物や場所には想いや記憶が宿る
もみじやイチョウが、色とりどりに染まる紅葉の季節。
この時期の京都は、とても風情がある。
家族や友達と年に数回、京都を訪れ、観光名所を歩き、紅葉や川を見ながら美味しいものを食べる時間は、格別だ。
しかし、国の中心を担っていた歴史ある京都での散策は、時々、私にいろいろな場面を見せてくる。
家族と嵐山に行った時のこと。
時代劇に出てきそうな竹林の小径へ行った。
写真を撮っている人や立ち止まって竹を観察する人など、観光客がとても多かった。
私達も竹を愛でながら、周りの人が少なくなるのを待っていた。
そんな時、慌ただしい気配と足音がして、そちらへと目を向けた。
血相を変えた若い武士が、ものすごい勢いで走ってくる。
私は即座に後方へと飛びのき、武士に道をあけた。
突然の私の行動に、周りは驚き、怪訝な顔を向けてくる。
誰も若い武士が見えておらず、私の家族でさえも驚いていた。
若い武士を見たことで、私の中の、目では見えない世界を見るスイッチが入ってしまった。
辺りを見回すと、現在の町並みや竹林の小径に重なるようにして、武家屋敷などの昔の町並みが現れていた。
場所には、人の想いや記憶が宿り、また過去・現在・未来は同じ所に存在している為、過去と現在の風景とが重なって見える。
歴史ある京都では、武士の霊を見かけることも多い。
京都や全国各地に残るお城周辺では、刀や槍を持った鎧兜姿の者たちの戦が見えることもある。
同じように、物にも人の想いや記憶が宿る。
欧米では、超能力捜査官とよばれる人たちがいる。
彼らは、行方不明者や事件によって亡くなった被害者の写真や愛用品から想いや記憶などをたどり、捜査をする。
遺品や形見の品は悲しみだけでなく、故人との思い出を繋ぎ、遺族の心の支えとなることもある。
また新しい服や物を買うことに喜びを感じ、手に入れた後は、着ることも使うこともなく、部屋に置いたままという人がいる。
日頃のストレスなどから、状況や環境を変えたいという思いが、衝動買いに繋がっている。
新しい服や物には、新鮮な気が宿っている。
それを家に持ち帰ることで、部屋の空気が変わり、気分が晴れる。
しかし、あっという間に、その気は色あせてしまうから、また新しい物が欲しくなる。
そういう人には、断捨離がオススメだ。
使わない服や物を捨てることにより、あいた空間に新しい気と風が流れる。
気分もスッキリするだろう。