霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

猫の愛

季節が肌寒くなってきたり疲れている時などに、ふと思う。

 

「あぁ、猫か犬を触りたい」と。

 

そして同時に思い出すことがある。

 

ロサンゼルスで出会った猫のことを。

 

私が26歳の頃、独身のイタリア系アメリカ人女性が住む高層階のマンションにホームステイをしたことがあった。

 

私専用の寝室とバス・トイレが完備されており、彼女との共通スペースである広いキッチンやリビングは自由に使って良いとのことだった。

 

彼女は2匹の猫を飼っていたが不動産の仕事が忙しく、週の4日間は出張などで不在となることも多く、私にとってロサンゼルスで一人暮らしの体験もできる最高の環境だった。

 

彼女が不在の時は、猫のお世話を任された。

 

小学生の頃に犬を飼ったことがあったが、猫は経験がなかった。

 

しかし犬と違って散歩もいらないし、一日の大半を寝て過ごす猫のお世話は楽だった。

 

「2匹の猫は一度も外に出たことがない」と彼女は言っていたが、広い部屋を駆け回っているのを見ると外に出なくても充分な運動になっているようだった。

 

ご飯を食べて寝て、遊んでまた寝る。

 

「なんて、うらやましい生活なのか」と猫を見るたびに思う。

 

茶系の猫も真っ白な猫も人懐っこく、私に寄って来てくれることに癒された。

 

その日もリビングのソファーに座り、テレビを見ていた。

 

私の太ももの上には白い猫が寝ていて、向かいのソファーには茶系の猫が寝ていた。

 

すると急に2匹がビクッと起き上がり、隣の部屋へと走って行ってしまう。

 

「急にどうした?」と思っているとバタバタと戻ってきて、リビングのテーブルの周りをグルグル走る。

 

あれっ、3匹になってる!

 

よく見ると2匹にじゃれるようにして三毛猫が遊んでいる。

 

どうやら2匹には、この「三毛猫の霊」が見えているようだった。

 

「どこから来たの?」と三毛猫に尋ねてみる。

 

鳴き声の後に簡単な映像のようなものが送られてきた。

 

この三毛猫は、昔、彼女に飼われていたようだ。

 

やがて三毛猫は、消えた。

 

その後も度々、リビングに現れては3匹で遊んでいる姿を目撃した。

 

やっと彼女が帰ってきて、私は三毛猫の霊の話を伝えた。

 

すると彼女は私の話に驚き、そして泣いた。

 

彼女の話によると、数年前に住んでいた家で飼っていた三毛猫だった。

 

今のマンションへと引っ越す前夜に突然、窓から飛び出し、行方不明になったらしい。

 

ギリギリまで三毛猫を捜したものの見つからず、引っ越しをした後もずっと気になっていたが捜す手立てがなかったと言う。

 

二人で三毛猫の話をしていたら足元に現れた。

 

「今、足元に三毛猫が来てるよ」

 

私がそう伝えると、彼女は泣きながら三毛猫の名前を呼んだ。

 

また三毛猫から簡単な映像や想いのようなものが送られてきた。

 

彼女が三毛猫をとても可愛がっている映像。

 

窓から飛び出し近くの公園に行った後、戻れなくなった映像。

 

彼女を捜して歩き回っている映像もあったが、寿命も近くて窓から飛び出したようでもあり、しばらくして公園付近で死んだようだった。

 

三毛猫は死んだ後、今のマンションに住む彼女のそばに頻繁に来ていたようだ。

 

彼女が寂しくないように、悲しまないように。

 

私は彼女に三毛猫からの映像や想いを伝えた。

 

彼女には霊となった三毛猫が見えていないから来ていることに気づかず、時々、部屋に飾る三毛猫の写真を見ては心を痛めていたそうだ。

 

彼女は飼っている猫をとても可愛がり、自分の子供のように愛情を注ぐ人だった。

 

だからこそ三毛猫は霊となっても彼女の所にやって来ていたのだろうし、飼われている2匹の猫も私の時とは違って彼女が部屋にいるとそばを離れない。

 

猫は愛情を注がれたら、ちゃんと愛情を返せる生き物なのだと初めて実感した出来事だった。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人形とご対面

やっと朝晩が涼しくなってきた頃、友達夫婦から家に招待をされ、別の友達と一緒に泊りの用意をして向かった。

 

自然豊かな場所に建ち、ログハウスのような造りの可愛らしい家だった。

 

中に入ると木の良い香りがする。

 

新しく建てた家に友達夫婦が引っ越しをして、まだ半年ほどだった。

 

