霊と虫の大群と
沖縄での初めての住まいは、ホテルが所有していた一軒家で、女性のホテルスタッフ7人との共同生活。
丘の中腹に建ち、立派な門があり、広い庭と南国の木々に囲まれていた。
その為、家の中にはヤモリがたくさん入り込み、時には干からびた死骸を発見することもあった。
私が使っていた1階の和室は虫が多く、壁や畳の上を大小さまざまなアリやクモがいつも歩いていた。
台風の時期には巣が壊されるのか、アリの大群が家に入り込み、リビングの壁一面を黒々と染めていることが多く、私達を驚かせた。
また台風の過ぎ去ったある朝、ブーンブンブンと何かの音で目が覚めた。
音の出所を探すと網戸にびっしりスズメバチ。
他のルームメイトの部屋でも同じように、スズメバチの大群が窓ガラスに当たり続けていたり、網戸に押し寄せたりしていた。
どの部屋の網戸も破れていなかったおかげで、家の中にスズメバチが入ってくることもなく、また玄関だけは何故だか一匹もいない状態で誰も刺されることもなく、駆除してくれる業者を呼んだり、仕事へも行くことができた。
沖縄では台風も虫も多いのに、洗濯機を家の中ではなく、外に設置している所が多い。
その為、洗濯する時は「虫の入っている水で服を洗うかもしれない」という覚悟が必要だった。
ルームメイトの一人は、洗濯の脱水後に服を取り出してみると、足のもげた大きなジョロウグモの死骸が出てきたことがあった。
毎日、たくさんの綺麗なチョウやトンボが飛んでいたり、クワガタなどの昆虫を見かけると心躍ったが、アリ・クモ・ゴキブリ・スズメバチ・ヤスデ・ヤモリ・・・挙げだしたらきりがないくらい家に現れる虫の大群には悩まされ、ホテルの仕事で疲れている私を更に疲弊させた。
そして、もう一つ私を悩ませたのが霊の多さだった。
第二次世界大戦時、沖縄では20万人を超える死者が出ている。
それに加えて、戦争以外で亡くなった霊も数多くいる。
だから時間帯に関係なく、あちこちで霊と会う状態だった。
家の近所でも、ごみ置き場を徘徊する老人の男性霊を何度も見かけたり、和室で寝ていると毎晩のように金縛りの中、戦時中に亡くなった人達の訪問を受けた。
ほとんど眠れないまま、ホテルに行き仕事をする。
フロントでの仕事は残業も多く大変ではあったが、同世代の人が多く、頻繁にあった昼から明け方にかけてのビーチバーべキューでは、仕事を終えたホテルスタッフが入れ替わり立ち代わり参加をした。
出身地も部署も違う人達との交流は、とても楽しいものだった。
しかし、ルームメイト達が参加をして帰ってくると、必ず霊を連れて帰ってきた。
ある日、私とルームメイトのSちゃんが、バーベキューを終えて帰宅をした。
しばらくして、それぞれの布団に入るとすぐに足音がした。
パタパタパタパタ。
Sちゃんの布団の方からしていた足音は、部屋を出て行った。
そんな足音に気がついたSちゃんが私に「何か忘れ物?電気つけようか?」と言った。
「私じゃないよ、今の足音。小学生くらいの防空頭巾をかぶった女の子の霊だよ」
Sちゃんは、とても驚き怖がった。
だが夜のバーベキューの時に海で泳ぎ、それにより女の子を連れて帰ってきたのは、Sちゃん自身だった。
私は彼女に言った。
「沖縄では夜の海には入らない方がいいよ。霊の数も多くなったり霊力も増すだろうし、足を引っ張られたり、ケガや体調不良になったりする可能性もあるよ」
沖縄で生まれ育った人は「海は泳ぐものではなく、眺めるものだ」と言い、泳がない。
それに、泳げない人もたくさんいる。
海で泳いでいるのは、沖縄県以外からの移住者か観光客が大半だ。
幸いSちゃんの身体には何事もなく、防空頭巾の少女も彼女からすんなり離れ、家を出ていったから良かった。
戦争を知らず都会で生まれ育った私にとって、最初の沖縄移住は霊を通して戦争を肌で感じたり、虫の大群によって奮闘し鍛えられたような気がする。
たくさんの霊と虫とでホッとする場所がなく、毎日が寝不足の状態で、仕事も忙しく大変だった。
でも、人間関係の良さに救われた。
だからこそ、長期滞在ができたのだと思う。
沖縄でも、一生つき合える友達が数多く持てたことは、大きな喜びである。
普段、めったにアイスクリームを食べないが、沖縄ではよく食べたブルーシール。
「さとうきび」や「塩ちんすこう」、「紅イモ」などの沖縄ならではの味も楽しめる。