえ、眼球にメスやレンズが入ることは、付き添いの私でも不安と怖さがあった。

 

だが、手術は急を要する。

 

私は母にとって、眼の手術をしても良い日・完治しやすい日を調べ、病院で予約を入れた。

 

身体の部位は、胃・腸など漢字で書くと月(にくづき)が入っている。

 

身体の表面は太陽と関係しているが、脳や内臓など身体の中にあるものは、月の影響を受けている。

 

その為、月の満ち欠けや月の星座によって、それぞれの部位の手術して良い日と悪い日とがある。

 

手術をしてはいけない日に、もし手術をしてしまったら、出血が止まらない・化膿する・傷がふさがりにくい・再手術が必要など、思わぬことが起こる場合がある。

 

眼科から帰宅した夜。

 

私は、部屋で寝る準備をしていた。

 

すると突然、頭の中に映像が流れ込んできた。

 

マンションに住む、母の部屋だ。

 

真っ暗で、その暗さは、母の不安などが負のエネルギーとなり、細かい塵(ちり)となって積もり、部屋全体を黒く染めているかのようだった。

 

そんな暗闇のリビングで、母が椅子に座っている。

 

しばらくすると、母の心臓の辺りから、眩しいほどのオレンジ色の光が一筋、それは天井の一点を照らした。

 

やがて光は放射状に何本も出てきて、あっという間に真っ暗な部屋を光あふれる空間へと変えていった。

 

そして、母の守護霊からメッセージが届く。

 

「これは、両目の手術の心配はいらないという映像である。

今まで大病も無く、健診にもほとんど行かずに過ごせていた。

だが、身体の手入れをする期間である。

今後も不調が出てくるが、寿命まで生きたいならば、

この期間を前向きに乗り越える必要がある」

 

続いて、母の守護天使の映像も入ってきた。

 

それは、かわいらしい子供の天使だった。

 

私は電話で、このメッセージと映像のことを伝えた。

 

母は、とても喜び、守護霊や守護天使に感謝をしていた。

 

数日後、メッセージ通りに両目の手術は無事終わり、めまいや耳鳴り・頭の圧迫も消え、順調に回復をしている。

 

しかし、内臓の不調の方は、まだ続いている。

 

今後も病院で検査をしなければならないが、母には心強い守護霊や守護天使がついているから、心配はしていない。

 

どの人にも、母のように守護霊が複数ついている。

 

本人が持つ気(オーラ)に重なるように、白い光で守護霊を感じることもあれば、姿を持って出てくるのが見えることもある。

 

母の主要な守護霊は、10代後半の少女の姿をしており、肌が白く、肩まである金髪、そして、いつも高価なドレスを着ている西洋人だ。

 

その為、母は日本人だが、インテリアや食べ物など、西洋の物を好む。

 

主要な守護霊と本人とは、好みが似ることが多い。

 

余談だが、守護霊の位置について、時々、質問を受けることがある。

 

守護霊が姿を現す時、本人の後ろや横にいるような見え方をするが、実際は、すぐそばにいるわけではない。

 

3次元であるこの世には、何層もの目では見えない世界が重なっていて、神仏の層・龍の層・守護霊の層などいくつもあり、それぞれが高次元の世界だ。

 

その高次元の世界から、例えば映写機のような物で姿が映し出され、本人の後ろや横に存在しているかのように見えるのだ。

 

「守護霊がいるなら、何故、私を守ってくれないんですか?」

 

この質問も、度々、受ける。

 

守護霊は、本人を守るだけの存在ではない。

 

本人にとって学びになることなら、辛くしんどい体験も、病気などの苦難も与える。

 

母にとって現在の体調不良とは、今まで健康に過ごさせてもらっていたんだ、という気づきや感謝に繋がり、身体へのいたわり、食生活の改善、医療従事者のありがたさや最新医療の凄さなどを体感し、学びとなっている。

 

母が様々な体験をして学ぶことで、守護霊のレベルも上がっていくのだ。

 

今後も私は、母の守護霊などの助けも借りながら、母と良い時間を過ごしたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体の変化

この世は、仮想世界だ。

 

これは、私が40年以上にも渡って不思議な体験をしてきた中から発見をしたり、前世の記憶などから導き出した持論だ。

 

魂を磨く修業の場所である仮想世界だが、お金や物が溢れる3次元の物質世界にもなってしまっている。

 

