霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【情報】アメリカでの盛り塩

3階建て、プールと広い中庭があるアパート。

 

私は、1階の角部屋「1LDK」に住んでいた。

 

ここは、住み始めて数日後から頻繁に夕方頃、「南北戦争の兵士たちの霊」が現れる場所でもあった。

 

しかし、この部屋での「霊体験の始まり」は、「引っ越ししてきた夜」からだった。

 

コツ、コツ、コツ、コツ・・・コツ、コツ、コツ・・・。

 

夜中、キッチンの方で音がしていて、目が覚めた。

 

ベッドルームで仰向けでベッドに寝ていた私のもとに、すぐ「色つきの映像」が出てくる。

 

スーツを着て革靴を履いている30歳前後の細身の男性が、キッチンを歩き回っていた。

 

ここのキッチンとベッドルームは、壁や床に「白いタイル」が貼ってあって、暑いフロリダでも涼しく、快適に過ごせるようになっていた。

 

そのキッチンのタイル床を「革靴」で歩き、音が響いていたのだ。

 

映像の男性を観察すると「中国人」で、「私のルームメイト」が中国から渡米する際、空港から憑いてきたことがわかった。

 

余談になるが、「霊」は「自分と波長の合う人」や「境遇の似ている人」に憑く場合がある。

 

時々、「自分には霊感がないし、見えないから大丈夫」と言う人がいるが、そんな人にでも霊は憑いてくるし、本人は、それに気づいていないことも多い。

 

留学や旅行などで世界各国を行き来する人が多くなったことで、「霊」も国際化していて、フロリダでも「欧米・南米・アジア系の霊」と会うことも多かった。

 

私のルームメイトは中国人女性で、年齢がちかく、同じ学校だった。

 

彼女は「家賃を半分支払ってくれる人を募集」していて、私は「落ち着いて住める部屋」を探していた。

 

初めて部屋を見学に行った時、「なんだか、この部屋、寒いな」と思い、違和感があったものの「霊」の気配がなく、タイル貼りの造りだったこともあり、「気のせい」と自分に言い聞かせ、借りる契約をしたのだった。

 

しかし、私の感じた「違和感」は、間違いではなかった。

 

やはり「直感」は、信じるべきだ。

 

自分が持っている「気(オーラ)」が、なんらかの反応をして「直感」に繋がっている。

 

当時、私はこの「直感」を「ただの気のせい」として真剣には捉えず住んでしまったことで、後々、「数多くの霊たち」に悩まされたり、体調不良になったりすることとなった。

 

私のルームメイトは、すでに留学をして4年ほど経っており、その間ずっと「スーツ姿の男性」が憑いていたようだった。

 

その「男性霊」は、私のルームメイトをとても気に入っていた。

 

ルームメイトは長年の「霊の影響」もあって、渡米後より少しづつ体調不良になることが多くなり、私と一緒に住み始める前くらいから、ひどい時には体がほとんど動かない日もあったようだ。

 

「スーツ姿の男性霊」は、私がルームメイトと一緒にいる時は、いつも離れた場所から彼女を見ていた。

 

「霊」は、「霊が見える人・見えない人」との区別がつくようだ。

 

その「男性霊」は私を警戒していたのか、私に近寄ってくることはなかった。

 

何度かルームメイトから離れるように説得をしてみたが、話を聞かず、効果がなかった。

 

時間帯に関係なく、一日に何度でも、毎日のように「スーツ姿の男性霊」は現れ、ルームメイトを見ていた。

 

また、その「男性霊」と同じくらいの頻度で出てくる「中国人少女の霊」がいた。

 

この「少女の霊」が最初に現れたのは、私が住み始めて数日後。

 

朝方、急に「金縛り」で目が覚めると、私のベッドの足元に10歳くらいの少女が立っていた。

 

パーティーでもあったのか「ピンクのパーティードレス」を着ていて、長い黒髪の一部を後頭部で結び、ピンクのリボンをつけて、耳を出していた。

 

少女の体は、全体が透けていて、後ろにある「ベッドルームのドア」が見えていた。

 

