霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【前世の記憶】アメリカでストリッパー

今世を生きている私は、アメリカの昔ながらのバーやクラブの雰囲気が好きだ。

 

木造のバーに入ると暗めの照明で、タバコやアルコールの匂い、英語の話し声が音楽と混ざり合い、とても心地が良い。

 

クラブに行くと暗い照明の中、大音量の音楽がかかり、話し声も聞こえにくく、自然と人との距離が近くなり、顔を寄せ合い会話をし、一緒にお酒を飲み踊る。

 

たくさんの人が音楽に合わせて一体となっていく感じが良い。

 

アメリカに住み、夜の時間をバーやクラブで過ごす時、私は「血が騒ぐ」ような感覚になる。

 

これは「前世からの魂の記憶」によるものだと思う。

 

アメリカの西海岸で白人女性として過ごした「前世の記憶」が残っている。

 

暗い照明の中、私は2本のポールがある舞台へと進む。

 

その瞬間、スポットライトがあたり、私の姿が浮かび上がる。

 

歓声や拍手が沸き起こり、会場はだんだんと熱気に包まれていく。

 

客席のライトは薄暗く、よく見えないが大勢の人の気配がする。

 

私は、ストリッパーだった。

 

20代前半で細身の長身。

 

短い金髪に黒い下着だけをつけて、踊っている。

 

音楽に混ざって暗い客席からの話し声やグラスの音が聴こえる中、たくさんの視線を感じながら踊れる喜びに浸っていた。

 

両親はおらず、弟と妹を養う為に働いていたが、現実は厳しく、食べていくのがやっとだった。

 

踊りは、そんな現実を忘れさせてくれるもので、その時間だけは幸せだった。

 

それが、どんな場所であろうと。

 

朝方、仕事を終えて、白いタンクトップと短パン、小さなバッグを肩からかけ、ヒールの靴を履いた。

 

そして、いつものように店の裏口から暗い路地へと出る。

 

ゴミが散乱しているのをよけながら、オレンジ色の街灯がともる大通りを目指して歩く。

 

すると後ろから呼ばれ、振り返ると黒いスーツを着た二人の男性が立っていた。

 

私は彼らと数分、話をしていた。

 

パン!

 

乾いた音がした。

 

自分の胸の辺りが熱くなり、白いタンクトップに赤いシミが、見る見るうちに広がっていく。

 

同時に私の体からは力が抜けていき、呼吸が思うようにできず、足元から崩れていった。

 

背中に冷たい道路の感触を感じた時、まだ幼い弟と妹の姿を思い出した。

 

気づいた時には、私は自分の死体を見下ろしていた。

 

この「前世の記憶」は、「今世を生きる私」になっても覚えているものだが、長年、「なぜ撃たれて殺されたのか」が思い出せなかった。

 

しかし数年前、急に蘇った記憶がある。

 

それは、「前世の私」が「薬の売人」をしていたという記憶。

 

学歴も何もなかった当時の私が、弟と妹を養いながら生活をしていくには、仕事の選択肢が少なかった。

 

その為、「ストリッパー」と「薬の売人」をする日々。

 

二人の黒いスーツの男性は、マフィアの人間だった。

 

会話の詳細がハッキリとは思い出せないが、私は彼らに「もう少し待ってください」と懇願した記憶がある。

 

だが、私の願いは届くことなく射殺されたのだった。

 

私の数々の「前世での出来事」が「魂の記憶」として刻まれ、「今世の私の人生」にも影響し、私の「人となり」を創り上げていたりする。

 

アメリカのバーやクラブでのタバコやアルコールの匂いは、私に懐かしさを感じさせるし、踊りたいと思わせる。

 

前世で至近距離から胸を銃で撃たれた為か、今世では時々、心臓の一部が引きつるような痛みが出ることがあり、その間は、呼吸がほとんどできない。

 

10年ほど前に「前世の記憶」を持つ女性と知り合ったことがある。

 

彼女は、前世で「男性に短剣で心臓を刺された女性」の記憶を持っていた。

 

今世での彼女は、幼少期より、たびたび起こる原因不明の心臓の痛みに悩まされていた。

 

彼女と私のは「魂の記憶」による身体的な痛みなのかもしれない。

 

また何かの本で読んだことがある。

 

前世で受けた「槍や刀」の傷は、今世に「顔や体のアザ」として現れる場合があると。

 

他にも事故で頭を打ち、封印が解けて「前世の記憶」を思い出したり、「前世の国の言葉」を急に読み書きできるようになった人の話も聞いたことがある。

 

脳の中に「前世の記憶」が封印されたまま、思い出せていない人は多い。

 

今世での体の特徴や自身の好きなもの、よく見る夢などを書き出してみると、「前世を過ごした国」や「前世の人物像」などが、少しずつわかってくるかもしれない。

 

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自分を追い詰め、死を引き寄せる自殺

これは、20歳の時の話。

 

保険事務の仕事を始めて、一年目。

 

毎朝8時半ごろに出勤をしていたが、繁忙期で「同じチームの総合職の男性2人の手伝いをしてほしい」と前日に上司から言われた為、その日は、すでに7時半から働いていた。

 

まだパソコンがほとんどない時代で、手書きやワープロで資料を作っていた。

 

少し開けたブラインドからは柔らかな朝の光が差し込み、3人しかいないオフィスは、とても静かだった。

 

男性の一人に作業について確認をしようと席へ向かう。

 

突然、男性の背後にあったブラインドが一瞬、暗くなった。

 

ドンッ!!

