水子霊
水子(みずこ)とは、生まれてから日数が経っていないうちに亡くなったり、中絶や流産などで、この世に生を受けることができなかった胎児のことだ。
私の家系にも、複数の水子がいる。
その為、家のお仏壇には水子の位牌(いはい)があり、ご先祖のお墓の横には、お地蔵さんを安置している。
私が水子の存在を知ったのは、小学生の時だった。
当時、木造2階建てに住んでいて、祖母も若く元気だった。
テレビのある居間の隣は、祖母が寝起きしたり、客人を迎えたりする縁側つきの部屋となっていて、そこにお仏壇もあった。
蒸し暑いお盆の時期には、死者が迷わず帰ってくるように、と縁側に提灯を吊り、お仏壇の横にも盆提灯の明かりをつけ、絶えずお線香が焚かれ、祖母がお経を朝晩と唱えていた。
お仏壇や簡易テーブルには、そうめん・白飯・煮物・枝豆・蒸したサツマイモ・果物・お迎え団子やお菓子、また水やお茶に加えて、ビールや日本酒などが所狭しと並べられていた。
小学生の私にとって、お盆は普段と違い、荘厳で神秘的な雰囲気があり、ワクワクするような高揚感と、家だけではなく、町中がザワザワと霊の気配に満ちていく怖さとが、合わさる期間でもあった。
ある日の夜、居間で家族と食事をしながら、テレビを観ていた。
ちょうどドリフターズの「8時だよ。全員集合!」と呼びかけがあった時、
ふと縁側の提灯へと目が向いた。
吊るされた提灯の中のロウソクの火が激しく揺れていて、暗闇の中、そこだけがほのかに明るく、その灯火によって周りの影が不規則に動いていた。
そして、隣の部屋の異変に気づく。
部屋の真ん中に、模様の入った茶色の毛布が置かれていた。
それは、何かを包んでいるかのように形作られていた。
はっきりと中が見えた訳でもないのに、なぜか私は「男の赤ちゃんが入っている」と確信を持って呟いた。
それを聞いた祖母も隣の部屋を見て、「あぁ、水子さんが帰ってきた」と言った。
祖母も幼少期より、目では見えない世界が、見える体質だった。
その時に初めて祖母から、水子さんとはどういうものか、を詳しく教えてもらった。
数日後、私が階段を上がっていると、3段ほど前を飛び跳ねるように上がっていく少女の霊に気づいた。
7歳くらいで、おかっぱ頭に大きな花柄が描かれた赤色のワンピースを着ていた。
不思議と怖さは無く、「女の水子さん」と嬉しくなる自分がいた。
この小学生時代のお盆以降、私は度々、この男女の水子さんに助けてもらっている。
私が20代の頃。
ある日の夕方、駅から家までの帰り道。
仕事に疲れ、考え事をしながら、慣れ親しんだ道を歩いていた。
車が多い時間帯で、交差点にさしかかった。
私は考え事に夢中で、ろくに信号を見ておらず、横断歩道を渡ろうとした時、急に後ろから襟首をつかまれ、同時に自分へと向かって吹いてきた強風の影響も加わって、勢いよく後ろへと引き戻された。
次の瞬間、目の前をトラックが横切っていった。
間一髪の出来事だった。
その時、まだ赤信号だったことに気づいた。
私を引っ張ってくれた人にお礼を言おう、と振り返って見る。
その通りには、人っ子一人いなかった。
いたのは、10代に見える女の子。
我が家の水子さんだけだった。
その女の水子さんは、以前にも「この日は交通事故に遭うから外に出ないで」と、何度か知らせてくれ、当日、私は会社を休んだことがあった。
何かと助けてくれる、男女の水子さん。
しかし、この男女の水子さんが姿を現す時、いつも年代が違うのだ。
ある時は、幼児や小学生くらい。
ある時は、大人になっている姿。
同じ家系だからか、20代の姿で出てくる女の水子さんは、私と顔が似ている。
だが私と違って、とても女性らしい容姿に服装、癒し系の可愛らしい雰囲気を持っている。
また私が寝かかっている時、突然、男児の姿でやって来た男の水子さんは、いたずらで、私の頭をペンペンと軽くたたいてきたことがあった。
「遊んでほしいの?」と尋ねながらも、睡魔に勝てずに寝てしまった経験がある。
20代に見える姿で現れた時の男の水子さんは、180センチくらいの身長で、芸能人の反町隆史さんの目元によく似た男前だ。
霊体ではなく実際に生身の人間で会いたかったな、と毎回思わせるほど、見た目の良い爽やかな男の水子さんだ。
男児の姿も成人で男前の姿も、私にとって彼は『目の保養』となっている。
うちの家系には複数の水子さんがいるものの、いつの間にか、この男女2人を意識して生活するようになっている。
彼らは肉体を持って産まれてこれなかったが、私の身体を通して、一緒に人生を歩んでいるような感覚がある。
余談になるが、死後にあの世へと戻った魂が、この世の家族や友達などに逢いに来る時、年代の見た目を変えてくることがある。
我が家の水子さんの場合、この世に生まれ、成長するという体験をしてみたかったのか、年代や服装を変えて現れる。
自身の人生を全うして、あの世へと戻った人の場合、生前に一番好きだった年代の容姿で霊となって、この世にいる家族などに逢いに来たりする。
だから、高齢で亡くなったとしても、その人にとって、20代の自分が楽しかったと思っていたら、若々しい姿の霊体で現れることがある。
しかし、この世に未練などがあって、あの世へと戻らず、その場にとどまった霊の姿は、亡くなった当時のままだ。
高齢で病死なら高齢の姿のまま、病気の痛みも持ったまま。
事故死なら、ケガや骨折した状態のまま。
焼死や水死なら、ただれた皮膚の見た目も、苦しさも持ち合わせたままの姿で、霊として現る。
もし亡くなったことを認識させたり、未練や想いなどの解決ができたら、病気の痛みは消え、ケガや骨折は治り、生前の元気だった頃の姿へと戻り、あの世へと旅立っていく。
今後も、男女の水子さんと私は、お互いを通して、見える世界と目では見えない世界とを体感しながら、共に人生を歩んでいく。
心強い存在だ。