友達夫婦が育てた無農薬野菜を使った晩ごはんは、どれも美味しく、遅くまで話しも盛り上がった。

 

夜中「そろそろ寝よう」と布団を用意してくれた部屋へと向かう。

 

ドアを開けると5畳ほどの洋室で屋根裏部屋のようになっていて、左側に大きな窓があった。

 

普段は使っていない部屋なのか、何も置いていなかった。

 

ただ一つ、部屋の突き当たりにガラスケースに入った高さ30センチほどの人形だけが置いてあった。

 

私は、人形が苦手だ。

 

市松人形なのかは不明だが横と後ろの髪が肩まであり、前髪は眉の位置でまっすぐ切り揃えられている男の子の人形で、青い着物を着ていた。

 

嫌な気配はあったものの友達と二人で寝ることもあり、人形は気にしないようにして寝ることにした。

 

ごぉぉぉぉぉぉ!!

 

突然、金縛りと耳鳴りが始まり目が覚めた。

 

人形が私の首を片手で絞めていて、私の体は寝ていた2階の窓の外側で宙に浮いた状態になっていた。

 

はぁ!? 

 

急な状況に頭がついていかない。

 

その間も片手でギリギリと首を絞めてくる。

 

私は更に首が締まらないよう、宙に浮いてる不安定な態勢ながらも自分の首にくい込む人形の指をこじ開けようとしていた。

 

しかし、何か違和感がある。

 

もがきながら部屋の中を見てみると、手前に友達、奥には私が寝ていた。

 

幽体離脱してるのか!

 

私の体は布団で寝ている状態だが、私の霊体は首を絞められていた。

 

幽体離脱は過去にも経験があった為さほど驚きはしなかったが、数メートルも離れた所にある体にちゃんと戻れるのかが心配だった。

 

それに何故、人形が首を絞めてくるのか?

 

考えている間にも首は絞められ続けている。

 

息苦しい中だったが、人形をしっかりと観察してみる。

 

すると人形の腕に重なって男性の腕が見えてきた。

 

実際に私の首を絞めているのは、男性の霊だった。

 

「何故、首を絞めるの?」

 

私は声を出さずに質問をした。

 

「この家から出ていってほしい。俺は、この家が気に入っている。祓われたくない」

 

人形の中から50代くらいの男性が姿を現す。

 

彼は霊が見える私が家に泊まりに来たことで、もし友達に人形に憑いた霊の話をされ、人形ごと家から追い出されたり、霊となっている自分だけが祓われたりすることを恐れていた。

 

だが私は、この家に留まらず執着を捨てて、あの世へ旅立つように説得をした。

 

そして、いつまでも首を絞められているわけにもいかない為、私は心の中で何度か唱えた。

 

「祓いたまえ、清めたまえ」

 

これは私が子供の頃に祖母から教わった言葉だった。

 

お経の一節だと思うが、私の場合、この言葉を唱えると大半の金縛りは解くことができた。

 

 気づくと布団の上だった。

 

肺いっぱいに空気を吸い込み、無事に自分の体へと戻ってこれた安堵感が広がる中、起き上がって人形を見てみると男性の霊は消えていた。

 

外が少しずつ明るくなってきており、隣の布団では友達が爆睡。

 

結局、ほとんど眠れないまま朝を迎え、朝食で友達夫婦に人形の話をした。

 

家が完成した時に知り合いから人形をもらったものの、洋室にずっと置きっぱなしだったらしい。

 

いつもなら客間に布団を用意するはずが、この時は客間が使えない状態で人形の置いてあった洋室になったとのことだった。

 

これも偶然ではなく、必然的なものだろう。

 

もし私が客間で寝ていたら、人形に憑いた男性霊には気づいていなかっただろう。

 

男性霊は誰にも気づかれず、ひっそりとあの場所にいることを望んでいたから。

 

その後、数日間、友達と滞在したが男性霊は二度と現れなかった。

 

男性霊の要望は聞かず、強引に祓ったような形になったが、友達夫婦のことを思うとこれで良かったのだろう。

 

 

九州の友達夫婦を思い出すと、この「いきなり団子」も思い出し、とっても食べたくなる。

中のお芋とあんこ、外側のお餅とが絶妙なバランスで食感も良く、甘すぎない味も良い。

お土産や自分用に買うことが多い。

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宇宙を旅する②

気づくと私は、どこかの建物の部屋の窓から外の景色を見下ろしていた。

 

あれっ!? ここは、どこなのか。

 

私は思い出そうと記憶をたどる。

 

確かに夜、ベッドに入って寝たはずだった。

 

