海の近くでの生活
晴れた日の沖縄の海は、最高に綺麗だ。
濃い青色をしていて、波がほとんどなく、光を反射しながら輝く。
青空と白い砂浜と合わさった景色は、海外のような雰囲気も楽しめる。
沖縄の中部にある恩納村に住んでいた時、ホテルの仕事が休みの日は、よくタイガービーチや冨着ビーチを眺めに行った。
アパートから徒歩5分もかからず冨着ビーチには行けて、夏休みの観光シーズン以外は、ほとんど人がいなくて静か。
当時あった近所の店で、メキシコのビールとタコスを買い、海を眺めながら味わう。
また冨着ビーチの隣にあるタイガービーチ、そこにはホテルモントレがあり、フロント近くのラウンジでお茶をする為に、毎週のように通った。
南国らしいマンゴーやパッションフルーツを使ったケーキを食べながら、本を読んだり、窓の外に広がる澄んだ青空と海を見ながら、ゆったりとした時間を過ごした。
各地のホテルではランチビュッフェを楽しんだり、釜焼きピザやケーキが美味しいカフェ「土花土花(どかどか)」、新鮮な魚料理が美味しい「仲泊海産物料理店」なども頻繁に通った。
仲泊海産物料理店は海沿いに建っていて、地元の人も多く、「魚のバター焼き」が人気だが、私は「イカ墨汁」が好きだった。
初めてイカ墨汁を見たのは20歳の沖縄旅行で、タクシー運転手のオススメの店でだった。
新鮮なイカが入らないと作れないから、メニューに載っていても食べられないことも。
真っ黒な見た目で驚くが、サラッとしたスープはカツオ出汁と豚バラのコクがあり、にが菜のアクセントもきいていて、いくらでも食べられる。
「琉球薬膳」といわれるくらい栄養価も高い。
海を眺めながら、いろいろな美味しいものを食べる。
時には、友達と一緒に会話も楽しみながら。
私にとっての至福の時間。
どこに住んでいても、こういった時間が、私には一週間に一度は無くてはならない。
そうでなければ気持ちが疲れ、ストレスとなり、体調不良になりやすい。
普段は海の無い場所で過ごしている為、カフェでのんびり過ごせても、景色が悪い。
やはり沖縄の、海の近くでの生活は格別だった。
しかし、物事には良い面と悪い面とが、必ずある。
綺麗な海は、私に癒しの時間を与えてくれるものだったが、同時に霊の多さも痛感させられるものだった。
私がフロントスタッフとして働いていたホテルは開放的な造りで、海に沈む夕日が、とても綺麗に見えることでも知られていた。
その昼間から夕方へと移り変わる「逢魔が時」と呼ばれる時間帯、急に空気が重くなり、ロビーに真っ黒な影が何十人も現れることが、よくあった。
「逢魔が時」は魔物に遭遇したり、大きな災いが起きやすい時間帯。
夕日を眺めているカップルやディナーへと向かう観光客の間をたくさんの黒い影が行き交い、ロビーは満員の状態となる。
黒い影は人型をしていて、大きさも様々だが、顔も性別もわからない。
人間に悪さをする感じは無く、ただロビーを歩いていて、夕日が沈み、夜の暗さに紛れて消えていく。
ホテルでは他にも、海から戦死者が出てきたり、誰もいない部屋から人の話し声が聞こえてきたり、エレベーターでは子供の霊が現れたり。
いつも線香の臭いがする部屋もあった。
たくさん人が集まるホテルでは霊も寄ってきやすく、また観光客自身が霊を連れてやって来る場合もある。
戦死者の多い沖縄・海沿い・ホテルという3つが合わさり、どこよりも霊の多い場所となって、私にとっては過酷で疲れやすい環境だった。
時々、感受性の強い宿泊客が「部屋が気持ち悪いから変えてほしい」、「沖縄に来てから激しい頭痛で、残りの宿泊をキャンセルして帰ります」という申し出がフロントに入ることがあった。
その度に、私も心の中で同意していた。
20代の頃は「沖縄に長く滞在していたい」という気持ちはあるものの、あまりの霊の多さに滅入り、「もう無理。身体がもたないから実家に帰ろう」と何度も思った。
しかし、綺麗な海を眺めて、美味しいものを食べるとまた癒されて、「やっぱり、まだ住んでいたい」と気が変わった。
沖縄の海の近くでの生活は、良いも悪いも特別な時間だった。