ひな人形と桃色の風
節分が過ぎると、「桃の節句」や「ひな祭り」の文字を街中で見かけるようになる。
その時に、ふと思い出す、私のひな人形。
子供の頃、毎年2月になると母が飾ってくれていた。
お内裏様とお雛さま、老人の左大臣と若い右大臣、三人官女、笛や太鼓を持つ五人囃子が段飾りの定位置に並べられ、桜や橘の花があり、ひなあられやちらし寿司なども供えて、とても華やかだった。
どの人形も綺麗な顔をしていて、細部にまでこだわった着物や小物を着けていた。
しかし、私は人形が苦手だ。
幼少期から霊を目撃することが多く、寝ている時も呼ばれて起こされていた私にとって、ひな人形を飾っている期間は、更に怖さが増す日々だった。
私が年齢を重ねるにつれて、次第に、お内裏様とお雛様だけを飾るという簡素なものへと変わっていった。
だが、それも高校生くらいまでで、その後は一切、飾ることもなく、冷たく人気のない物置に段ボールに入れたままの状態で放置してしまっていた。
20年後。
私は37歳となり、実家に戻ってきていた。
そして長年、物置に放置していた「ひな人形」を思い出し、もう今後も飾ることがないであろうそれらを神社に奉納することに決めた。
手放す前に、もう一度、飾ってあげようということになった。
段飾りでは場所を取る為、1階の和室に母がテーブルを置き、その上に白いさらしを敷いてくれた。
そのテーブルに、すべてのひな人形を並べ、ひなあられなどのお菓子、ちらし寿司、お酒やお水を供えた。
久しぶりに見るひな人形は、どこも色あせることなく、昔と変わらず綺麗なままで、子供の頃に感じた怖さもなかった。
それどころか、何故か急にひな人形を作った人の想い、私の為に購入してくれた人の愛情などが伝わってきて、心に灯りがともった。
ひな人形を飾って数日後。
夜10時頃、2階の洗面所から廊下に出ると、なんだか辺りの様子が違うような気がした。
それと、笛の音!?
動きを止めて、耳を澄ます。
やはり、かすかに笛の音のようなものが聴こえ、それは誰もいない1階からしているようだった。
いつものように薄暗い階段を下りていく。
階段の途中でガラっと空気が変わり、どこからか風が吹いてくる。
それは暖かく、春を感じさせるような淡い桃色の風で、桜の花びらも混じっていた。
そして、目の前に映像が現れた。
青空が広がる桜吹雪の中、芝生の上で、ひな人形が宴(うたげ)をしているものだった。
左大臣や右大臣が仕切り、五人囃子が奏でる音に合わせて踊りを舞ったりするのを、お内裏様とお雛様がお酒を飲んだりして眺めている。
その宴会での楽しげな音楽や踊りが空気を動かし、温かな淡い桃色の風となり、家の中を吹き抜けていく。
その風にあたると心が満たされるような感覚となり、自分の持つ気(オーラ)が輝いた。
映像を見ながら1階まで下り、和室の襖を開け、電気をつけた。
私の眼球では、昼間と同じ位置に置かれたひな人形が見えた。
全然、動いていない。
しかし、私の「目では見えない世界」を見る方では、和室全体に映像が広がっていて、ひな人形が動いていた。
そこで初めて、ひな人形を飾る理由が、わかった気がした。
家族が女子の健やかな成長を祈ることで、その想いがひな人形に届く。
だが、ひな人形は、お内裏様とお雛様だけを飾るだけでは意味がないのだ。
左大臣や右大臣、五人囃子や三人官女なども飾り、宴会をしてもらうことで桃色の風が家中に吹き、それによって女の子を大人の女性へと少しずつ成長させるのではないだろうか。
気(オーラ)を変化させ、色をつけ、大人の女性となるのを促す桃色の風。
子供の頃から不思議だった。
何故、ひな人形に食べ物や飲み物をお供えするのか。
日本には様々な人形があるが、お供えをするのは、ひな人形だけだ。
ひな人形の始まりは平安時代と古く、祓いの行事で使われていたらしいが、いつの時代からか段飾りに綺麗に並べられ、ちらし寿司やひなあられなどお供えするようになっている。
それは、何故なのか。
現代では、すぐに人と連絡が取れたり、会うことができたりと便利な世の中だし、医療の技術も向上して長生きが可能となっているが、昔は短命だし、人との連絡にも時間がかかる。
だからこそ、昔の人は思いを馳せたり、ひな人形にお供えをして祈りを込めたり、目では見えない世界があることも意識をして暮らしていたのではないだろうか。
現代では、目で見える世界だけで暮らしている人が多く、ひな人形の本来の意味を知らないまま飾っているのだ。
お内裏様とお雛様だけを飾っても意味がないのに。
五月人形も、ひな人形と同じで、男児を大人の男性へと成長を促す物なのだと思う。
子供の頃は、ただただ怖く、ひな人形の役割に気づくこともできなかったが、20年の時を経て、ひな人形に関わった人達の想いや宴会の映像が見られて良かった。
毎年、ひな人形をきっちり飾っていなかったから、私は周りから「女らしさや色気がない」とか「おっさんか」と言われるのではないだろうか。