【神仏】いつも見られている
お墓のある霊園に入る。
一瞬で空気が変わる。
空気が重たく感じられ、少し息苦しい。
ざわざわざわ・・・。
何を言っているのか、はっきりとは聞こえないくらい、あちらこちらに霊がいる。
私の肩や足をさわってくる霊もいる。
あらゆる方向から視線を感じる。
「久しぶりに、お墓参りに来たね。」
お墓を掃除していると話かけてくる「60歳代の女性の霊」もいる。
「お盆」や「お彼岸」のお墓参りは、いつもこんな感じで、疲れることが多い。
しかし、その日は少し違った。
お墓参りが終わり、母と私は帰る準備をしていた。
「前が見えぬ。前が見えぬ。」
お昼の14時頃だったこともあり、私たち以外に「人」は、見当たらない。
「前が見えぬ。前が見えぬ。」と何度も聞こえる。
目をこらして、声がする方を懸命に探す私。
すると、10メートルくらい離れた所の「お地蔵さま」が目に入った。
私に呼びかけていたのは、「お地蔵さま」だった。
呼ばれたのは、初めての体験だった。
よく見ると、誰かが「杖」を「お地蔵さま」に立てかけていて、「杖の持ち手」の部分がちょうど「お地蔵さまの目」にかかっていた。
「誰が、こんな失礼なことを・・・」と思いながらも、私は「杖」を移動した。
「お地蔵さま」の声は消え、代わりに現れたのは、お寺の「ご住職」だった。
「杖」の持ち主である。
「仏に仕えること」を生業とする人が、「杖」を「お地蔵さま」に立てかけるなんて、あってはならないことだ。
霊園だけに限らず、どこの場所でも、「私たちの行い」は良いことも悪いことも、すべて見られている。
「目では見えない世界」から、私たちが住むこの世界は、「丸見え」状態なのだ。
誰もいないからといって、「ゴミ」を「道」や「空き地」に捨てる人がいる。
時々、「ツバ」を吐いたり、「おしっこ」をしている男性を見かけることもある。
しかし、その場所にも必ず誰かがいる。
「霊」であったり、その場所を守る「神仏」であったり。
「ゴミ」「ツバ」「おしっこ」などの行為をした後には、「マイナスの出来事」が本人に戻ってきたり、体調不良になったり、運気が下がったりしているのではないだろうか。
「良いこと」をすると「プラスの出来事」が、「悪いこと」には「マイナスの出来事」が、必ず自分に返ってくるようになっている。
「自分の行い」によって、「自分の運気」を下げてしまっては、もったいないと思う。