霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【UFOと宇宙人】ロサンゼルスでの目覚め(完結)

「ロサンゼルスでの目覚め(4回目)」で書いたように、語学学校の先生が貸してくれた本がきっかけで、忘れていた私の10歳頃の記憶がよみがえった。

 

それは真夏でお盆の時期だった。

 

この時期は亡くなった人がたくさん「この世」に戻ってくる為、私もいろいろと見る回数が増え、子供時代は「怖いと感じる時期」であり、気が休まらない毎日だった。

 

 

当時の家は木造2階建てで、庭に面してトイレがあった。

 

タテ2畳分ほどの細長いトイレで、戸を開けると右手に庭が見え、1歩を踏み出した左手に「丸い鏡」をつっていた。

 

寝る前にトイレをしてからと思い、戸を開けて中に入りかけた時、左手の鏡から身を乗り出すように何かが出てきた。

 

急に顔の前に現れたから、ビックリして声が出なかった。

 

それは「明るいオレンジ色の長い毛」を持った「サル」だった。

 

人の頭より2倍くらい大きく、顔の部分は白い体毛で覆われ、目の周りには薄い水色が入っていた。

 

白目が無い黒い瞳だが「グレイ」と違って、どこか温かみを感じる目で、ガッシリとした上半身をしていた。

 

映画「猿の惑星」に出てくる猿人のような知的な雰囲気があった。

 

しかし突然のことでパニックとなり、母を呼びに引き返した。

 

「おかあさん、トイレにサルがいる!!」

 

幼少期から私は不思議なことを言うことが多かったので、母はあまり驚かなかった。

 

母は笑いながら私と一緒にトイレまでついてきてくれたが、その時には消えていなくなっていた。

 

当時の私は「猿の霊」だと思い込んでいたが、借りた本の中で見たサルとは外見がそっくりで、今思い出しても、あの頭の大きさやガッシリとした体格は「地球上の猿」とは明らかに違うものだった。

 

この体験の数日後。

 

その日は夜も気温が高く「1階で寝るほうが涼しい」とのことで、仏壇のある部屋で寝た。

 

私が仏壇前、隣には母が布団で寝ていた。

 

「まるちゃん!」

 

誰かに呼ばれて目が覚めた。

 

朝方で部屋が少し明るく、天井の木目まで見えた。

 

声がした方を見る。

 

驚きで叫びだしそうになったが、声が出なかった。

 

私の布団と並行するように「ふすま」が閉めてあり、その「ふすま」の中に女性が横たわっていた。

 

そして私の方をじっと見ていた。

 

30歳くらいに見える女性で長い黒髪、白いワンピースのような物を着ており、なぜか全身が濡れていた。

 

顔の大きさに対して目が異様に大きく、アーモンド型の黒い瞳だった。

 

声が出ず体も動かない状態で、ただただ私は女性を見ていた。

 

どれくらいの時間が経ったのかわからなかったが、突然、女性が笑った。

 

そして消えた。

 

その瞬間、私の体は動き声が出た。

 

「おかあさん!」

 

あまりの怖さに母を呼んでゆすったが、なかなか起きてくれない。

 

いつも私が不思議な体験をしている時、隣で寝ている母は、全然起きない。

 

これは母に限ったことではない。

 

他の家族にしろ、友達にしろ、ルームメイトにしろ、誰一人として起きてくれたことがない。 

 

「見えない何かのチカラ」が働いてて、眠らされているのではないだろうか。

 

この日も結局、母は起きてくれず、私は自分の布団に戻ることにした。

 

女性の顔と笑い声が忘れられず、思い出すたびにゾッとした。

 

そんな彼女の顔が「借りた本」の中に描かれていた。

 

お盆の時期もあって「女性の霊」だと思い込んでいた私には、衝撃的だった。

 

こうして10歳頃の日本での体験が、15年をかけてロサンゼルスで繋がった。

 

そして回数を分けて「UFOと宇宙人について」の体験をしたことで、スムーズに受け止めることができたり、新たな発見を私に与えた。

 

このロサンゼルスでの体験以降、更に私は「UFO」「地球以外の惑星」「宇宙」について体験したり学んでいくこととなった。

 

人との出会いや物事の起こりかたなどには「縁やタイミング」がある。

 

偶然は無く、すべてが必然だ。

 

もし、この「ロサンゼルスでした体験」を子供時代に日本でしていたら、ただ「怖い」と思うだけで、学びには繋がっていなかっただろう。

 

「目で見える世界」で私は社会人として働き、国内・海外生活を経験し、「目では見えない世界」では子供時代よりも体験数が多くなり、視野が広がっていた26歳だったからこそ「受け入れと学び」ができたのだと思う。

 

これも「目では見えない世界」から「私の人生を応援する方々」が段取りを組み、与えてくれた体験だと感謝をしている。

 

これは私だけに限ったことではない。

 

どの人にも「応援してくれる方々」がいて、アドバイスをしてもらっていたり、段取りを組んでもらって人生を歩ませてもらっていたりする。

 

今まで、いろんな人と出会い、また街中ですれ違ったりをしてきたが、「たった一人」で生きている人を私は見たことがない。