大半の人が当たり前のように、時間に追われ、努力や頑張りを重ね、収入を得て物を買って生活をしている。

 

今の物質世界では、自分に合った仕事や好きなことだけをしていく生活は、困難な人も多く、物や情報に溢れた社会は複雑なうえ、不平不満に満ちている。

 

魂を磨き成長していく場所のはずが、魂をすり減らしている人の方が多いように思う。

 

この世の、目で見えている世界は、全体の3パーセントほどしかない。

 

物質世界は、この3パーセントだけに重きを置いて造られた社会だ。

 

だが、目で見えている世界に重なるように、残り97パーセントの目では見えない世界が存在している。

 

それは、私達の身体や生活に常に影響があること、自分自身と向き合い魂を磨く場所だと知っている私にとって、この物質世界での生活は、とても生きにくいものだ。

 

長年、仕事に行く時は、目で見えている世界にだけ焦点を合わせ、周りの人と同じように働いてきた。

 

これは、片目だけで世の中を見ているような不自由さがあり、ひどく疲れる。

 

だが6年ほど前より、私は自分自身の抑えがきかくなり、通常の勤務ができなくなった。

 

自分らしく生きるようになると、少しずつ世の中の物質は色あせて見えるようになっていき、逆に目では見えない世界は、輝きを増していった。

 

そして味覚も変化していき、自身の持つ気(オーラ)の浄化を更に意識するような食生活へと変わっていった。

 

以前は普通に食べていた肉類も臭いが気になり始め、唐揚げや豚カツのように高温の油で揚げた比較的臭いの少ない調理法の物しか食べられなくなっていった。

 

しかし、肉や魚を食べると、それらの持つ血が体内に入ることで、自身の気(オーラ)の濁りが気になり、それらを食する回数もだんだんと減っていった。

 

今では、炭水化物・大豆製品・野菜・きのこ類・海藻類・ごま・ナッツ類・チーズ・ヨーグルトが、普段の食事となっている。

 

ほとんどアルコールも飲まなくなり、水・お茶・豆乳・野菜ジュース・コーヒーだけを主に飲んでいる。

 

おかげで生き方も身体も楽になり、気(オーラ)も浄化されるからだろうか、以前よりも目では見えない世界が見えやすかったり、聴こえやすかったりする。

 

友達と会う時だけ、昔のようにアルコールを飲み、たくさん食べることもあるが、以前のように、食べることが楽しみ、という感覚はない。

 

食べ物も灰のように色あせて見えている今、友達と会っている時間を楽しむ手段の一つとして、飲食をしているような感じになっている。

 

本格的に地球が次元上昇への転換期へと突入し、これまでよりも宇宙エネルギーが大量に降り注ぎ、人類の身体に影響している。

 

それによって、私の食事の回数も量も減った。

 

本来、自身の体内で足らない栄養素を作りだしたり、空気中や宇宙エネルギーから栄養が摂れるものだが、3次元の物質世界では、それがなかなか難しい。

 

だから、ご飯を食べることで、直接、栄養を摂る必要がある。

 

しかし現在では、世界各国で『食べない人』が増えている。

 

今後、同じ地球に住みながら人類は、3次元の物質世界で生きる者と4次元や5次元などの精神世界で生きる者とに分かれていく。

 

3次元の物質世界で生きる者は、頑張りや努力を積んでも、今までのように良い結果へと繋がらないことも多く、生きづらいと感じるかもしれない。

 

一方、目覚めを迎え、精神世界で生きる者は、目で見える世界と目では見えない世界、両方を意識しながら暮らしていくようになっていく。

 

お金や物・食べ物などの執着が無くなっていき、周りと比較することなく、自分自身と向き合い、好きなことやワクワクすることを見つけながら、家族や友達との信頼関係を築き、生活をしていく人が多くなっていくはずだ。

 

この精神世界への目覚めには、個人差がある。

 

時々、「どうしたら目覚めることができますか?」と聞かれることがあるが、これは私にもわからない。

 

目覚めのきっかけや時期は、本人が生まれてくる前に、自分自身で目覚めの計画をしている場合が多い。

 

「早く目覚めたいから」と高いお金を払って、スピリチュアル講習に通う人がいるが、これはオススメしない。

 

物質世界で生きる者は、自分の外にばかり目が向いていて、たくさんの情報集めをして行動をする人が多い。

 

これでは、目覚めに繋がらないと思う。

 