 

思わず首をすくめるくらい、ものすごく大きな音が聞こえた。

 

「何かが落ちたみたい」と私は男性2人に言いながら、ブラインドに駆け寄り、それを上へと引き上げ、窓を全開にした。

 

下を見る。

 

顔面蒼白で目を見開いた男性が、仰向けで倒れていた。

 

後頭部からは血が流れ出していて、歩道から車道へと細い線が伸び続けていた。

 

時間は8時を過ぎており、男性の周りには通勤途中の人たちが集まり始めていた。

 

落ちた男性に巻き込まれた人はいなかったようだ。

 

私のいたオフィスは低層階にあり、同じビルの6階以上に広告代理店が入っていた。

 

そこで働いていた男性は、40代の中間管理職だったそうだ。

 

その高層階から飛び降り「自殺」と断定されたと数日後に聞いた。

 

飛び降りた場所には、男性の靴がきちんと揃えて置かれてあり「事件性はない」と判断されたようだった。

 

しかし、それなら何故、男性は仰向けに倒れていたのだろうか。

 

しかも目は大きく見開かれ、口もあいていて、私には「驚いている表情」に見えた。

 

結局のところ、真相はわからない。

 

もし私が、いつも通り「8時半」に出勤をしていたら、すでに男性は救急車で搬送されていて見ることもなかっただろう。

 

だが、この日に限って私は「7時半」にはオフィスに入っていた。

 

それまでは「亡くなった身内と対面」の経験はあったが、「見知らぬ人の亡骸」を見たのは初めてだった。

 

20年以上が経った現在でも、あの「男性の顔」を忘れることはない。

 

これも「私の守護霊の段取り」だったのだろう。

 

この目撃をした日を境に、私は「自殺をした霊」や「遺族」と会う機会が数回あった。

 

私が会った「自殺をした霊たち」は、生前の職種も年齢も様々で、しっかりと計画を立てて自殺をした人、日々の業務の過酷さに解放されたいと思い続け自殺をした人など、いろいろだった。

 

しかし、共通部分があった。

 

それは、自らの命を絶ってしまったことへの「後悔」。

 

自殺者に対して「死ぬ勇気があるなら、もっと生きて頑張れたんじゃないの」という言葉を何度か聞くことがある。

 

だが「自殺をした霊たち」の話を聴くと、「勇気」があったから死んだのではない。

 

生前、彼らは生活環境を改善しようと努力をしていたが、うまくいかず、次第に心が折れ「もう死ぬしか方法がない」と思うところまで追い詰められたようだ。

 

それが最終的に自分で「死」を引き寄せることとなり、「死」というものに取り込まれた状態になったのではないかと思う。

 

それは「影」のようなもので、それに取り込まれると四六時中「死」ばかりを考えるようになり、そうなると周りに助けを求めようとも思わないだろう。

 

そんな状況から自分の力だけで抜け出し、元の明るい生活へと戻るのは難しいように思う。

 

「自殺をしてから我に返り、自分のやってしまった事の重大さに気づき、体に戻ろうとしたが戻れなかった」

 

「不安や悩みから解放されたくて死んだのに、全然、ラクになれない」

 

「残した家族の姿を見て悲しくなった」などの話を聴いた。

 

彼らは死後も「苦しみと後悔」「家族への思い」などを抱えながら「この世」にとどまり、「霊」として存在している。

 

「遺族」は、自殺の理由がわからなかったり、「もっと自分達が気づいてあげることができていれば」という後悔などで、そのまま時間が止まったような状態で過ごされている方も多い。

 

「自殺」は、良い結果を何一つ生まない。

 

「死んだ人」にとっても、「残された人」にとっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【情報】守護霊の段取り

こんな経験はないだろうか。

 

いつも通り「同じ時間」に起きて準備したつもりなのに、「早く用意ができた」または「なぜか、遅刻しそうになった」。

 

いつもと同じように車で通勤しているのに、今日は「赤信号」で止まることなく目的地に着けた。

 

これは「目では見えない世界からの段取り」で、その一部の例だ。

 

特に、自身の「守護霊による段取り」が多く、今後に展開する物事が「学び」となっていたり、「新しい出会い」があったりする。

 

どの人にも「守護霊」は存在し、いつも「アドバイス」や「段取り」などをしてもらっている。

 

「同じ夢」を何度も見たり、「3人以上」にそれぞれの場所で「同じ話」や「注意」をされる場合も「アドバイスやメッセージ」である可能性が高い。

 

引っ越しや転職などの「物事の始まり」や「人との出会い」にも「縁とタイミング」があり、人生で起こることは「すべて必然」、たとえそれが「辛く苦しい出来事」であっても意味があり、「学び」に繋がるものとなっている。

 

「生きる」ということは、何かとしんどいことだ。

 

しかし、世の中には「ほどほど(ちょうどいい程度)」という言葉があり、私は人生を生きる上で「この言葉は大切」で、これを意識することで「人生のスムーズさ」も違ってくると思っている。

 

目標に向かって自分なりに考え行動し、努力をすることは「知識や経験」となり、「魂の成長」へと繋がっていくから「頑張る時期」も必要だ。

 

でも、いくら頑張っても芽が出ない時や八方ふさがりになるような場合は、一旦、その歩みを止め、自分の好きな事をして、のんびり過ごす方が良い。

 

