瞑想と宇宙
沖縄の土地には、不思議なエネルギーがある。
戦死者の霊が多い一方で、龍などの神秘的な世界とも繋がりやすい場所だ。
沖縄では岩などの自然に宿る神を祈り、日々の生活の中でも常に先祖を意識して、手を合わせる習慣もあるようだ。
またユタと呼ばれる霊媒師に、家庭での様々な悩みを相談する人も多い。
目では見えない世界があることを信じ、スピリチュアルが生活の一部となっている。
その為、霊感が強い人・龍が見える人などとの出会いも普通にあり、体験談を聞かせてもらったこともあった。
沖縄でUFOを目撃する人も多いようだ。
私の場合、寝る前に瞑想をしていると、日によってはゾーンに入れた感覚があり、その時に宇宙と繋がり、その場所の映像が見えることがあった。
実際に、その場所に立っているような感覚がある。
今までに3回体験したが、すべて沖縄に住んでいる時だ。
1回目。
白っぽい光に包まれてはいるが、昼なのか夜なのかもわからない。
地球ではない、どこかの惑星のようだった。
空気は軽く、吸っても吸っても肺に入ってこない感覚があって、酸欠のような息苦しさがあった。
木々は無く、乾いた灰色の大地が広がり、月のように空に浮かぶオレンジ色の衛星が見えた。
そこは暖かくも寒くもなく、殺風景な景色の中、誰にも会わないまま、しばらく歩いていると左手に海のようなものが見えてきた。
風も無いのに少し波がたっていて、光に反射をしてキラキラと眩しいほどに輝いている。
しかし、水のような液体の波ではない。
近づいて見てみると、それは小指の爪ほどの小さなダイヤモンドのようだった。
それらが無数に集まり、まるで生きているかのように動き、波のように見えていたのだ。
2回目。
それほど広くない部屋の真ん中で、私は一人、なぜか小さな丸い台の上に立っていた。
壁も床も白いプラスチックのような素材でできていて、一か所だけ横に長い八角形をした窓があった。
外は暗闇で、時々、小さなカラフルな光が右から左へと流れていった。
かなりスピードが出ているようだったが、明るい部屋の中、台の上に立っていても、振動をまったく感じなかった。
しばらくすると、三方の壁からオレンジがかった金色の液体が滝のように流れてきた。
その液体には少し粘り気があるのか、サラッとした水のような動きは無く、スライムのようだった。
だが、一瞬で床上20センチくらいまで満たされていく。
不思議なことに滝の勢いは変わらないのに、液体は私が乗っている台を濡らすことはなかった。
オレンジがかった金色の液体は、とても綺麗で、ずっと見ていても飽きることがなく、見れば見るほど脳がしびれたような感覚へとなっていき、気持ち良くなっていった。
日常のあらゆることから身も心も解き放たれたような、肩の荷が下りたような、そんな爽快感があった。
3回目。
2回目と同じ部屋にいた。
しかし、そこには笑顔の女性が丸い台の上に立っていた。
身長は低く小柄だが、頭が異様に大きい。
綺麗な横長の丸顔をしていて、頭全体に張り付くようにある短い栗色の髪。
アーモンド型の目は、顔の半分を占めるほど大きかった。
そして鼻はとても小さく、口が大きい。
なんともアンバランスなサイズなのに、女性の全体像を見ても違和感を感じなかった。
コバルトブルーのドレスのような表面には銀色のラメのような物がついていて、彼女が動く度に輝き、今からバーやクラブなどで歌う人のように見えた。
彼女からは、長年生き続けている者しか出せない特有の「気(オーラ)」が出ていて、貫禄と穏やかさ、知的さと可愛らしさとがあり、魂レベルの高さを感じるものだった。
長くても100歳前後までしか生きることができない短命な地球人にとって、この「気(オーラ)」を出せる者は、数少ない。
彼女はずっと笑顔のままで、全く声を出していないが、私の頭の中に直接言葉が入ってきた。