自分の悩みや不安への解決、人生の課題や未来についての答えは、常に自分自身の中にある。

 

執着を捨て、静かな場所で、リラックスできる時間を取り、自分自身を見つめなおしたり、好きなことやワクワクすることは何か、を考えてみるのがいい。

 

そうすることで、自分に必要なものがわかり、目覚める可能性がある。

 

何十年も先の話になるが、もし地球上の人類全員が目覚めたとしたら、たくさんの目では見えない存在が、自分を生かしてくれていることに気づき、心が満たされ不安が一切なくなる。

 

また、生まれてきた意味や前世の記憶を思い出すようになったり、言葉を使わなくても相手の考えが読み取れるようなテレパシーを使えるようになってくるだろう。

 

自身の人生課題もわかる為、周りと比べることや争うこともなくなり、平和で穏やかな生活になっていく。

 

物質世界でのお金という制度に価値がなくなっていく為、金融機関や税務署なども不要となり、お金や人間関係のトラブルも無くなるから、警察や裁判所などもいらなくなってくる。

 

そして、政治や経済のシステムも無くなっていく。

 

盗難や犯罪も起こらないから、家やマンションでは、カーテンも防犯カメラや防犯システムも必要ない。

 

自分にできることや周りを喜ばせることを考えて、生活をしたり働くようになっていく。

 

服や食べ物への執着が消え、少量の物だけで足りるようなり、物々交換になっていくかもしれない。

 

現在では、生まれながらにして盲腸のない若者がいると聞くが、今後、少量だけの食事になっていくと、足りない栄養は体内で作ることができ、不要な内臓は退化していく。

 

自分自身の中に、いつも見守ってくれる神のような存在を感じられるようになり、宗教も廃れていったり、統合されていくだろう。

 

余談だが、鏡は自分の中にいる神を映し出す道具として、昔から存在している。

 

カガミは『カミ』と『ガ』を合わせたもので、『神』と『我』と書く。

 

だから、いつも鏡は綺麗さを保ち、自身の身だしなみも整える。

 

自分自身の中に神のような存在を意識すると、不安や恐怖なども無くなり、感謝とともに行動するようになっていく。

 

その為、外に神を求める必要が無くなり、神社やお寺・教会は祈りの場所ではなくなり、宗教というものが変わっていく。

 

国境も無くなっていき、日本人やアメリカ人などの呼び方も無くなり、『地球人』として行動していくこととなる。

 

その頃には、宇宙との交流も盛んになっているだろう。

 

これらは、けっして夢物語ではない。

 

地球の次元上昇となる転換期は、人類の目覚めを促し、真の愛と平和に満ちた社会へとしていく為のものである。

 

今はまだ、一歩を踏み出したばかり。

 

現在は、コロナウイルスや災害の影響も借りて、今までの常識やシステムを壊し始めている段階だ。

 

今後に不安を抱えている人も多いが、焦ることはない。

 

自分のペースで、毎日が楽しいと思える人生を歩むことが大切なのだ。

 

 

 

 味覚が変わり、とても好きになったのがシナモン。

 

シナモンもアップルパイも好きで、ほぼ毎日食べている。

 

この話を友達にしたら、

 

「霊感の強い人は、シナモン好きって聞くよ」と。

 

 まったく知らなかったが、そういえば昔、霊感の強い祖母も、よくニッキ飴や和菓子の八つ橋を食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あばれまわる黒龍

まだ本格的な夏にもなっていないのに、連日の蒸し暑さで、すでに体力が消耗している。

 

湿度の高い、梅雨の時期が苦手だ。

 

普段、ゆっくり寝たいと思いながらも、忙しさもあって気がせいて、平日・休日に関係なく、朝6時には起きている。

 

だが、うだるような暑さによって、少しずつ身体の不調が出始めた為、明日8時間は寝るぞ、と決めてベッドについた。

 

ふと目が覚めると、朝5時55分。

 

いつもなら、アラームが鳴る時間だ。

 

身体に6時起きというのが刷り込まれているのか、アラームが無くても自然と目覚めてしまった。

 

いやいや、今日は最低でも8時間は寝る!