頭や体を休めてリラックスをしている時こそ、新しいアイデアが浮かんだり、川の水が流れるように物事が動き出したりする。

 

それが「守護霊の導き」であったり、次のステップへ向けた「段取り」であったりする。

 

一人で頑張るのではなく、時には「目では見えない世界」を頼り、「お願いやお任せ」をして良いと思う。

 

そして自分の思うように物事がスムーズに動き始めたら「感謝」をして、また頑張る。

 

何事も「ほどほど」が良いのだ。

 

どれくらいが自分にとっての「ちょうどいい程度」なのかを私は常に意識をして行動をしている。

 

例えば「働き過ぎず・遊び過ぎず」、自分にとっての「ちょうどいい中間」を意識している。

 

しかし、この「ちょうどいい中間」の加減が自身でわかってない人が多いように思う。

 

その為、一人でずっと悩み不安になりながらも、がむしゃらに頑張り続け、すでに体は限界がきているのに気力で走り続けている人をよく見かける。

 

頑張り過ぎは視界を狭くし直感を鈍らせる為、「守護霊」からの「サイン」に気づかないことが多い。

 

人は、一人で生きているのではない。

 

どの人も「目では見えない世界」と繋がっているし、「自身の守護霊の存在」があり、「アドバイス」「お導き」「段取り」などを頂いている。

 

それに「気づけている人」は、「悩みや不安」が少ないように思う。

 

「気づけていない人」は、常に「意識が外を向いている」ことも原因ではないだろうか。

 

毎日、時間に追われ、テレビやスマートフォンなどを見て「情報」にあふれた環境の中で過ごしていると、外にばかり意識がいき「自分と向き合う時間」がほとんどない。

 

好きな事をしたり、テレビやスマートフォンの無い「静かな場所」でリラックスをしたり、瞑想をすることで「内なる自分」と向き合え、「本当の自分を知ること」ができたり、「自身の体の変化」に気づけたりする。

 

「守護霊からのサイン」にも少しずつ気づけるようになっていくはずだ。

 

また「本屋を隅々まで歩いてみる」のもオススメだ。

 

分野にこだわらず、「目についた本」「気になった本」を手にしてみるのが良い。

 

その本の中に「求めている答え」が載っていたり、「新たな自分」を発見できたりするはずだ。

 

私の経験上、本は自分で選んでいるのではなく、「本に呼ばれ、手に取らされている」という感覚がある。

 

私は時間があれば、本屋で何時間でも過ごすことができる。

 

それは「子供の頃の出来事」が、私を本好きにさせ、本屋へと足を運ばせるようになった。

 

私の場合、幼少期より「霊体験」があり、「この人は、どこから来ているのか」「なぜ、体全体がすけているのか」など、いつも体験する度に様々な「なぜ?」が出てきていた。

 

「次の体験」をすると「私の質問に対する回答」が、「パズルのピース」のように「知識」として手元に一つずつ集まるようになる。

 

その「パズルのピース」の一部が繋がると「目では見えない世界の仕組み」を少し解明できたりする。 

 

私の質問に回答をしてくれる「母方の祖母」や「父」からも時々「ピース」をもらうこともあった。

 

小学生の高学年くらいになると、母が友達から「大量のマンガ」を借りてくるようになった。

 

・「恐怖新聞」「うしろの百太郎」 つのだじろうさんの作品

・「三つ目がとおる」 手塚治虫さんの作品

・「紅グモ」 楳図かずおさんの作品 など

 

母が借りてくるのは、なぜか「霊」や「古代文明と宇宙」に関するような物ばかり。

 

子供だった私には、「恐怖新聞」「うしろの百太郎」「紅グモ」は、絵を見るだけで怖かった。

 

これらのマンガを怖いと思いながらも読んでみると、私の「聞きたかったこと」や「知りたかったこと」が載っていたり、更に「目では見えない世界」や「宇宙」にも興味を持つキッカケとなった。

 

当時、「ドラえもんやキャンディキャンディとか、もっと明るく楽しいマンガもあるのに、なぜ怖い本ばかり!?」と不思議に思っていたが、今思えば、これらの漫画を読ませ「知識や興味を持たす」という「私の守護霊の段取り」だったようだ。

 

これにより自分で本屋に行くことも多くなり、様々な分野の本を読むようにもなっていった。

 

私の「先祖霊」は「行者や修行僧」が多く、「母方の祖母」や「父」も「目では見えない世界」の体験がある。

 

思えば「不思議な家族構成」であり、その環境で育った私は自然と「目で見えてる世界」と「目では見えない世界」との「両方の視点」を持てるようになった。

 

最初は「霊体験」ばかりだったのが成長するにつれ、私のレベルにあわせて、少しずつ経験する分野も「宇宙」「龍」「神仏」などへと広がっていった。

 

時には過酷だったり体調不良になることもあったが、自分なりに模索し、それを乗り越えると新たな視野が広がり、過去の自分と比べると成長を感じられる自分になっている。

 

この成長は、私の守護霊の「お導きや段取り」によって得たものでもあるが、まだ私の「パズル」は完成していない。

 

これからも私は努力を続け頑張るが、時には何もせずに「目では見えない世界」にお任せをするという、私なりの「ほどほど(ちょうどいい程度)」を意識しながら、「不思議な体験」を通して「パズルのピ-ス」を集めていく。

 

 

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宇宙を旅する①

2008年頃より「宇宙に関する夢」を見ることが多くなった。

 