「地球もそこに住む人も、まだまだ未熟。だから惑星の外に住んでいるし、原始的な道具や乗り物を使っていて、精神的にも幼い。だけど地球でしか学ぶことができないこともあるから楽しみなさい」
その言葉を聞いて、急に思い出した記憶があった。
小学生の時、授業で太陽の動きについて先生が説明をしていた。
その中に「地球の外側に人間は住んでいる」という話があり、驚いたことがあった。
家に帰って母に確認をすると先生と同じことを言い、「常識よ」とまで言われて、更に驚いた。
当時の私には誰に教わったわけでもないのに、「惑星の内側に住むもの」というのが当たり前のように知識としてあった。
だから、どこか納得できないまま大人になっていたが、この時に彼女の話を聞いて、初めて私の知識は間違いではなかったことを知り、スッキリした。
彼女から他にも話を聞いた。
地球より高度な文明を持つ惑星では、人は惑星の内側に住み、天候の影響などを受けない暮らしをしている。
惑星の外側に住む場合は、宇宙船などの中で暮らし、自分達の身を守ると同時に惑星の環境保護にも繋がっている。
また地球人と違って、空間に関する知識があるからこそ、瞬間移動などを可能にする宇宙船などを使い、惑星間の行き来をしている。
地球では長い年月、他の惑星との交流をしない鎖国のような状態が続いてきた。
その為、文明も人も、周りの惑星から見ると原始時代のような状態だ。
しかし、数十年前から少しずつ宇宙との関わりを持ちだすようになり、各国の政府も宇宙やUFOに関する情報を出すようになってきている。
現在、地球ではレベルを上げる為の転換期となっていることもあり、今後は更に宇宙の情報が当たり前のように入ってくるようになり、宇宙やUFOに関する体験をする人も増えていくことだろう。
海の近くでの生活
晴れた日の沖縄の海は、最高に綺麗だ。
濃い青色をしていて、波がほとんどなく、光を反射しながら輝く。
青空と白い砂浜と合わさった景色は、海外のような雰囲気も楽しめる。
沖縄の中部にある恩納村に住んでいた時、ホテルの仕事が休みの日は、よくタイガービーチや冨着ビーチを眺めに行った。
アパートから徒歩5分もかからず冨着ビーチには行けて、夏休みの観光シーズン以外は、ほとんど人がいなくて静か。
当時あった近所の店で、メキシコのビールとタコスを買い、海を眺めながら味わう。
また冨着ビーチの隣にあるタイガービーチ、そこにはホテルモントレがあり、フロント近くのラウンジでお茶をする為に、毎週のように通った。
南国らしいマンゴーやパッションフルーツを使ったケーキを食べながら、本を読んだり、窓の外に広がる澄んだ青空と海を見ながら、ゆったりとした時間を過ごした。
各地のホテルではランチビュッフェを楽しんだり、釜焼きピザやケーキが美味しいカフェ「土花土花(どかどか)」、新鮮な魚料理が美味しい「仲泊海産物料理店」なども頻繁に通った。
仲泊海産物料理店は海沿いに建っていて、地元の人も多く、「魚のバター焼き」が人気だが、私は「イカ墨汁」が好きだった。
初めてイカ墨汁を見たのは20歳の沖縄旅行で、タクシー運転手のオススメの店でだった。
新鮮なイカが入らないと作れないから、メニューに載っていても食べられないことも。
真っ黒な見た目で驚くが、サラッとしたスープはカツオ出汁と豚バラのコクがあり、にが菜のアクセントもきいていて、いくらでも食べられる。
「琉球薬膳」といわれるくらい栄養価も高い。
海を眺めながら、いろいろな美味しいものを食べる。
時には、友達と一緒に会話も楽しみながら。
私にとっての至福の時間。
どこに住んでいても、こういった時間が、私には一週間に一度は無くてはならない。
そうでなければ気持ちが疲れ、ストレスとなり、体調不良になりやすい。
普段は海の無い場所で過ごしている為、カフェでのんびり過ごせても、景色が悪い。