隣のベッドでは、いつものようにルームメイトが熟睡していて、「霊現象」が起きている時は眠らされているのか、起きてくることはなかった。

 

しばらくすると、ベッドルーム全体に「色つきの映像」が当時の部屋に重なるように出てきた。

 

中国の家具が置いてあり、花や蝶などの模様が描かれた花瓶や布などのインテリア。

 

「中国人少女の霊」が生前、住んでいた家の映像だった。

 

裕福な家庭に生まれたものの、両親は仕事が忙しく、ほとんどの時間を「少女」は「お手伝いさん」と過ごしていたようで、少女からは「孤独と寂しさ」が伝わってきた。

 

それでも少女は、働く両親が自慢で、両親が建てた家が好きだったようだ。

 

毎回、「少女の霊」が現れると「彼女が住んでいた家」の案内をしてくれた。

 

リビング・キッチン・庭・・・。

 

案内中も、とても少女は物静かで、いつも「後ろ姿」が寂し気だった。

 

私に「何かをしてほしい」と言うことも全然なく、ただ家の案内をしてくれ、両親の素晴らしさを伝えてきた。

 

私にとっては「初めてのタイプの霊」だった。

 

「中国人少女の霊」や「スーツ姿の男性霊」と入れ替わるようにして出てきていた「南北戦争の兵士たちの霊」は、いつも騒がしく、興奮していたりで荒々しい状態だったし、他に体験した霊たちも「私に聞いてほしいこと」や「願い」などを言ってきたりと「霊として出てくる理由」のようなものが全面に押し出されていた。

 

ところが、この「少女の霊」には、それが一切ない。

 

「なぜ、この世にとどまり霊になったのか」、「私に何をしてほしいのか」が不明のまま、何度も何度も、家の案内だけをしに現れた。

 

この状態が2か月ほど続き、部屋にいると時間帯に関係なく「スーツ姿の男性霊」「南北戦争の兵士たちの霊」「中国人少女の霊」が代わる代わるやって来て、ほとんど寝れない毎日が続き、家の周辺でも「霊との遭遇」が多くなり、精神的にも体力的にも常に疲れていて、体調不良になることもあった。

 

それでも「フロリダに住んでいる」という状況が嬉しくもあり、いろんな国の友達と過ごす時間は楽しく、「帰国」を考えることがなかった。

 

毎朝、綺麗な海や運河を見ながら「カラフルな色彩の街並み」を自転車で走ると爽やかな風で眠気も吹っ飛び、学校で友達と会い、帰りはスーパーで「アメリカらしい食材」を見るのは面白く、買って帰って自炊をした。

 

時には、友達とビーチで泳いだり、朝までバーやクラブでお酒を飲み、語り、踊った。

 

マイアミまでライブやバスケットボールの試合などを観戦をしたり、モーテルに泊まりながらフロリダのあらゆる観光名所にも行った。

 

スーパーに行くと「体重計」が置いてある所が多い「フォートローダーデール」。

 

多忙で寝不足の日々を1年近くも続けていたら、体重が「7キロ」も減っていた。

 

その頃には、中国人のルームメイトの体調もかなり悪くなっていて、起き上がれない日が増えていた。

 

「何か対策しないと」と思い、私は試しに「盛り塩」を部屋に置いてみることにした。

 

角部屋の外側には塩をまき、玄関や窓枠に「天然塩」の入ったお皿を置いた。

 

その日、「霊」は来なかった。

 

喜びは一瞬で、翌日からは元通り・・・全然、効力がなかった。

 

後から知ったことだが、アメリカの土地では様々な宗教があるものの、「キリストが守っている土地」の為、「盛り塩」では効果がなく、やはり「聖水」が良いようだ。

 

当時の私には、まだまだ知識も経験値も少なく、わからなかった。

 

結果、ルームメイトは更に体調を崩し、国に一時帰国することとなった。

 

引っ越しを考えていた私だったが、ルームメイトが戻ってくるまでは、一人住み続けないといけない状況となる。

 

それにより「私の母方の先祖霊について」、いろいろと知ることとなっていく。

 

続く。