しかし、どれも「ただの夢」ではないようで、記憶に残り、夢を見た翌朝は体が重力を感じ、鉛のように重く、しばらくはベッドから起き上がれないこともあった。

 

その日も、私は「宇宙」に来ていた。

 

すべてが透明のガラスで造られたような渡り廊下に立ち、外を見つめている私。

 

外は暗く何も見えなかったが、自分が宇宙空間に浮いているような気分を味わえた。

 

私のいた建物は、宇宙空間に浮かぶように造られていて、中はとても明るく、渡り廊下を左側へ歩いていくとガラスでできたような半球体の広い部屋があり、右側に行くと建物内へと入れた。

 

しばらくすると半球体の部屋の方から男性が歩いてくる。

 

その姿を見て、私は息をのんだ。

 

「この人、知ってる」

 

「顔見知りだという懐かしさ」がこみ上げてくるものの、肝心の名前も、素性も思い出せない。

 

思い出そうとすればするほど、頭の中に霧がかかるような状態だった。

 

外見は30才くらいに見え、2メートルくらいの長身で細身、肌は透き通るように白く、地球の白人男性に似ているが、髪は腰の位置よりも長くて、鮮やかな銀色をしている。

 

足先が隠れるくらいの一枚布で無地の黒いローブのような服を着ているが、それには光沢があって、彼が歩く度に風が吹いているかのように足元がなびき、軽やかだった。

 

彼の体は、柔らかな白い光に包まれているように見え、外見の若さに反して、穏やかで温かみのある雰囲気と知的さは、長い長い年月を生き、様々な経験をして、魂を磨いた者だけが出せる特有のものだった。

 

それらは明らかに「地球人ではない」ことを証明していた。

 

少しの間、私達はお互いの顔を見つめ合っていた。

 

彼の瞳は、とても澄んでいて印象的であり、「歓迎」をしてくれていることが伝わってきた。

 

そこで、目が覚めた。

 

2008年の別の日。

 

私は、また「どこかの惑星」に来ていた。

 

草木が一本も生えていない、地平線まで見渡せる大地。

 

地球に似ているが、「空気の軽さ」や目に映る風景の「色の鮮やかさ」が違った。

 

私は、乾いた土地に立っていた。

 

目の前には、教会のような建物と柵で囲われた所に「たくさんの動物」がいた。

 

猪・鹿・馬・鳥・ダチョウなど何種類もいる。

 

しかし、その「動物の目」を見て驚いた。

 

姿形は、地球で見る動物とあまり変わりはないが、どの動物も「黒目」を中心として「赤いボールペン」で描いたような「渦巻」が入っていた。

 

「赤い渦巻」に気をとられていると、突然、頭の中に言葉が響いてきた。

 

「ここの動物は、地球で見られる動物の本来の姿。地球は、まだまだ未熟な惑星。この惑星から「これらの動物の姿のまま」で連れていくことは不可能。その為、地球のレベルに合わせ、動物のレベルを下げる改良をされ、それが現在の地球で見られる動物だ」

 

地球に住む人類も、直接、食べ物を食べて栄養を取ったり、しっかり睡眠をとらないと体が回復しなかったり、思いは言葉に出さないと伝わらず、寿命が100年ほどと短い。

 

「高度な文明や技術を持つ惑星」から見ると、「地球」も「地球人」も幼く未熟で、それ故に争い事の多い惑星でもある。

 

「声の主」の姿は、最後まで見ることができなかったが、「地球は未熟な惑星」という言葉には、納得がいくことだった。

 

何年経っても、あの「動物たちの目」を忘れることができない。

 

 

アメリカでは、部屋にドリームキャッチャーを飾っている所が多かった。

 

「クモの巣」を真似て作られていて、良い夢はすり抜け、悪夢は防いでくれるという「アメリカの先住民インディアン」のお守りでもある。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母方の先祖霊」現る

アメリカでの盛り塩」からの続き。

 

私のルームメイトが体調を崩し、一時帰国している間、私は「1LDK」の部屋に一人住み続けるしかなかった。

 

部屋を借りているのは「ルームメイト」で、私は家賃を半分払い、部屋を使わせてもらっている身だったからだ。

 

一人暮らしになってみると、誰もいない部屋なのに、いつも視線を感じたり、霊がやって来たりで落ち着かず、よく気晴らしに散歩をしていた。

 

私が住んでいたアパートは「高級住宅地」の中にあり、大きな家が立ち並んでいて、どの家も芝生が綺麗に手入れされており、南国の植物が鮮やかに咲き、野生のリスが駆けまわったり、マンゴーが実っている木をもつ家も多く、たくさんの鳥が食べに来ていた。

 

ハロウィンになると、たくさんのカボチャや魔女・オバケの置物が芝生に置かれ、それがクリスマスの時期には、サンタクロースやトナカイにへと変わり、家全体を電球で飾る。

 

夜はライトアップされ、とても街並みが綺麗だった。

 

アメリカで最も私が好きな時期だ。

 

長期のクリスマス休暇の人も多くなり、家の裏から「自家用のクルーザー」で運河を通り、海に出てパーティーをする人達、昼間に海釣りへと出かけ、夕方には帰宅するクルーザーをよく見かけた。

 

そんなある日、いつものように近所を散歩していると、後ろから「聞きなれない音」が聞こえてきた。

 

振り返ってみる。

 

「はぁ~!? フロリダに騎士!?」

 