しかし夢を見ているにしては立っている感覚や目の前に広がっている景色が、あまりにも現実的で、それに加えて私の体は軽く、吸っている空気は甘く、淡いピンク色をしていた。

 

建物の中は、こげ茶色の木造でできており、窓の外の景色を見下ろしている感じからして3階の高さにある部屋の中に自分は立っているようだった。

 

外の景色は、遠くに先がとがったような涙型の木が等間隔にあり、その手前には舗装されているような道路が左右に伸びていて、更に手前は芝生のような広場があり、全体に淡いピンク色の霞がかかっているようだった。

 

どの色合いも光を放ち、とても綺麗で、それを眺めているうちに、ここが地球ではないことを悟った。

 

このように光を放つ色合いは、地球では見たことがないからだ。

 

そして私の周りにも外の景色の中にも誰の姿も見えないが、誰かがいる気配がした。

 

戸惑っている私の頭の中に誰かが話しかけてきた。

 

相変わらず姿は見えないが、私を歓迎してくれている様子が伝わってきて、外を案内してくれるようだ。

 

外に出て少し歩くと直径が2メートルほどの小さな池があった。

 

水面が濃淡の青色や緑色に輝き、息をのむほどの美しさだ。

 

パジャマのまま池に入ると遠くまで見渡せる透明度の高い澄んだ水で、だが足元は底が見えないほど深かった。

 

不思議なことに水の中にいる感覚はあるのにパジャマは濡れておらず、呼吸もできた。

 

水中は温かく無重力の状態で、とても癒され懐かしい感覚だった。

 

ここでも生物は見えないのに気配だけがあった。

 

「現在は地球で生活をしているからね、この惑星の生物は見えないんだよ。

ここは3次元の地球よりも次元が高い惑星だからね」

 

私の頭に直接話しかけてくる誰かが、そう教えてくれた。

 

確かに「霊」や「龍」などの「目では見えない世界」に存在するものを見る時は、眼球を使わなくても見ることができるが、UFOなどの宇宙関連のものは現実の世界に存在するものであるから目で見る必要がある。

 

今までにも宇宙関連の体験をしてきたが、その時は私の持つ波長などに相手が次元を下げて合わせてくれていた為に私の目で見ることが可能となっていたようだ。

 

この数十年の間に国内・海外でのUFO目撃も増加傾向にあるが、これも相手が波長などを合わせて、わざわざ目撃をさせているようだ。

 

地球が次元を上げる時期に入っていることにも関係があるらしい。

 

今後、更にUFOの目撃や宇宙に関する情報が増え、宇宙と地球との関係性が明らかになったり「地球人」としての思考や視野へと変わっていくだろう。

 

気づくと私は自分のベッドの上にいて、朝になっていた。

 

私の体は鉛のように重たく、しばらく動くことができなかった。

 

この惑星での体験は2012年から始まり、その後、数回あったが、いつも現実味がある。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームステイ先に来た霊

私は大きなスーツケースを転がしながら、ブラジルにあるゴイアニア空港の中を歩いていた。

 

家を出てから、40時間ほどかかった。

 

国内線⇒成田国際空港アメリカのロサンゼルス国際空港⇒ブラジルのサンパウロにあるグアルーリョス国際空港⇒ゴイアニア空港

 

乗り換えと長い待ち時間を繰り返し、機内食と軽食を合計7回は食べた。

 

初めて利用した「ヴァリグ航空」だったが、私の予約した席が「ダブルブッキング」となっており、一人旅だったことが良かったのか「ビジネスクラス」へと変更。

 

成田国際空港を離陸してサンパウロまでの空の旅は、おかげで快適にゆっくりと過ごすことができた。

 

サンパウロにあるグアルーリョス国際空港の国内線へは、現地ガイドの案内で無事に乗り換えも完了。

 

初めて訪れたブラジルは人が多く活気に満ちていて、見るもの聞くもの、すべてが珍しく興奮した。

 

ゴイアニア空港の出口には、フロリダでルームメイトだったA君が迎えに来てくれていた。

 

私がフロリダのフォートローダーデールでの留学を終えた時、ちょうどA君がブラジルへの一時帰国を予定していて、「南米に行きたい」と頻繁に言っていた私とスイス出身のB君とを誘ってくれたのだった。

 

A君とB君と私は、語学学校のクラスメイトでもあり、短期間の留学で帰国していく人が多い中、私達はフォートローダーデールでの長期滞在者でもあった。

 

A君の実家に約1か月滞在する。

 

8月ごろのブラジルは冬の季節だが、ゴイアニアは温暖な気候で湿気も少なく、最高気温が30度前後の爽やかな天気が続いたが、朝晩は肌寒い日があった。

 