やはり沖縄の、海の近くでの生活は格別だった。
しかし、物事には良い面と悪い面とが、必ずある。
綺麗な海は、私に癒しの時間を与えてくれるものだったが、同時に霊の多さも痛感させられるものだった。
私がフロントスタッフとして働いていたホテルは開放的な造りで、海に沈む夕日が、とても綺麗に見えることでも知られていた。
その昼間から夕方へと移り変わる「逢魔が時」と呼ばれる時間帯、急に空気が重くなり、ロビーに真っ黒な影が何十人も現れることが、よくあった。
「逢魔が時」は魔物に遭遇したり、大きな災いが起きやすい時間帯。
夕日を眺めているカップルやディナーへと向かう観光客の間をたくさんの黒い影が行き交い、ロビーは満員の状態となる。
黒い影は人型をしていて、大きさも様々だが、顔も性別もわからない。
人間に悪さをする感じは無く、ただロビーを歩いていて、夕日が沈み、夜の暗さに紛れて消えていく。
ホテルでは他にも、海から戦死者が出てきたり、誰もいない部屋から人の話し声が聞こえてきたり、エレベーターでは子供の霊が現れたり。
いつも線香の臭いがする部屋もあった。
たくさん人が集まるホテルでは霊も寄ってきやすく、また観光客自身が霊を連れてやって来る場合もある。
戦死者の多い沖縄・海沿い・ホテルという3つが合わさり、どこよりも霊の多い場所となって、私にとっては過酷で疲れやすい環境だった。
時々、感受性の強い宿泊客が「部屋が気持ち悪いから変えてほしい」、「沖縄に来てから激しい頭痛で、残りの宿泊をキャンセルして帰ります」という申し出がフロントに入ることがあった。
その度に、私も心の中で同意していた。
20代の頃は「沖縄に長く滞在していたい」という気持ちはあるものの、あまりの霊の多さに滅入り、「もう無理。身体がもたないから実家に帰ろう」と何度も思った。
しかし、綺麗な海を眺めて、美味しいものを食べるとまた癒されて、「やっぱり、まだ住んでいたい」と気が変わった。
沖縄の海の近くでの生活は、良いも悪いも特別な時間だった。
よく質問されること
目では見えない世界が見える、という私の体質を知っている人に、よくされる質問がある。
「いつも、見えているんですか?」
「しんどくなったり、疲れたりしませんか?」
私と目を合わせると、何か見られていると思う人もいて、「じっと顔をみないで」と友達や知り合いから言われることも時々ある。
その反応は、当然だと思う。
相手からすれば、プライバシーが筒抜けのように感じて、居心地が悪いだろう。
しかし私は、いつも見えているわけではない。
スイッチのON・OFFがあるのだ。
だから、霊がずっと見えていることもない。
相手から相談を受けた時だけ、意識して相手が持つアンテナのようなものに自分を合わせて、目では見えない世界を見る。
また相手の守護霊や身内の霊、龍やUFOなど、向こうから私にコンタクトを取ってきた場合も、自然とスイッチがONとなって見える。
これらの状況以外は、通常、目で見えている世界だけを見て、行動している。
相手の許可なく勝手に透視などをすることは、やはりプライバシーを侵害している気になるから、よっぽどの事がない限りやらない。
それに悩みやトラブルを自分自身で考え、努力したりすることは、本人にとって必要な魂の磨きへと繋がる為、たとえ何かが見えたとしても、相手から相談されなければ、私の方からメッセージやアドバイスなどを伝えることもしない。
魂の成長の妨げとなってしまうから。
今思えば、20代の頃は、スイッチがずっとONになっている状態で、四六時中、霊が見えていたり、周りの人の感情や様々な映像などが見えていて、疲れることが多かった。
だが、不思議な体験を重ねるごとに、自然とスイッチの切り替えができるようになった。