「真っ黒な馬」にまたがる「銀色の甲冑を着た騎士の霊」が、2~3メートル後ろにいた。

 

「騎士」は、ヨーロッパにいるというイメージを持っていた為、フロリダの風景の中で見る「甲冑姿」は奇妙だった。

 

甲冑をつけているから顔も体も全然わからず、しばらく待っても何も言わず、ずっと「騎士の霊」は馬にまたがったまま私を見下ろしていた。

 

仕方がないので私は歩き始めたが、後ろから「馬の足音」がついてくる。

 

 結局、アパートの近くまで来て「騎士の霊」は消えた。

 

私が無意識のうちに「霊」を呼んでいるのか、それとも「霊」が私を見つけて寄ってくるのか、もうわからないくらい、どこに行っても「霊の存在」があった。

 

散歩から部屋に戻って少しベッドで横になっていると、また「中国人少女の霊」が現れ、生前に彼女が住んでいた家の中を案内される。

 

この「少女の霊」が私の住む部屋にやって来て、すでに2か月が経っていた。

 

いつものように「ピンクのパーティードレスを着た少女霊」の後ろをついていく。

 

すると突然、私の左側にあった「横長の窓」が音もなく開き、仙人のように「真っ白な長髪とあごひげ」、「紺色の作務衣」を着たおじいさんが窓から入ってきた。

 

「首輪をつけた白い子猿」を連れている。

 

あまりに突然で、おじいさんに聞きたいことはあったものの声が出ず、機会を逃し、先を歩いている「少女の霊」を追いかけた。

 

「肩に子猿を乗せたおじいさん」も私の後ろからついてきて、家の中を見学しているようだ。 

 

リビングに続き、キッチンを見て、そこにある大きなガラス戸を開けて庭に出る。

 

「え!?」

 

その日は、庭の様子が違っていた。

 

いつもなら「青々と茂る木々」があったのだが、「枯れた大木」が一本あるだけだった。

 

その木の枝には、「無数の茶色のヘビ」が巻きつき、絡み合い、曇った空からは小雨が降り、ヘビの体を濡らしていた。

 

この時「少女の霊」の姿は見あたらず、この庭で「何が起こっているのか」理解できないまま、小雨の中、呆然と「枯れ木とヘビ」を見上げていた私の隣におじいさんが来て言った。

 

「この部屋に、このまま住んでいてはいけない。すぐに引っ越しをしなさい」

 

「引っ越しをしたいけど、ルームメイトが戻ってくるまでは、移動ができない」と回答をする私。

 

気がつくと、すべてが消えていて、ベッドに横たわっていた。

 

数日が経っても、おじいさんに言われたことが頭から離れなかった私は、ルームメイトが戻ってきたら、すぐに引っ越しができるよう「部屋探し」を始めることにした。

 

不動産屋に行って、気に入った間取り「1LDKの部屋」を実際に見せてもらう。

 

リビングは「20畳ほどの広さ」があり、その隣には3畳ほどのウォークインクローゼット、トイレと風呂が別々になっていて、日本円にして家賃5万円。

 

立地もよく、一目で「住みたい」と思った部屋だった。

 

不動産担当者に「この部屋を借ります」と言いかけた時、突然、「真っ黒な馬にまたがる騎士の霊」がリビング床の下から湧くように出てきた。

 

「この前、会った騎士!?」と心の中で叫ぶ私。

 

「一緒に、ここに住んでほしい」と「騎士の霊」の思いが伝わってくる。

 

あの散歩の時に出会ってから、「騎士の霊」は私を気に入ったようだった。

 

不動産担当者からすれば、急に一点を見つめ続け、無口になった私を不思議に思ったことだろう。

 

「騎士の霊」が出てくる前までは、「この部屋、良いね」としきりに言っていた私が、しばらく無口になり「180度」態度を変え、「この部屋に住むのは、無理です」と断ったことで不審に感じたに違いない。

 

「騎士の霊」によって「部屋探し」をする気力が一気になくなり、他に見せてもらうはずだった部屋の予定もすべてキャンセルをして、家に戻った。

 

その夜、「金縛り」で目が覚める。

 

住んでいた「洋室の部屋」には、すでに「四方が、ふすまに囲まれた和室の映像」が重なっていて、ベッドで寝ていたいたはずの私は、その和室の「布団」の中にいた。

 

「何これ。どうなってる!?」

 

和室は4畳ほどと狭く正方形で、薄暗かったものの、黄色がかった「ふすま」に鳥や花が描かれているのが見えた。

 

もっと部屋をよく見ようと体を横向きに変えた時、背後の「ふすま」が開き、誰かが入ってくる気配がした。

 

しかし、私の体は横向きのまま動けなくなり、背後が見れない。

 

しばらくすると、その「誰か」が私の背後から布団の中に入って来て、背中を撫でられた感覚があった直後、「手」が私の背中を貫き、心臓をギュッとつかまれた感覚となった。

 

「はっ!!」と息がつまる。

 

呼吸ができず、苦しさでもがこうとしても、体が動かない。

 

とても長い時間に思え、意識が遠のきそうになった時、「手」が心臓から離れた。

 

大きく息をすると、一気に酸素が入ってきて、心臓の鼓動は早く、体が動くようになった。

 

背後で男性の大きな笑い声。

 

起き上がり振り返ってみると、布団には「おじいさん」がいた。

 