 

自分に言い聞かせて、改めて横になる。

 

夜中から降り続いている雨の音も、今は心地よく聴こえる。

 

寝不足の身体は重く、すぐに眠気が襲ってきた。

 

気づくと、どこかの木造住宅の玄関にいた。

 

突風が家を揺らし、激しい雨が屋根や壁に打ちつける音がする。

 

これは明晰夢(めいせきむ)だな、と思っているのに、妙に胸がざわつき、不安にさせる風と雨音だった。

 

玄関の木の引き戸を開けてみる。

 

一瞬にして、ずぶ濡れ状態となったが、目の前の茶色く濁った川の流れと轟音とがすさまじく、自分の身なりなんて構っていられなかった。

 

水嵩が増し濁流となって、今にも辺り一帯、すべてを飲み込んでしまいそうだった。

 

バケツをひっくり返したような大雨と川の轟音、そして時々、木々などを巻き上げながら突風が打ちつける様子に、恐怖で足がすくんだ。

 

川から離れて逃げないと、と思うものの、どこに逃げていいのかもわからず、玄関へと戻り、引き戸を閉めるだけで精一杯だった。

 

木造住宅には誰もおらず、辺りの様子もわからず、私は呆然と玄関に立っていた。

 

突然、空気が変わったような気がした。

 

外に何かがいるような気配がして、引き戸を少し開けてみる。

 

突風と豪雨によって視界が悪かったものの、目を凝らして見渡した。

 

すると、雨雲の下を翔る黒龍がいた。

 

その姿に惹かれ、よく見ようとして、自然と足が川の方へと進んでいた。

 

すると川の水が溢れだし、あっという間に私自身も家も、なにもかも飲み込まれていった。

 

しかし苦しさもないまま、気づくと私は豪雨の中を風のように、ものすごい勢いで進んでいた。

 

眼下には、山脈や川があり、パッチワークのように見える田んぼや畑が広がっており、たくさんの家が並んでいた。

 

私は黒龍と一体化していて、黒龍の眼を通して、私も景色を見ているのだった。

 

そこに恐怖は微塵もなく、空を翔る心地よさがあった。

 

一体化に慣れてくると、黒龍の想いのようなものが私に伝わってきた。

 

それは、環境破壊をし続ける人間に対する怒りと生きることの苦しさや悲しみを抱える人間への憐みのような想いだった。

 

黒龍が縦横無尽に空中を移動し、時々、山肌に身体の一部をあてることで、その部分が崩れて土石流が発生した。

 

また、川面すれすれを飛ぶことで、川の水が氾濫していった。

 

瞬く間に、家や畑などが茶色い土や水に染まっていく範囲が広がっていく。

 

縦横無尽に翔る黒龍によって突風が吹き、豪雨を降らせ、災害と呼ばれる現象になっているのだった。

 

8時25分のアラームが鳴って、目が覚めた。

 

8時間以上、ベッドの上で横になっていたものの、夢によって頭はボーっとした状態で、いつにも増して疲労感が残っていた。

 

長雨と数日前に起こった静岡県熱海市の土砂災害のニュースを見たから、このような夢を見たのだろうか。

 

それにしても現実味のある黒龍の姿と想いとが、いつまでも余韻として残っている。

 

人類は快適な生活を求めるが故に、森林を伐採し、石油や温泉を掘り続け、空気・水・土をも汚染し、自分達の住む地球の環境破壊を行っている。

 

自分で、自分の首を絞めているような状態なのだ。

 

災害には多くの命を奪う残酷な部分があるが、生きている者たちの人生観を変えるという大きな役割もある。

 

黒龍によって創り出された災害の夢は、環境破壊を続ける人類への警告のように思えてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の災害

7年くらい前から、東京の災害に関する夢や映像を何度か見る。

 

この数年は、見る回数が増えている。

 

何度か同じような夢もあり、それは山手線の電車が出てくるもの。

 

夢の中で私は、どこか駅近くのマンションに一人で暮らしている。

 

部屋は、3階にあるようだ。

 

朝8時ごろ。

 

通勤する人や学生の声、バイクや車などの音が、窓から入ってくる。

 

私も身支度を整えながら、テレビを見ていた。

 

突然、激しい揺れと地響き、外からは悲鳴や叫び声、何かが落ちるような音が一気に押し寄せてきた。

 

揺れは長く感じられ、立っていられない。

 

テレビと自分自身とが倒れないように、膝をつき、テレビとその台とを強く掴む。

 

電車の急ブレーキの甲高く耳障りな音がして、それが更なる恐怖をつのった。

 

ようやく揺れが治まった。

 

足元に散乱している物に気をつけながら、開いた窓のほうへと行ってみる。

 

