この世は仮想世界
人は亡くなっても、魂は生き続けている。
けっして、『無』にはならない。
これについては昔から本がたくさん出ているが、私の場合、数多くの不思議な経験を通して知り、今では当たり前のものになっている。
だから私には『死』というものの恐怖が無く、むしろ楽しみであったりする。
私の前世の記憶では、死後のことを覚えているものもある。
魂とその器である身体とを切り離す手段として、亡くなり方は病気、事故や事件など人によって様々だ。
しかし、どれも息苦しさや痛みはあるが自身の死を受け入れることで、それらは一瞬のように感じる。
そして身体から離れた魂である私は、宙へと浮かび上がり、迎えに来てくれた白い光に包まれる。
死後の、人生を終えた、という解放感と喜びは忘れられないものだ。
身体を持って生きる、という資格を放棄してしまう自殺では、これらを感じることができない。
毎日を自分なりに精一杯、悔いなく生きることで、その解放感と喜びは一層増したものとなる。
やがて、あの世の手前にある世界に入っていくと、今回の人生を振り返る作業がある。
見返りを求めることなく、家族や人の為にどれだけ良い行いをしたか。
また人に与えた悪い行いでは、相手がどんな気持ちだったのか、を自身で体感をすることで学びや気づきへと繋がる。
悪い行いよりも良い行いのポイントの方が多ければ、生まれ変わることができる。
これが輪廻転生であり、肉体を持って生まれるには、良い行いをして得たポイントの積み重ねなど、条件を満たしていないとできない。
この世に生まれてくるということは、それだけで凄いことなのだと思う。
肉体を持って生まれ変わるまでは、あの世で、自分の魂レベルと同じ仲間と過ごすことになる。
自分と魂レベルが同じだから居心地の良さはあるが、魂の磨きには繋がらない。
肉体を持ち、様々な魂レベルの者と過ごすことで、知識を学び、視野を広げ、無性の愛を知り、魂が磨ける。
この世は、肉体を持ってしかできない体験をして魂を磨く、修業の場所である。
また、やり残した課題や新しい課題に取り組むことも、魂の大きな成長となっていく。
課題を一つでも多くクリアできるように、この世に生まれてくる前に、性別・外見・両親・国を自分で決めてから生まれてくる。
こうして自分自身で選んだ役を演じながら、人生を歩む。
この世は、舞台のようなものでもある。
だから自分の心の持ちようで、どんな人間にもなれる。
ただし、人の人生を脅かすようなことをしてはいけない。
周りと比べることなく、自身と向き合い、自分磨きをするのが良い。
あの世が本来の世界であり、この世は修業の場所や舞台となる仮想世界なのだ。
この仮想世界では、今までお金や物を重視する物質世界だったが、目では見えないものも重視する精神世界への移行が、昨年より本格的に始まっている。
修業の場所・舞台である仮想世界のレベルを上げて、そこに住む者の魂レベルも上げようとしている。
その為、コロナウイルスや天災・異常気象など、想像もしていなかったことが次々と起こり、生活にも変化が出ている。
だが、これは始まりにすぎない。
今までの普通の暮らしを維持していくことは、さらに難しくなっていくはずだ。
しかし現在を生きている人は、自分自身でこの時代を選んで生まれてきている。
この地球の転換期を体験したい、という目的の為に。
転換期では臨機応変さを求められる場面も多いから、魂の成長にもなる。
世の中が変化をしていっても、それについて考え、対応する能力が備わっている。
その能力を開花させるには、いったん立ち止まり、リラックスして、自分自身と向き合う時間も必要だと思う。
昨年からのコロナの影響で、お家時間が増えたことは、一人一人の目覚めを促すという機会にもなっている。
一人でも多く自分自身の幸せに気づき、困難な状況の中でも楽しみを見つけ、前を向いて歩いていけたら、世の中も少しずつ明るいものへとなっていくだろう。
一人で歩むのが難しい時は、家族や友達と一緒に。
家族や気の合う長年の友達は前世から繋がっている場合が多く、今世では応援してくれる者という役割になっていたりする。
この世は、仮想世界。
思いこみや枠をはずし、自身を解放して、自分らしく生きていくのが良い。
願うことが叶いやすい、仮想世界。
今後の世の中が良くなるか悪くなるかは、私達の心の在りようで決まってくる。