街並みはとても綺麗で、たくさんのハチドリが花の蜜を求めて飛び、野生のフクロウやインコが公園や広場にある木々の中で見れた。

 

A君の家はコンドミニアムの高層階にあり、広いワンフロアーがすべて住居となっていて、そこにはA君の両親と妹、お手伝いさんが2人住んでいた。

 

A君の父親の家系はドイツから、母親の家系はポルトガルからの移民であり、ブラジルに広大な土地を所有していて不動産や建築の仕事をしていた。

 

妹さんの眺めの良い部屋を借りることとなり、そこには専用の風呂場とトイレも備わっていて快適だった。

 

しかし、部屋の棚のあちこちに「高さ20センチ弱のセラミックの古い人形」が飾られていることだけが気になっていた。

 

顔の所々が黒く汚れていたり色が剥げていることが更に不気味さを増していて、私は自分の荷物を広げるより先に、全ての人形を後ろ姿だけが見えるように配置をした。

 

どの人形の目も気持ち悪かったからだ。

 

そして滞在中は、できるだけ人形を見ないで過ごすように心がけながら、ブラジルを楽しむことにした。

 

ブラジルの首都であるブラジリアは近代的な建物が多く、車で郊外に行くと乾燥した大地が地平線まで広がり、森では野生のオウムなどのカラフルな鳥、川ではワニなどが見られて、夜には南十字星のある満天の星空。

 

北半球にある日本の月は「ウサギがモチをついている」ように見えるとされているが、南半球にあるブラジルでは、月の模様も違って見えた。

 

コンドミニアムから車で1時間ほど走ると地平線まで広がるA君の両親が持つ広大な農場があり、その中には森があったり川が流れていたりもするが、たくさんの従業員が住み込みでコーヒー豆・パパイヤ・グアバなど様々な農作物を育てていて、日本やスイスからやって来た私達を歓迎してくれた。

 

従業員の人達は貧しく、学校にほとんど通えていない時期があったりして、「日本がどこにある国なのか」知らない人も多かった。

 

ブラジルでは貧富の差が大きく、路上で生活をしている子供を見かけることもあった。

 

そんなゴイアニアは強盗事件が多発していて、銀行への出入りの際は、銃を携帯していたり盗みをしていないかを調べる為に必ず「エックス線検査や金属探知機」で体をチェックされる。

 

日本人女性は、身代金目的で誘拐されることがあるから「一人歩きは絶対しないように」と私はA君の母親から何度も言われていた。

 

国が違えば、文化も習慣も違う。

 

ブラジルでのスーパーは、とても面白かった。

 

見たことのない野菜やフルーツが山盛りに置かれ、ポルトガル語で書かれたコーヒーやお菓子のパッケージは可愛いく、「ガラナ」というブラジル国民が愛する飲み物もある。

 

アマゾンにあるガラナの木の実から作られ、爽やかな甘さがある炭酸飲料だ。

 

鮮魚コーナーでは、ピラルクナマズも売られていた。

 

ピラルクのウロコが「靴ベラ」になっているのにも驚いた。

 

しかし見た目と違って、ピラルクナマズも臭みが全然なく、とても美味しい。

 

ブラジル発祥のアサイボールやポンデケージョを食べて、濃いめのコーヒーを飲む朝。

 

シエスタで家族全員が集まり、昼食や昼寝の時間をゆっくり取ってから、A君のお父さんは職場にまた戻っていく。

 

そして夕方に軽食があり、19時頃に晩ごはん、そして寝る前のコーヒータイムと続く。

 

一日5食。

 

慣れない習慣で、なかなかお腹が減らなかったが、目の前に出されると毎回、食べ過ぎてしまう。

 

それほどブラジル料理は、どれを食べても美味しかった。

 

夜のレストランでも音楽の生演奏を聴きながら、オープンテラスでブラジルのお酒を飲んだ。

 

みんな陽気で踊っている人達もいたりして、ポルトガル語がわからない私でも楽しめた。

 

また温水プールに行ったり、A君の妹の大学の卒業式に参加したり、クラブに踊りに行ったりして、私はブラジルを肌で感じた。

 

だが、夜中はほとんどが格闘だった。

 

部屋ではラップ音があちこちで聞こえ、金縛りにあう日が多く、それを解く為にもがき疲れる。

 

その日もA君とB君と夜中に帰宅をして、妹さんの部屋に一人戻り、シャワーを浴びてベッドにもぐった。

 

しばらくすると、遊び疲れた体に金縛りがかかる。

 