現在では疲れることもなく、朝まで眠ることができ、穏やかな日々が送れていて、ありがたい。
【未来映像】列車脱線事故
関西に住む友達に会いに行った帰り、夕方、JRに乗って大阪駅へと向かっていた。
一人で電車に乗る時、必ず私は扉の所に立って、本を読んでいる。
電車は、たくさんの人が利用する為、霊なども多く、車内の「気」も淀んでいることがある。
私にとって席に座るというのは、ためらいがあったり、疲れたりするのだ。
扉の所だと開閉するたびに空気が入れ替わるから、長時間、乗っていても疲れにくい。
その日も立ちながら本を読み、時々、車窓からの風景を眺めたりしていた。
すると突然、電車が激しく揺れ、耳が痛くなるほどの金属音がして、身体が宙を舞うような感覚になった。
目が回るような気持ち悪さがあって、倒れそうになり、反射的に手すりを掴む。
頭の中に、映像が流れ込んでくる。
明るい陽射しの中、スピードの上がった電車が線路を外れ、勢いよく傾きながら前進していく。
そして、大きな衝撃音と粉塵が舞い上がった。
そこで映像が消えた。
数分のことだったと思うが、心臓の鼓動が早くなり、呼吸が乱れて息苦しかった。
ようやく目の焦点が合うようになってくると、車内では会話をしていたり、寝ている人もいたりして、普段と変わらない光景だった。
しかし、映像の生々しさと衝撃音とが、いつまでも耳に残っていた。
そして、いつかはわからないが、近いうちにJRで脱線事故が起こることを悟った。
一週間後。
2005年4月25日、9時18分頃。
スピードの出し過ぎが原因とされている。
これにより、107名もの人が亡くなった。
この出来事があってから、私は自然災害や事故などの未来映像や予知夢を見るようになった。
それらは今のところ、死者が100人を超える場合に限り、見える。
死者が100人未満となる自然災害や事故の場合は、未来映像や予知夢は無く、空気中に漂うニオイや気配から情報を知る。
何故、死者数によって違いがあるのか。
理由は、まだ解明できていないし、相変わらず正確な日時も出てこないから、「そういったことが近いうちに起こるんだ」というだけで、何もできない現状。
福知山線の電車がホームに入って来た時、「この電車に乗らないほうがいい。事故を起こす」と人々に向かって叫んでいた女性がいた、という話を聞いたことがある。
彼女によって、救われた命もあっただろう。
それに比べて、私のは、ただ見えるだけなのだ。
今後は、もう少し正確な日時や場所が判明するような映像が、届いてほしいと願う。
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予知夢
いつものように、保険事務をこなす毎日を過ごしていたある日。
その日は、朝から胸騒ぎがしていて、仕事をしていても集中できずにいた。
胸騒ぎがする時は必ず、何かが起こる。
それは私自身に関することもあれば、家族や友達に関することもあるが、国内や海外で起こる凶事の時もある。
大きな何かが起こる予感と、急に、どうしても明日は休まないといけない、という衝動にかられた。
ちょうど仕事は落ち着いていて、翌週から末日にかけてが繁忙期の為、「休みを取るのは今週中に」と言われていたから、私は思いきって翌日の休暇を申し出た。
突然の申請にもかかわらず、スムーズに休暇が取れてホッとしたものの、まだ胸騒ぎは続いていた。
次の日。
朝6時頃に目が覚めたが、日頃の寝不足を解消する為、また寝なおすことにした。
そして、夢を見た。
晴れた空、目の前には穏やかな海が広がっていて、どうやら漁港に私はいるようだった。
ここは、どこ? 初めて見る景色。
夢を見ながらも、場所について考えている私。
しばらくして、大きく足場が揺れた。
ごぉぉぉぉぉぉぉぉ。
地鳴りとともに、そこらじゅうが揺れて、立っていられない。
地震!