右側に目を向けると、山手線の電車が見えた。

 

急ブレーキをかけて停車をした為か、電車はホームから随分と離れた所で止まっていて、少し煙が出ている車両もあるが、ドアは開かず、満員の乗客が閉じ込められていた。

 

駅前では、倒れた物や落ちてきたコンクリートなどをよけながら、たくさんの人が密集していた。

 

頭から血を流しケガをしている人、名前を呼びながら誰かを捜している人、泣いている赤ちゃんをあやす若い母親の姿もあった。

 

そこへ、また次の揺れがやってきた。

 

私の部屋がミシミシと鳴りだし、あっという間に壁に亀裂が入っていった。

 

部屋が押しつぶされる!

 

そう直感した私は足をとられながらも、玄関を目指した。

 

だが、玄関の鉄の扉が、全然動かない。

 

地震の揺れによって、扉が変形しているようだ。

 

天井からはコンクリートの破片が、パラパラと落ちてきている。

 

揺れが続く中、玄関扉を開けようと格闘している私の近くで、天井の一部が崩れ落ちてきた。

 

一瞬で視界が真っ白になり、むせて息ができない。

 

そこで、目が覚めた。

 

心臓が早鐘を打っていて、私は深呼吸をくり返し、自分を落ち着かせた。

 

実際に現場にいたかのような生々しい夢で、阿鼻叫喚な光景だった。

 

 

また映像では、火が出てくるものを何度も見る。

 

これらの映像は、すべて起きている時に見ている為、夢ではない。

 

ある時は、夜の歯磨き中に。

 

またある時は、お風呂で髪の毛を洗っている最中に。

 

電車に乗っている時や仕事で書類作成をしている時もある。

 

時間帯や私の心理状態・状況などは一切関係なく、見えるのだ。

 

その日も脳内に突然、映画のワンシーンのような映像が流れ込んできた。

 

東京23区のあちこちで建物が崩れ、火の手がそこらじゅうで上がっている。

 

大きな火事になっている所もあれば、煙だけの所もある。

 

その間を人々が、逃げ惑っている。

 

砂埃をかぶって全身が真っ白になっている人、ケガをしている人が大勢いる。

 

人々の声や建物の崩れる音、火・煙・ガスの臭いまで、映像とともに私の中へと流れ込んでくる。

 

地震なのか、テロなのか、原因はわからないが、広範囲で被害が出ているような印象がある。

 

年に数回、この映像は現れる。

 

また別の映像では、東京23区の一部に、かなりの数の仮設住宅が建っているもの。

 

しかし、まだまだ焼野原となっていて、瓦礫(がれき)が山積みになっているところも多く、仮設住宅を建てる為に昼夜を問わず、自衛隊が働いている。

 

何キロにも渡って高い塀を造り、仮設住宅を取り囲んでいる場所もあった。

 

この映像も、今までに二度は出てきている。

 

 

今後、これらのことが全て実際に起きるとは限らない。

 

だが、警告のように長きに渡って何度も出てくる夢や映像は、無視できない怖さがある。

 

それに、今までの経験からすると、私の見た夢や映像が現実となるのが多いことも不安材料だ。 

 

だから情報として、一応、ここに記録を残しておきたいと思う。

 

 毎年のように異常気象が続き、記録的な大雨や地震の多い中、自分の身は自分で守らなければならない。

 

夢や映像では東京を中心に出ているが、当然、隣接している県にも影響がある。

 

私の友達や知人も関東在住が多く、夢や映像のことを話す機会があると伝え、災害の備えや気をつけて行動してもらうようにしている。

 

私も普段から出かける時は、万が一に備え、電車に乗る前には必ずトイレに行ったり、コンタクトレンズの日は、必ずメガネも持参している。

 

電車内に閉じ込められたり、被災した時の事を考えて。

 

電車が使用不可になった場合も考え、職場から家までの徒歩ルート、公衆電話や公衆トイレの場所、水の出る場所など、少しは把握をしている。

 

手荷物の中にも、常に水・絆創膏・ティッシュ・マスク・液体ハミガキ・ウェットティッシュ・ビニール袋など、多めに入れている。

 

その為、いつも私のカバンは重い。

 

だけど、お守りのような安心感がある。

 

不安定な世の中、いつ何が起きてもおかしくない状態に、地球全体がなっている。

 

誰かに伝えたい想いがあれば、その日のうちに伝える方が良い。

 