いつもより強力で体が全然動かせず、横向きの体制のまま警戒していると、急に空気が重くなったように感じた。

 

その時、ナゼか急に私は、1か月ほど前に実家で観た「心霊番組」の一場面を思い出した。

 

それは、キャンプをしていた人が川の写真を撮った時に「奇妙なもの」が写っていたと投稿した「心霊写真」だった。

 

川面の一部が「真っ黒な長い髪の毛のようなもの」で覆われている写真だった。

 

心霊ビジネスによって「心霊番組」に寄せられる動画や写真の中には、うまく作られた物も多いが、その写真をテレビで観た時は、ゾッとした。

 

そのことを思い出した瞬間、私の胴体には無数の黒い髪の毛がびっしりと巻きついていた。

 

そして、ギリギリと私の胴体を締め上げていく。

 

体に髪の毛が食い込む痛さと息苦しさ、意識が飛びそうになるほどの強力な金縛り。

 

左耳の耳鳴りと部屋のラップ音も激しさを増す中、私の胸のあたりに巻きついていた黒い髪の毛の中から20代くらいの女性の霊が現れる。

 

彼女からは男に裏切られた怒りと悲しみ、川で殺された最期の場面とが伝わってきた。

 

すると、部屋の外の廊下から足音。

 

そして私の背後にある部屋のドアから誰かが入ってきた。

 

それは「黒い法衣」を着た私の祖母の霊だった。

 

祖母もまた幼少期から霊視ができる人であり、生前、高野山で修行をした経験も持っていた。

 

金縛りで目が開けれない場合でも、毎回、私には部屋や家全体の様子が隅々まで見えている。

 

「目では見えない世界」を見る時は、眼球を必要としない。

 

祖母は私の背後から、私を抱きしめるようにしてベッドに横たわった。

 

祖母の温もりと私を守ろうとする思い、愛情とが一気に私に伝わってきて光に包まれたように感じた。

 

すると胴体に巻きついていた無数の髪の毛が切れ、女性の霊は驚いて悲鳴をあげ、そして消えた。

 

金縛りが解け、ラップ音と耳鳴りがおさまり、祖母も消えた。

 

部屋にあった人形のうち数体が、棚の上に倒れていた。

 

古い人形には、人の思いが入っていたり、霊も宿りやすい。

 

部屋が霊にとって居心地の良い場所になっていたところに霊と波長の合いやすい私が滞在し続け、「心霊写真」を思い出したことで「写真の女性」を日本からブラジルへと引き寄せてしまったようだ。

 

祖母が助けてくれたことで、この日以降、人形の気持ち悪さも金縛りもなく、心からブラジルを満喫した。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【前世の記憶】イギリス人のジャーナリスト

ある晴れた日、私は「前世退行催眠」を受けていた。

 

幼少期より「前世の記憶」をいくつか持っていたが、30代前半、更に自分自身を知りたくて「前世退行催眠」に興味があった。

 

本屋でも「前世」や「催眠」に関する本を目にする機会が増え、「いつか受けてみたい」と思っている時、ある女性と知り合った。

 

彼女は、子供の頃から原因不明の胸の痛みに悩んでいた。

 

 「前世療法」によって、現在の原因不明の病が「前世からの影響」によるものだった場合、自身の前世を知ることで病気が治ることがある。

 

彼女も「前世療法」によって胸の痛みから解放された経験を持っており、完治したことには喜んでいたが、それ以降も機会があるごとに「前世の記憶」が蘇り、中には「嫌な出来事があった記憶」も思い出すと言っていた。

 

「脳の封印」がはずれると再び閉じることはできないのだ。

 

それでも私は「前世退行催眠」を受けることにした。

 

更なる自分自身の解明の為に。

 

当日。

 

ほのかに明るい部屋にはイス2脚と机が1つあるだけで、アロマの良い香が漂い、緊張をほぐしてくれた。

 

私が座ったイスは「リクライニング」になっていて、自分の良い位置に調整ができる。

 

私は仰向けに寝れるような形にイスを調整して、目を閉じた。

 

女性が静かに私に話しかける。

 

「今から、あなたの今世に一番影響のある前世まで、さかのぼります。

10・9・8・7・6・5・4・3・2・1」

 

パン!