周りからは、物が落ちて割れる音や悲鳴なども聴こえてくる。
とても長く感じられた地震が、ようやく止んだ。
そして、誰かが叫んでいることに気がついた。
「早く高台へ!」
たくさんの人が家から出てきていて、瓦礫(がれき)をよけながら坂道を上がって行く。
私も、できるだけ海から離れる為に走った。
夢の中だからか、思うように前に進まない。
その時、また大地が揺れ始めた。
目の前にいた男性が、誰かの家の玄関を開けて、叫んでいる。
「起きてるか? 津波が来る! 早く逃げろ!」
この地域は漁業が盛んで、夜中に漁をして朝方に戻り、昼間は寝ている人が多いようだった。
人々が互いに声をかけながら、高台を目指していた。
後ろを振り返ると、ビルのように高く立ち上がった波が、こちらに迫って来るのが見えた。
凄まじい速さで、波が次々と建物や道路を破壊していく。
その不気味な音と避難を促すサイレンの音、人々の悲痛な叫び声。
そこで、はっと目が覚めた。
息をしていなかったのか、一気に酸素を吸い込む。
時計を見ると、すでに8時を過ぎていた。
とても現実味のある夢で、身体は実際に坂道を走ったかのように疲労感があり、漁港の景色を思い出すと悲惨な状況に胸が痛んだ。
胸騒ぎの原因は地震と津波であり、それは近いうちに起こるにちがいない、と確信した。
だが、正確な日時やどこの場所で起こるのかが、いくら夢の内容を思い出しても不明だった。
場所などを特定できる目印やヒントが、無かったからだ。
そして、夢を見て6時間ほどが経って、実際に大地震が起こった。
2011年3月11日(金曜日)、14時46分。
東北大震災だった。
その時、私は家でちょうどテレビを見ていて、そのことを知った。
津波が防波堤を越えて、町を飲み込んでいく様子をリアルタイムで見ていたが、それは夢の中の景色と同じものだった。
もし地震の日時や場所が正確にわかっていたら、被害を最小限にすることができただろうか。
ふと、そう思うことがある。
予知夢とは、未来に起こることを夢で体験することだが、今回のように、夢の中で地震や津波を少し体験をしただけで、実際には地震を回避させることも、被害を最小限にすることも、何一つできなかった状況は、もどかしい。
次回、もし予知夢を見るなら、気分がスッキリしたり、笑顔になれるものが良い。
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霊道となる部屋
ある晴れた日、友達の部屋に泊まりに行くことになった。
そのアパートは沖縄北部にあり、ホテル従業員の寮としても一部使われていて、ここも怪奇現象や霊の目撃が多い場所だった。
その為、友達から「私は何も見たことないけど、目撃者が多いのが気持ち悪いから、見に来てほしい」と頼まれたのだった。
アパートの外観は古く、コンクリートは所々がひび割れている。
狭いエレベーターに乗り込み、友達の部屋があるフロアで下りた。
誰かに見られている気配、しかも大人数。
外は快晴なのに、アパート内は、なんだか薄暗く肌寒かった。
友達の部屋の前に着くと、その両隣の部屋からも歓迎してくれる声が聴こえる。
声のする方を見てみると、同じ宿泊部の女友達が数人いて「ここに住んでいる」と言う。
その夜は一つの部屋に集まり、飲んで騒いで、女子会を楽しんだ。
夜中になっても特に異常はなく、皆それぞれの部屋へと戻り、私も友達のリビングで眠りについた。
早朝、友達が仕事に行く為、身支度を始める。
その物音で目が覚めたものの、友達とは昼頃にホテルで会い、部屋の鍵を返すという約束もすでにしていたから、私は再び眠りについた。
しばらくして、部屋のインターフォンが鳴った。
ピンポン ピンポン ピンポン
音で目覚めた私に友達が言った。
「この部屋のインターフォン壊れてるみたいで、よく鳴るの。気にしないで寝てて。
それじゃ、ホテルでね。」
彼女は、部屋を出て行った。
その直後、またインターフォンが鳴った。
ピンポン ピンポン ピンポン
すると突然、私の身体が金縛りになった。
リビングにいた私からは、玄関の様子がよく見えた。
ピンポン ピンポン ピンポン
インターフォンの音とともに玄関のドアをすり抜けて、ランドセルを背負った小学生の男の子が部屋に入って来た。
ピンポン ピンポン ピンポン
次は、シワだらけの小柄なおばあさんが入ってくる。
その後もインターフォンの音は鳴り続け、老若男女の霊が次々と入って来て、リビングを通り、突き当たりの壁や窓のあたりから外へと出て行った。
この部屋が霊道となる時、その異空間の現象によって鳴るのか、それとも霊が律儀に鳴らして部屋に入ってくるのかは不明だったが、インターフォンが壊れているのではなかった。
やがて静かになり、金縛りが解けた。
初めての霊道体験で、すっかり眠気は吹き飛び、興奮と疲れと昨夜のお酒が残っていた。
シャワーを浴びてスッキリしたい、と思い浴室へ。
沖縄では、お風呂に浸かる習慣がないから、浴槽が無いアパートも多い。
ここも、タイル張りにシャワーが付いているだけのものだった。
熱いお湯を頭から被っていると、後ろのドアから気配を感じた。
コンコン
ドアをたたく音。
明らかに人ではなく、霊の気配だ。
まだ部屋を通る霊がいたのか!?
