沖縄本島の光と影
私は28歳の時に沖縄の恩納村に2年間、40代前半に沖縄市に3年半住んでいた。
職場は、沖縄本島の西側にあるリゾートホテル。
初めて沖縄に住み始めた時、アメリカのフロリダやオーストラリアのゴールドコーストのように寒暖差が少なく、海が綺麗で緑豊かな所が気に入っていた。
ビザ無しで海外のようなリーゾートで滞在ができることは、海外永住を諦めた私にとって、この上ない喜びだった。
しかし喜んだのも束の間、私にとっては過酷で大変な、正に修業を積む場所だった。
忘れもしない沖縄滞在初日。
ホテルの人事スタッフの案内で林の中に建つ寮に着いたのは夕方だった。
その地域は丘になっていて、いくつもの一軒家が立ち並び、それをホテルスタッフの寮として使用していた。
案内された家は大きな二階建てで、玄関を入り戸を開けると右手にダイニングキッチン、左手にリビング、奥に和室と洋室があった。
天井は吹き抜けになっていて高く、2階は20畳ほどの和室。
そこに私を含めて7名の女性のホテルスタッフと住む。
この丘に入り寮に着いてからも、ずっと私は誰かの視線を感じ胸がザワザワしていて、私の本能が「この場所に長居するのは良くない」と告げていた。
だが、沖縄に到着したばかりで他に行ける場所も無く、私は仕方なく和室に荷物を置いた。
一人だけホテルの仕事を終えて帰宅していて、夜ごはんを一緒に食べながら寮の説明などをしてくれた。
そして説明の最後に彼女が言った。
「この寮のある丘もホテルも、ものすごく幽霊が多いみたい。数週間前に寮に入った女性は霊感が強くて住むことができず、滞在一日でホテルを辞め、沖縄を去り実家に帰った。あなたは大丈夫?」
彼女の話を聞いて「やっぱりか~」と思うと同時に、「アメリカ・ブラジル・オーストラリアに続き、やはり沖縄でも私は霊と関わっていかないといけない人生なんだな」と覚悟を決めた。
沖縄は青い空と光に輝く海がとても綺麗で、南国らしい植物の花々が咲き、固有種の蝶やトンボなどの昆虫がたくさん飛んでいる。
そして文化も風習も食べ物も、私が生まれ育った所とは、まったく異なる。
沖縄は旧暦をもとにして、お盆やお正月があり、様々な独自のイベントが行われる。
その為、システム手帳も沖縄の行事に基づいて作られた物が売られているくらいだ。
また沖縄本島の西側の土地はエネルギーがとても強く、東に行けば行くほど弱くなっていく。
その土地エネルギーの影響もあってか、ホテルや店などの多くは西側にあり、東側よりも栄えている。
早朝、西海岸を車で走ってると、朝焼けの空に穏やかな海が広がり、鳳凰が飛んでいることがあった。
時々、龍を見かけることもあった。
沖縄での生活には発見や驚きがあり、毎日が刺激的で楽しいものだった。
しかし、沖縄本島では戦争中に20万人以上もの人が亡くなっており、その為、どこにいても霊が出てきて私を悩ませた。
特に4月から9月末くらいまでは戦争での死者の想いが強くなるからか、真夏の強い陽射しにもかかわらず、本島全体が悲しみに満ちた空気に覆われ寒く感じることがある。
また海を見ると真っ赤な血で染まっていて、戦争の悲惨さを体感できた。
そんな海に入っている観光客の中には、時折、体調を崩す人やホテル到着後に霊の多さによって気分が悪くなるなどして、沖縄での宿泊をキャンセルして帰る人もいた。
沖縄は人を魅了してやまない場所ではあるが、土地の合う・合わないがハッキリと出やすい所でもある。
沖縄のお菓子「ちんすこう」。
食べにくさもあって、あまり好きではないが、私が唯一、好んでよく食べていた「ちんすこう」がある。
それが「ファッションキャンディーのちんすこう」だ。
ミルクチョコレートでちんすこうをコーティングしてあって、食べやすく美味しい。
期間限定で出る「いちご」や「紅イモ」は、お土産にしても好評だった。
沖縄を離れた現在でも沖縄物産展で見かけると必ず買ってしまう。