 

女性が手をたたくと同時に、私の脳裏に映像が浮かび上がる。

 

「あなたの足元を見てください。靴をはいていますか?裸足ですか?」

 

女性に質問をされて、映像の中の私は足元を見る。

 

「裸足です」

 

「男性ですか?女性ですか?」

 

「男性です」

 

催眠というものは、不思議な感覚だった。

 

私はちゃんと起きているのに、色付きの夢を見ているように次々と映像が出てきて、女性の進行や質問によって場面が変わっていく。

 

その映像を私は彼女に説明したり回答をしたりして、それを彼女が記録していく。

 

出てきた前世の時代は1900年頃のイギリスで、町には馬車や車、行き交う人々、そして鉄道も見えた。

 

前世の私は青い瞳をした白人の男性で、ジャーナリストだった。

 

三つ揃え」のスーツを着ていて、胸元には懐中時計の鎖が見える。

 

36歳の頃、仕事でアメリカに行くよう上司から言われ、妻と生後6か月の息子を残し、一人で船に乗る映像。

 

アメリカのサンディエゴの港に着き、ある家へと向かう。

 

白い坂道の途中にある小さな家の木戸をノックする。

 

中から男性が出てきた。

 

その男性の顔を見た瞬間、私は叫んだ。

 

「ジェームス!!」

 

叫んだ後で自分自身に驚いた。

 

一体どこからそんな名前が出てきたのか、自分でもわからないのだ。

 

頭では「初めて見る男性だ」と反応しているのに、心ではとても懐かしいと感じ、「ジェームス」に会えた嬉しさで私は泣いていた。

 

赤毛で長身のジェームスはヒゲをはやしていて、チェックのシャツ、7分丈のズボンにはサスペンダー、そしてブーツを履いていた。

 

当時のジェームスと私は幼なじみで、彼は若い時にイギリスからアメリカへと移住し、刑事になっていた。

 

すると、そのジェームスの映像に重なるようにして一人の女性が出てきた。

 

「Rちゃん!!」

 

Rちゃんは現在の私の幼なじみで、すでに45年以上も付き合いがある。

 

性別も年恰好も何もかも違うのに、どう見ても「Rちゃん」と「ジェームス」は同一人物だった。

 

Rちゃんが「ジェームス」であり、今世でも同じ時代を一緒に生きていることに嬉しくなった。

 

映像ではジェームスと奥さんと私とで、ろうそくの明かりを囲み、シチューとパンを食べながら楽しそうに夜遅くまで話をしていた。

 

そして、翌日の夕食も一緒にする約束をして別れた。

 

映像の場面が切り替わり、坂道を馬に乗った2人の男たちが駆け上がってくる。

 

ジェームスの家の木戸を蹴破り、男たちは銃を乱射した。

 

夕食の時間となり、私はジェームスの家へと向かっている。

 

そして木のテーブルの下で血を流し、死んでいる夫婦を見て呆然としている私。

 

家の外には野次馬が集まっていて、その中の一人が言った。

 

「アルカポネの手下にやられたようだ。一緒にいたあんたも狙われるかもしれない」

 

私は宿泊先に戻り荷物を抱えて、サンディエゴから離れることにした。

 

イギリスに帰ることは、妻子を巻き込む可能性があって戻れない。

 

その為、アメリカに留まり、様子を見ることにした。

 

車を乗り継ぎ、モニュメントバレーの近くまで行った。

 

荒野に赤い岩が点在していて、夜は満天の星空が広がっている。

 

そこで何日も野宿をしていたり、その荒野で暮らすインディアンの生活を遠目に見ていたりしていたが、少しずつ力つきて死んでいくというのが最後の映像だった。

 

親友を亡くし、イギリスの家族にも会えず、とても孤独で短命な最期だったようだが、なぜ誰にも助けを求めずに死んだのかまでは、わからなかった。

 

だが、「ジェームス」に久しぶりに会え、それが「Rちゃん」だと判明したことは、とても大きな収穫だった。

 

 催眠をかけてくれた女性によると「前世療法」を受けに来る人は、原因不明の病や持病を抱えた人、親子関係や夫婦関係などの不仲についての解明を望む人が多いとのことだった。

 

私も時々、友達や知り合いの前世がわかることがあり、前世は「親子」だったが今世では「夫婦」だったり、前世は「兄妹」だったが今世でも「兄妹」だったりするのを見てきた。

 

現在の不仲の原因が「前世からの行いや人間関係によるもの」であれば、前世を知ることで解決できることもあるだろう。

 

欧米では、かなり昔から「前世療法」を取り入れた治療があるが、日本では、まだまだ浸透していないことが残念だ。

 

  

 私が「前世退行催眠」を受けたいと思ったのは、この本と出会ったことも大きい。

 

マンガなので、いろいろな人の体験が読みやすく、わかりやすい。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知人宅から魑魅魍魎(ちみもうりょう)

魑魅魍魎(ちみもうりょう)、これは「人に害を与える山や河の妖怪や化け物」を表す言葉として使われる。

 