お湯を止め、動きを止め、耳を澄ます。
「目では見えない世界」を見る方では、ドアが透けて、その前に立っている若い男性霊の姿が見えた。
ドアを開けようとしているのが、私に伝わってくる。
時々、性への執着が手放せず、この世に留まっている霊と出会うことがある。
そんな霊は、「色情霊(しきじょうれい)」と呼ばれる。
どの色情霊も欲望むき出しで、自分の快楽を得ることだけを考えているから、出会うと質が悪い。
しかし、ドアの前に立っている男性霊からは、そんなギラギラした欲望が伝わってこなかった。
どちらかと言えば、奥手で女性経験があまりなさそうなタイプ。
性には興味があって立ち止まったけど、浴室の中に入ってくる度胸がない印象。
「私の声が聞こえますか?こんな所で立ち止まってはダメです。
あなたの行くべき場所へ行ってください。」
私は彼に数回、呼びかけた。
やっと彼が動き、リビングへと歩き出す。
そして、部屋から出て行った。
素直な霊で、運が良かったと思う。
浴室の中の私は、すっかり身体が冷え、またシャワーを浴びなおした。
友達に何と伝えれば良いのか、を考えながら。
私が何も伝えず、インターフォンの故障だと思い込んだまま住み続けた場合、彼女の身体が心配になった。
霊道は、たくさんの霊が通るから、その影響を受けて体調不良になる可能性が大きい。
しかし正直に、今までインターフォンが鳴っていたのは、部屋が霊道となって霊が通っていたからだと伝えたら、彼女はとても怖がるのではないか。
重い気分を抱えながら身支度をして、ホテルへと向かった。
結局、私は体験したこと全てを彼女に話し、「部屋を変えてもらう方が良い」と伝えた。
私の想像と違って、彼女は、あっけらかんとしていた。
「インターフォン、よく鳴っていたけど、故障でも風のせいでもなかったんだ。霊が見えない体質で良かったー!!」と。
そして後日、彼女は部屋を変わった。
しばらくして、他の女性従業員も新しくできた寮へと引っ越しをした。
あの日以降、私はアパートを訪れていないが、現在も、まだ建っているようだ。
今日もまた霊道が開いているかもしれない、インターフォンの音とともに。
沖縄そばが好きで、よく食べに行ったし、冷蔵庫にも買い置きをしていた。
特にプルプルした軟骨のソーキよりも、皮・赤身・脂身のある三枚肉の方が、好き。
食べ始めは、コクのあるカツオだしを味わって、途中から唐辛子を泡盛に付け込んだコーレーグースを入れて、味に変化をつけるのも良い。
壁から出てくる
あるホテル従業員の寮。
その建物は沖縄本島の中部、58号線沿いにあり、綺麗な青い海が見える所にある。
「コの字」のようなデザインの白い2階建てアパート。
入口を入ると右側と左側に部屋が並び、建物の中央には、さびた鉄の階段がある。
階段近くの1階と2階には、洗濯機があった。
やはりここでも外に置かれていて、未使用時はフタを開けたままにしており、潮風によって一部がさび、ホコリも虫も、何もかも入る状態となっていた。
沖縄の洗濯機事情にウンザリしながらも、スーツケースを持ち上げ、2階へ。
この寮では、他にも気がかりがあった。
それは、白いワンピースを着た若い女性の霊が部屋に入って来たり、洗濯機の横でうずくまっている姿などが、よく目撃されていることだった。
その為、霊を祓う「しめ縄」があちこちに張られていた時期もあったようだが、全然効果がなかったらしい。
それに加えて、1階に住んでいた若い男性従業員が、自殺をしたことでも知られている寮だった。
私の新しい住まいは2階の角部屋で、廊下の突き当たりに立つと海が見えた。
6畳ほどの部屋と小さなキッチン、ユニットバスがついていて、狭いベランダからは海がまったく見えず、鬱蒼(うっそう)と草木が茂る空き地の景色。
自然に囲まれた寮で、アリ・クモ・ゴキブリ・ヤモリなどが室内・室外とも多く、ベランダも干せる状態ではなかった。
引っ越しをして3日後には、小さなアリの大群が部屋の床一面や棚の上を歩いている状態で、足の踏み場も無く、掃除機で吸うわけにもいかず、コロコロの粘着テープで駆除するという、ゾッとするような作業に数日間を要した。