骨と皮だけの細い小柄な体で、肌にはツヤがなく、顔にも深いシワが何本もあり、目だけが異様に大きく、生き生きとしていた。

 

髪の毛がほとんどなく、とても嬉しそうに笑っている口元は、歯も所々しかない。

 

「鳥のヒナ」を思わせる「おじいさん」だった。

 

その「おじいさんの霊」は、楽しそうに爆笑しながら、私に何かを言ったが聞き取れず、気づくと映像は消え、ベッドの上にいた。

 

数日後、私の父が初めて国際電話をかけてきた。

 

年に数回、メールはしていたが、父の声を聞いたのは「何年ぶりだろう」、とても久しぶりだった。

 

父も幼い頃より「数々の霊体験」をしており、また「予知能力」を持っていた。

 

私は父に「鳥のヒナのような男性霊に心臓をつかまれた話」をした。

 

すると、「やっと行ってくれたか、しんうえもんさん」と嬉しそうに言うのである。

 

「えっ、誰って!?」

 

真右衛門さんだよ。こんな漢字の名前で、戦国時代に生きてた武士。お母さんの方のご先祖様で、お父さんの所にも、よく現れる」

 

私には、初耳だった。

 

しかも、私が「心臓をつかまれた理由」として、父の所に「一か月ほど前」から、「私が通学時に交通事故に遭い、瀕死の状態になっている未来映像」が届いていたと言う。

 

その為、よく父の所に現れていた「真右衛門さん」に「娘の命を救ってほしい」と「何度もお願いをしていた」ということを聞かされた。

 

かなり驚いたが「もしかして」と思い、私は「白い子猿をつれたおじいさんとの体験談」を父に語った。

 

「あ~、勝浦のじいさんか~」

 

やはり父は知っていた。

 

この「仙人のようなおじいさん」は「和歌山県那智勝浦町」で昔、猿とともに過ごし、「行者(ぎょうじゃ)」をしていたとのこと。

 

この場所は「熊野古道のエリア」でもあり、霊場がある。

 

私の「母方の先祖」は、元々、武士をしていたが戦に負けて故郷を捨て、後に「商売人となる者」と「行者や修行僧になる者」と分かれたようだ。

 

私は幼い頃より、時々、家の中で「行者や修行僧の霊たち」と会うことがあったが、今回、出てきた霊たちは、初めてだった。

 

たくさんの「霊体験」をして、疲れたり体調不良になったりする私を心配して現れてくれたり、「命を守る為」に出てきてくれた「先祖霊たち」。

 

日々、「様々な思いを持つ霊たち」に振り回される生活をする一方で、今回の先祖霊たちのように「私を守ってくれる存在」があることを実感した。

 

この出来事があってから、「守られていることの心強さ」を感じ、私の心は「根」が土にしっかりと張るように安定し、常に安堵感が得れるようになった。

 

そして「先祖霊」や「守護霊」などの更なる助けや導きを頂きながら、「目では見えない世界について」を体験し、知識を増やす努力をしながら、その後も充実した「フロリダ生活」を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【情報】アメリカでの盛り塩

3階建て、プールと広い中庭があるアパート。

 

私は、1階の角部屋「1LDK」に住んでいた。

 

ここは、住み始めて数日後から頻繁に夕方頃、「南北戦争の兵士たちの霊」が現れる場所でもあった。

 

しかし、この部屋での「霊体験の始まり」は、「引っ越ししてきた夜」からだった。

 

コツ、コツ、コツ、コツ・・・コツ、コツ、コツ・・・。

 

夜中、キッチンの方で音がしていて、目が覚めた。

 

ベッドルームで仰向けでベッドに寝ていた私のもとに、すぐ「色つきの映像」が出てくる。

 

スーツを着て革靴を履いている30歳前後の細身の男性が、キッチンを歩き回っていた。

 

ここのキッチンとベッドルームは、壁や床に「白いタイル」が貼ってあって、暑いフロリダでも涼しく、快適に過ごせるようになっていた。

 

そのキッチンのタイル床を「革靴」で歩き、音が響いていたのだ。

 

映像の男性を観察すると「中国人」で、「私のルームメイト」が中国から渡米する際、空港から憑いてきたことがわかった。

 

余談になるが、「霊」は「自分と波長の合う人」や「境遇の似ている人」に憑く場合がある。

 

時々、「自分には霊感がないし、見えないから大丈夫」と言う人がいるが、そんな人にでも霊は憑いてくるし、本人は、それに気づいていないことも多い。

 

留学や旅行などで世界各国を行き来する人が多くなったことで、「霊」も国際化していて、フロリダでも「欧米・南米・アジア系の霊」と会うことも多かった。

 

私のルームメイトは中国人女性で、年齢がちかく、同じ学校だった。

 

彼女は「家賃を半分支払ってくれる人を募集」していて、私は「落ち着いて住める部屋」を探していた。

 

初めて部屋を見学に行った時、「なんだか、この部屋、寒いな」と思い、違和感があったものの「霊」の気配がなく、タイル貼りの造りだったこともあり、「気のせい」と自分に言い聞かせ、借りる契約をしたのだった。

 

しかし、私の感じた「違和感」は、間違いではなかった。

 

やはり「直感」は、信じるべきだ。

 

自分が持っている「気(オーラ)」が、なんらかの反応をして「直感」に繋がっている。

 

当時、私はこの「直感」を「ただの気のせい」として真剣には捉えず住んでしまったことで、後々、「数多くの霊たち」に悩まされたり、体調不良になったりすることとなった。

 