今までに「霊」やら「龍」やら「UFO」やら、いろいろなものを見てきたが、これは未だに「得体の知れないもの」となっている体験である。

 

山や河には関係のない体験だが、あれは「魑魅魍魎」だったのではないかと思う。

 

それは「家を買って引っ越しをしたから」という知人の家へ遊びに行った時のこと。

 

家の外観を見た第一印象が、「なんだか暗いな」だった。

 

その地域は土地の持つエネルギーが弱く、日が照っているにもかかわらず暗く寂しい雰囲気が漂っていた。

 

その為、家の中は日差しが入ってきているのに暗い印象で、また誰かに見られているような感覚もあって落ち着かなかった。

 

今まで友達や知人の家に行くと「身内の霊」などが出てくることは時々あったが、今回ほど胸がザワザワすることは無かった。

 

知人宅で数時間を過ごし、家路につく。

 

晩ごはんを食べ、お風呂に入る頃には、すっかり知人宅での出来事は忘れていた。

 

夜中、突然の金縛りとともに、左耳の耳鳴りで目が覚めた。

 

くっ!!

 

息がほとんどできない。

 

今回の金縛りは強力で、食いしばる歯が折れるのではないかと不安になった。

 

だが、少しでも気をゆるめると生気を吸い取られるような感覚があり、意識が飛びそうになる。

 

ベッドに仰向けとなっている私の体は、真っ黒な液体のようなもので覆われていた。

 

それは冷たく、粘り気のあるコールタールのような見た目だが、数多くの何かが集まって一塊の真っ黒な液体状となり、自由自在に形を変えながら私の体をベッドに押さえつけていた。

 

体がどんどん冷えていくことが私を更に不安にさせた。

 

強力な金縛りにより私の歯はこすれ合い、少しずつ削れた骨が舌の上に落ちてくるのは不快だった。

 

真っ黒なものは、体から少しずつ私の顔にも広がってきて、まるで水に沈んだかのような感覚へとなっていった。

 

数が多いからか、金縛りを解くことも払うこともできず、私はほとんど息ができない状態でもがいていた。

 

だんだんと意識が薄れ、体から力が抜け始める。

 

突然、閉じていた「まぶた」に光を感じた。

 

すると私に覆いかぶさっていた真っ黒な液体状のものが、粉々に砕け散った。

 

一気に金縛りが解け、大きく空気を吸い込む。

 

目を開けると天井のあたりに眩しいくらいのオレンジ色の光が浮かんでいて、部屋全体を明るく照らしていた。

 

粉々になった真っ黒のものが、その光に次々と吸い上げられていく。

 

そして光は、最後に私を包み込んだ。

 

とても温かく愛に満ちた光は冷えきっていた私の体を元の状態へと戻し、心を癒し、活力を与えてくれた。

 

やがて光は私から離れ、天井をすり抜けて空へと舞い上がって消えた。

 

その様子も天井に邪魔をされることなく、私には綺麗に空まで見えていた。

 

金縛りの最中、あの真っ黒なものは「知人宅からやって来た」と映像で伝えてきた。

 

知人宅の土地に関係する何かだと思うのだが、その正体は未だにわからない。

 

私が呼び寄せてしまったのか、それとも向こうが私と波長が合うからとやって来たのかは不明だが、真っ黒な液体状のものが私の家に来て「光によって浄化」されたことで、何も知らない知人は今も快適に暮らしている。

 

もし、あの光に助けてもらえていなかったら、たぶん私の生気は吸いつくされて、数日後には死んでいただろう。

 

あの光の正体も不明だが、私を助けてくれる存在があることは心強い。

 

この「目では見えない世界」によってもたらされる出来事は、私にとっては一人で経験を重ね歩まなければならない人生であり、それは時々、過酷だったり困難だったり、孤独を感じることがあった。

 

しかし、この光に包まれた経験を得たことで、一切の孤独や寂しさを感じなくなった。

 

いつでも光と繋がっていて守られている感覚があり、光に包まれたことを思い出すとエネルギーが湧いてくる。

 

私は光によって「強さ」をもらい、「目では見えない世界」と向き合えるようにもなり、どんな奇妙な体験でも対応ができるようになっていった。

 

「魑魅魍魎」はしんどかったが、「光」によって成長できた良い経験だった。

 

 

 

 昔から「不食」と「神代文字」に興味があり、数か月前に出会った本。

 

本屋で目につき、パラパラとページをめくって「龍体文字」を見ていると5分ほどで顔がピリピリ、体が熱くなった。

 