普通の生活が、明日も続いているとは限らない。

 

一日を大切に、楽しみながら、そして後悔のないように過ごしたい、と私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富士山

数日前のこと。

 

「富士山の夢を見た」と伝えたら、

 

「縁起が良いから、宝くじ買ったら当たるんじゃない?」と家族や友達から言われた。

 

しかし夢の内容を語っていくうちに、それが縁起の良いものではないことに驚きや戸惑いの反応へと変わっていった。

 

 

朝方、もう起きないと、と思いながらも起きられずにいた私。

 

そんな時に見た夢だった。

 

大きな窓ガラスがあり、そこからは雲一つない青空を背景に、雪の積もった富士山の山頂部が綺麗に見えていた。

 

夢の中で、ここは自分の部屋だ、と思っている私。

 

だが、その部屋には家具などが一切なく、大きな窓ガラスからは眩しいほどの陽光が入ってきていた。

 

そして、目の前にある富士山の雪も、光に反射をしてキラキラと輝いていた。

 

あまりの美しさに眺めていると、私の母と叔母が部屋に入ってきた。

 

「この場所から、こんなに綺麗に富士山が見えるようになったんだ。

今まで建物が多くて、うちの家からでは全然見えなかったからね」と叔母が言った。

 

その言葉に違和感を覚えた私は、もう一度、窓の外を観察した。

 

富士山を見下ろすと、その周りには何もなかった。

 

建物も緑豊かだった自然も、何もかも無い状態で、瓦礫(がれき)の平野だけがあった。

 

青空と雪の富士山との光輝く色合いに反して、どこまでも続く灰色の瓦礫を見て言葉を失った。

 

地震で建物が無くなったんだろうか。

 

鈍った思考ながらも、なんとか原因を見つけだそうとして、ふと富士山の山頂部へと目がいった。

 

あれ!? さっきと様子が違う?

 

何かが違うように感じるのに、どこが変化しているのかがわからず、ずっと観察を続ける私。

 

しばらくして、やっと頂上から白い煙が出ていることに気づいた。

 

先ほどまでは、青空に向かって山頂部の雪が風で舞い上がっていたのだが、今は細く白い煙がたなびいている。

 

その煙の量が、だんだんと増していく。

 

噴火の前ぶれか!?、と思いながら目が覚めた。

 

あまりにも現実味のある夢で、激しい鼓動がおさまらなかった。

 

私は富士山を見たことが、数えるほどしかない。

 

しかもそれらは移動の新幹線の中だったり、東京から見える小さな富士山だったりと、遠目からしか見たことがない。

 

静岡県に数回旅行に行ったこともあるが、春夏の時期で天気が悪く、全然見えなかった。

 

それに、富士登山もしたことがない。

 

だから実際には、山頂部を間近で見たことがないのだ。

 

そんな私が富士山頂部の鮮明な夢を見たことが、不思議に思えた。

 

落ち着いてゆっくりと夢の内容を思い出してみると、奇妙なところもあった。

 

目の前に富士山の山頂部が見える部屋がある建物って、普通で考えたらありえない。

 

富士山の標高は、3,776メートル。

 

窓から山頂部を見ようとするなら、飛行機やヘリコプターのような乗り物に乗っていないと見られない。

 

しかも、その乗り物は、音も無く静止をしていないといけない。

 

山頂部と並ぶ高さにあるその窓からは、見下ろすと、富士山周辺の様子もはっきりと見えた。

 

宇宙船にでも乗っていたのだろうか。

 

地球上の乗り物では、見られない景色だった。

 

夢の中の街は広範囲で破壊されており、瓦礫となっていた。

 

あれは、富士山噴火と地震によるものだったのだろうか。

 

富士山の噴火に関して、実際には、いつ起こっても不思議ではないと言われている。

 

すでに、300年以上も噴火をしていないとも聞いたことがある。

 

噴火後、その火山灰は、西から東へと吹く偏西風によって運ばれ、関東に大きな被害を与えることも予測がされている。

 

人々を魅了する、神秘的な美しさをもつ富士山。

 

日本を壊滅状態にさせる、危険性の高い富士山。

 

それら二面性を現した今回の夢は、『ただの夢』と言えないほど、ゾッとさせるものがあり、いつまでも脳裏に映像が焼きついている。

 

近い未来、現実には起こらないよう願うものの、情報として夢の記憶をここにも残しておく。