潮風によってキッチンの換気扇は動きが鈍く、茶色いサビがポロポロと落ちてくる状態で、ガスコンロは全然使えなかった。
だから、アリの大群が食べ物目当てで入ってきたのではなく、ベランダから玄関へと川の流れように移動するのを見た時、定期的に通り道として、部屋に上がって来ているのではないのか、と落ち着かない気持ちになった。
1か月ほど経った、ある休日。
毎日の仕事と虫との格闘に疲れ、なかなか朝起きられず、外の物音で目覚めては、またウトウトと眠りに落ちることを繰り返していた。
すると急に金縛りになり、左耳の耳鳴りが始まった。
ごぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
ベッドで仰向けだった身体は指一本動かせず、まぶたを開けることもできない。
久しぶりに感じる強力な金縛り。
しかし「目では見えない世界」を見る方では、部屋全体が見えていた。
そして、私の頭側には、部屋とユニットバスの仕切りとなっている白い壁があった。
その壁から白いワンピースを着た若い女性が、はうようにして出てくる。
私の身体の数10センチ上を、壁から少しずつ抜けて、女の身体が私の腰あたりまで出てきた。
真っ黒な長い髪の毛は、いくつもの束の塊のようになり、私の身体を覆っていく。
私のお腹の位置まで前進をしていた彼女が動きを止め、私の身体に両手をつき、ゆっくりと私の顔を見上げた。
もし霊体験が初めてだったら、このホラー映画のようなシチュエーションに、泣いて叫んでいたかもしれない。
しかし、幼少期から数々の霊体験をしている私にとって、すでに感覚が麻痺しているのか、壁から出てこようが、天井から出てこようが、どうってことはなかった。
霊も、元は人間なのだ。
いつの頃からか、私は霊体験に遭っても怖さを感じなくなっていて、かえって冷静に行動できるようになっていた。
ねぇ、なんで怒ってるの?
何かしてほしいことある?
金縛りで声が出せない為、私は彼女に心の中で呼びかけた。
うぅぅぅぅぅ。
うめく彼女。
この数日前に、1階に住んでいる同じ部署の従業員から「部屋に女性の霊が入って来た」という話を聞いたばかりだった。
よく彼女を観察してみると、白いワンピースではなく、ネグリジェを着ているようだ。
年齢は高校生くらいに見え、とても細く華奢な子だった。
格好からしても、琉球王国時代の女性ではなく、今時の若者のようだ。
そして彼女から伝わってくる感情は、寂しさや悔しさ、それと心の痛み。
断片的な映像が、現れ始めた。
学校でのいじめにより不登校となり、拒食症や精神病になっていくような映像。
孤独で精神的にも追い詰められた彼女は、自殺をしたようだ。
死んでも、生きている時と同じ感情を手放さず、さまよう霊となった彼女。
この寮には、20代から40代のホテル従業員が住んでいて、夜に集まって宴会をしていることが多かった。
彼女には、とても楽しそうな光景に見えていたのではないだろうか。
それ故に、彼女の寂しさや孤独感は増しただろうし、自分をこんな目にあわせた人に対する怒りや悔しさも、強いものへとなっていったのだろう。
あなたのことを教えてくれて、体感させてくれて、ありがとう。
私は心の中で、彼女に伝えた。
そして、今世での執着を手放して、死後の世界へと旅立つように促した。
しばらくの間、彼女はうなり声をあげ、葛藤しているようだった。
やがて、一気に金縛りが解けて、彼女の姿も消えた。
どのくらいの時間、金縛りになっていたのかは不明だが、身体が鉛のように重かった。
だが、彼女が消える間際、ふっと気持ちが軽くなった様子が伝わってきたことで、安堵感に包まれた。
それ以降、彼女を見かけることは、一度も無かった。
長年、愛用している「貼るだけのエアコンカビ防止」アイテム。
沖縄も湿度が高く、カビが出やすい。
微生物がカビを食べ、繁殖を抑えてくれる。
これを使ってから、エアコンの臭いが全然ない。
夏でも冬でも、エアコンの使用頻度が高いから、私にとって手放せない物となっている。
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