「龍体文字」の持つエネルギーの凄さと文字の形の不思議さに惹かれて購入。

 

「この文字がスラスラと書けるようになりたい」と練習中。

 

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【前世の記憶】自閉症を持つ男の子

幼少期から少しずつ蘇ってくる、いくつもの「前世の記憶」。

 

それは初めて来た場所なのに「知っている感覚」があって、次第に「前世の記憶」を思い出すこともあれば、何度も「同じ夢」を見て懐かしさが込み上げることもある。

 

その後、起きている間に突然、夢の続きが映像となって頭の中に現れて「前世の記憶」が蘇ることもある。

 

一つ、また一つと「前世の記憶」を思い出していくうちに、現在の「自分の好きな物」や「変わった呼吸法について」なども「前世からの影響」だと気づいていく。

 

何度も何度も生まれ変わりをして得たいろいろな経験が「魂の記憶」として刻まれ、「私という人間」が形成されている。

 

このヨーロッパで生まれ育った男の子の前世記憶は、「人の目の怖さ」を私の魂に植え付けている。

 

今世の私は幼少期から「人が自分を見る目」が怖く、相手の目を見て話せないことも多かった。

 

注目を浴び、たくさんの視線が自分に向けられるのは居心地が悪く落ち着かない。

 

大人になって「かなり克服はできた」と感じているが、「なぜ人の目が怖いのか」ずっと不思議でもあった。

 

時代は中世、イタリアにある小さな村。

 

記憶にある当時の私の姿は、12歳くらいの男の子。

 

一人っ子で「自閉症」。

 

「変わった子供」として奇異な目で見られたり、ジロジロと観察されるのが怖かった。

 

その為、いつも一人で自分の世界の中で生きているのが安心で幸せだった。

 

当時の私は話しかけられても、すぐに言葉が出てこず、会話に入っていけない。

 

しかし周りの人間が自分に対して「遅い」「イラつく」などという感情を持っていることが手に取るように伝わってきていた。

 

両親は飲食店を経営していて、長年、子宝に恵まれず、やっと授かった子供が自閉症で、とても落胆していた。

 

年齢的に「子供をもう一人望む」ことは不可能だった。

 

小さな村では世間体を気にしたり、ウワサ話もたえない。

 

その為、両親はだんだんと私が外に出ることを許さず、家に閉じ込めるようになり、店の営業をしながらも私がちゃんと家にいるかを監視するようになっていった。

 

「普通の聡明な男の子」を望んでいた両親は、希望とは真逆の私を見る度にイライラが募り、子供を捨てることも殺すこともできず、虐待はエスカレートしていった。

 

父親は背が低かったが仕事で重い荷物を運ぶことが多かった為、小柄ながらも筋肉質な体をしており、髪が薄くスキンヘッドで目が大きい人だった。

 

母も背が低く小柄で、赤茶の長い髪はくせ毛でカールしていた。

 

そんな二人が毎日、私に文句を言っては手をあげた。

 

時には父親が「フォーク」を振り上げ、顔を防御する私の手首や腕を何度も引っかいたり刺したりを繰り返した。

 

両親は口では暴言をはいていたが、感情はいつもイラつきから始まり、最後は心の中が悲しみでいっぱいだった。

 

「なぜ、普通の子供として生まれてきてくれなかったのか」と。

 

中世では「他の人と違う」ということは、「欠陥がある人間」とレッテルを貼られるような状況で、現代よりも生きにくい時代だったと思う。

 

しかし「自閉症」で言葉を使ったコミュニケーションは苦手だったが、当時の私は相手の感情を読み取ることができ、書かれた文字には、それぞれ「色」がついて見え、文章も「感覚」で読めていた記憶がある。

 

他の人とは違うコミュニケーション方法だったかもしれないが、私の中では感情豊かな子供だったと思う。

 

今世の私は、この「前世」の影響もあってか、時々、相手の感情が言葉を交わさなくても読み取れることがあったり、文字や数字に色がついて見えることもある。

 

また「体の不自由な人」を見ると内面はとても感情豊かだったり、いろいろと考えていることが伝わってくる。

 

「障害を持つ人」は、今世の人生での課題の為に「障害」をわざわざ持って生まれてきている場合が多く、周りの状況をしっかりと把握できていたり、相手の感情を読み取れていたりするから明確に意思疎通ができる。

 

「言葉を使う会話」の方が、ちゃんと相手に自分の思うことが伝わらなかったりして、もどかしくなったりする。

 

私の前世の両親は「普通の子供」を希望していたが、それぞれ個性があるから良いし、実際、みんなが同じように見えたり聞こえたりしているとは限らない。