私のルームメイトは、すでに留学をして4年ほど経っており、その間ずっと「スーツ姿の男性」が憑いていたようだった。

 

その「男性霊」は、私のルームメイトをとても気に入っていた。

 

ルームメイトは長年の「霊の影響」もあって、渡米後より少しづつ体調不良になることが多くなり、私と一緒に住み始める前くらいから、ひどい時には体がほとんど動かない日もあったようだ。

 

「スーツ姿の男性霊」は、私がルームメイトと一緒にいる時は、いつも離れた場所から彼女を見ていた。

 

「霊」は、「霊が見える人・見えない人」との区別がつくようだ。

 

その「男性霊」は私を警戒していたのか、私に近寄ってくることはなかった。

 

何度かルームメイトから離れるように説得をしてみたが、話を聞かず、効果がなかった。

 

時間帯に関係なく、一日に何度でも、毎日のように「スーツ姿の男性霊」は現れ、ルームメイトを見ていた。

 

また、その「男性霊」と同じくらいの頻度で出てくる「中国人少女の霊」がいた。

 

この「少女の霊」が最初に現れたのは、私が住み始めて数日後。

 

朝方、急に「金縛り」で目が覚めると、私のベッドの足元に10歳くらいの少女が立っていた。

 

パーティーでもあったのか「ピンクのパーティードレス」を着ていて、長い黒髪の一部を後頭部で結び、ピンクのリボンをつけて、耳を出していた。

 

少女の体は、全体が透けていて、後ろにある「ベッドルームのドア」が見えていた。

 

隣のベッドでは、いつものようにルームメイトが熟睡していて、「霊現象」が起きている時は眠らされているのか、起きてくることはなかった。

 

しばらくすると、ベッドルーム全体に「色つきの映像」が当時の部屋に重なるように出てきた。

 

中国の家具が置いてあり、花や蝶などの模様が描かれた花瓶や布などのインテリア。

 

「中国人少女の霊」が生前、住んでいた家の映像だった。

 

裕福な家庭に生まれたものの、両親は仕事が忙しく、ほとんどの時間を「少女」は「お手伝いさん」と過ごしていたようで、少女からは「孤独と寂しさ」が伝わってきた。

 

それでも少女は、働く両親が自慢で、両親が建てた家が好きだったようだ。

 

毎回、「少女の霊」が現れると「彼女が住んでいた家」の案内をしてくれた。

 

リビング・キッチン・庭・・・。

 

案内中も、とても少女は物静かで、いつも「後ろ姿」が寂し気だった。

 

私に「何かをしてほしい」と言うことも全然なく、ただ家の案内をしてくれ、両親の素晴らしさを伝えてきた。

 

私にとっては「初めてのタイプの霊」だった。

 

「中国人少女の霊」や「スーツ姿の男性霊」と入れ替わるようにして出てきていた「南北戦争の兵士たちの霊」は、いつも騒がしく、興奮していたりで荒々しい状態だったし、他に体験した霊たちも「私に聞いてほしいこと」や「願い」などを言ってきたりと「霊として出てくる理由」のようなものが全面に押し出されていた。

 

ところが、この「少女の霊」には、それが一切ない。

 

「なぜ、この世にとどまり霊になったのか」、「私に何をしてほしいのか」が不明のまま、何度も何度も、家の案内だけをしに現れた。

 

この状態が2か月ほど続き、部屋にいると時間帯に関係なく「スーツ姿の男性霊」「南北戦争の兵士たちの霊」「中国人少女の霊」が代わる代わるやって来て、ほとんど寝れない毎日が続き、家の周辺でも「霊との遭遇」が多くなり、精神的にも体力的にも常に疲れていて、体調不良になることもあった。

 

それでも「フロリダに住んでいる」という状況が嬉しくもあり、いろんな国の友達と過ごす時間は楽しく、「帰国」を考えることがなかった。

 

毎朝、綺麗な海や運河を見ながら「カラフルな色彩の街並み」を自転車で走ると爽やかな風で眠気も吹っ飛び、学校で友達と会い、帰りはスーパーで「アメリカらしい食材」を見るのは面白く、買って帰って自炊をした。

 

時には、友達とビーチで泳いだり、朝までバーやクラブでお酒を飲み、語り、踊った。

 

マイアミまでライブやバスケットボールの試合などを観戦をしたり、モーテルに泊まりながらフロリダのあらゆる観光名所にも行った。

 

スーパーに行くと「体重計」が置いてある所が多い「フォートローダーデール」。

 

多忙で寝不足の日々を1年近くも続けていたら、体重が「7キロ」も減っていた。

 

その頃には、中国人のルームメイトの体調もかなり悪くなっていて、起き上がれない日が増えていた。

 

「何か対策しないと」と思い、私は試しに「盛り塩」を部屋に置いてみることにした。

 

角部屋の外側には塩をまき、玄関や窓枠に「天然塩」の入ったお皿を置いた。

 

その日、「霊」は来なかった。

 

喜びは一瞬で、翌日からは元通り・・・全然、効力がなかった。

 

後から知ったことだが、アメリカの土地では様々な宗教があるものの、「キリストが守っている土地」の為、「盛り塩」では効果がなく、やはり「聖水」が良いようだ。

 

当時の私には、まだまだ知識も経験値も少なく、わからなかった。

 

結果、ルームメイトは更に体調を崩し、国に一時帰国することとなった。

 

引っ越しを考えていた私だったが、ルームメイトが戻ってくるまでは、一人住み続けないといけない状況となる。

 

それにより「私の母方の先祖霊について」、いろいろと知ることとなっていく。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【幽体離脱】南北戦争の兵士たちの霊

フォートローダーデールに留学をして8か月くらいが過ぎた頃、私は相変わらずアパートを転々としながら、バスや自転車で語学学校に通う日々を送っていた。

 

生活にも慣れ、英語も最低限の日常会話ならできるようにもなり、当時は「日本のような島国ではなく、大陸に永住したい」という願望もあって、フロリダ州の運転免許証を取ることにした。

 

フロリダの教習所は、日本のように練習用の車が用意されていない。

 

知り合いや友達に車で教習所まで連れて行ってもらって、その車を借りて教習所内を教官や友達などを乗せて走る。

 

テストも会話も、すべて英語だ。

 

日本では運転をしない「ペーパードライバー歴6年」の私だったが、左ハンドルで道幅や駐車場も広い場所では問題なく運転ができ、一発で合格だった。

 

無事に免許がもらえ、一度、体験してみたかった銀行に車で行ってみた。

 

フォートローダーデールの銀行ATM」は、「ドライブスルー」になっている場所がある。

 

車を降りることなく、運転席の窓から「ATM」を操作できる。

 

なんだか「アメリカらしさ」を感じる体験だった。

 

屋根もない道路沿いにポツンと「ATM」があったりするから、暑い中、列に並ぶのがイヤで「ドライブスルー」ができたと聞いたことがある。

 

結局、免許を取ったものの、車を買って運転することが一度もなかった。

 

運転をしていると車道で「霊」と遭遇することが多かったからだ。

 

車道を歩く霊、車に乗り込んでこようとする霊・・・道路標識に霊にと見るところが多くなり、運転は私の神経を消耗させた。

 

その為、私の運転免許証は「身分証」としてだけ使われ、母や友達が遊びに来る時は、レンタカーを借りて、短期間だけ運転をした。

 

当時のアパートは、3階建てでプールと広い中庭があった。

 

1階の角部屋「1LDK」。

 

玄関を入ると壁も床も「白いタイル」が貼ってあって、暑い中、帰宅をしても家は涼しく快適だった。

 

しかし、この部屋が一番「霊」に悩まされた場所だった。

 

夕方、学校から戻り、ベッドで少し休もうと横になった。

 

空気の重さが変わり、「ごぉぉぉぉぉぉ!!」という耳鳴り。

 

「やっぱり来たか、この時間が」

 

しばらくすると黒い制服と帽子を被り、剣を持った男性の霊が次々と部屋に現れた。

 

その数は「100人以上」となり、部屋は男性霊達の興奮した声が反響し、何を言っているのかわからない。

 

中には、ドーベルマンのような「真っ黒な犬」を2頭連れていて、その犬も何かに向かって吠えたり遠吠えを繰り返していた。

 

住み始めて数日後から毎日のように夕方頃、彼らは現れる。

 

すでに5回以上は来ていたが、いつもなら「金縛り」だけで終わるはずが、この日は違っていた。

 

ベッドに仰向けだった私は、「金縛り」で動けない状態。

 

そこに「私の手足や体」を数人の男性霊に押さえつけられ、更に動けない。

 

その男性霊達からは、火薬や血・汗の臭いがした。

 

部屋の中に「色つきの映像」も重なってくる。

 

それは、たくさんの建物が崩れ、火が出ていて、人々が叫び、逃げ惑う映像。

 

また、私の部屋に現れている男性霊達が、剣や銃で戦っている映像。

 

押さえつけられてることで「私の体の痛み」と男性霊達からの「心の叫び」や「戦場の激しさ」などが伝わってきて、私は耐えることができず「この部屋を早く出ないと!」という危機感を感じた。

 

なんとか起き上がり、ベットを降り、すぐ目の前にある「戸のドアノブ」に触ろうとした。

 

「ん!? 全然、触れない」

 

不思議に思って「手」を見ると、透けている!!

 

驚いて振り返ると、ベッドの上には、先ほどと同じように数人の男性霊達に体を押さえつけられている「私がいた」。

 

幽体離脱」だった。

 

初めての体験で驚いたのと同時に「体に戻れなくなったら大変」という思い。

 

誰かに力いっぱい体を引っ張られた感覚があり、気づけばベッドの私の体に戻っていて、また霊達を見上げている状態で、また痛さなどに耐えかねて「幽体離脱」。

 

こんなことを2~3回は繰り返しているうちに、私も落ち着きを取り戻し、気づいたことがあった。

 

たくさんの霊達は、戦場での思いを聞いてほしくて、私にすがって来ていたということ。

 

この制服を着た男性達が、「南北戦争の兵士」だということ。

 

私の「気づき」が男性霊達にも伝わったようで、ゆっくりと私の体から手を離していく者、部屋から去っていく者・・・そして、誰もいなくなった。

 

「金縛り」がなくなり、重く感じた空気も元に戻った。

 

私の呼吸は荒く、体は長距離を走ったような疲労感と汗、押さえつけられていた箇所は筋肉痛のようになっていて、しばらくはベッドから起き上がることができなかった。

 

でも、心は軽く清々しかった。

 

男性霊達の満足した様子が、伝わってきていたから。

 

この日を最後に、彼らが現れることはなかった。