霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【龍】龍と生きる世界

これは、2013年1月5日に見た「夢」である。

 

真っ青な青空を勢いよく翔る「龍」。

 

「龍」の数え方には、様々な定説があると思うが、ここでは「柱」を使いたい。

 

一柱は、「深緑色の体」で、「腹・ひげ・眉・頭の毛・角」の部分は「鮮やかな黄色」をしている。

 

二柱は、「白色のような銀色のような独特の光沢を持つ体」をしていて、「腹・ひげ・眉・頭の毛」の部分は「薄い紫色」、「角は白色」だ。

 

私は、笑顔で「龍」を見上げていた。

 

私の立っている場所は、かなり高い岩山の頂上付近で、そこには「大きな洞窟」があり、その前は「平らな広場」で、私と「龍」の「住処(すみか)」だった。

 

私がいる岩山の周りは、見渡す限り「原生林」が生い茂り、それを突き破るように岩山がいくつも出ていた。

 

他の岩山でも、「龍とともに生活をしている者」がいるようだった。

 

視界に入るのは、「空・原生林・岩山」という景色と「龍」だけだった。

 

しばらくすると、「二柱の龍」が下りてきた。

 

「龍」の体のサイズは、場所に合わせて変幻自在だ。

 

空を翔る時は「最大」となり、広場では「広場」に合わせたサイズ、私の持っている「巾着」に入る時は、「10センチほど」になった。

 

「深緑色の龍」の目は、眼球も「鮮やかな黄色」で、瞳は黒く、「ワニ」のように「縦長」をしていた。

 

「白龍」の眼球は、ガラスのように透明で澄んでいて、瞳は「薄い紫色」、体は光に当たると「白色や銀色」に輝くが、近くで見ると「赤・黄・青」などの色も所々に混ざっていた。

 

落ちていた一枚の「ウロコ」を見ると、ダイヤモンドよりも硬く「ひし形」をしていて、少し波打ったような形状で、向こう側が透けて見えるくらい、とても薄かった。

 

しかし、そんな「ウロコ」を持ちながらも「龍の体」は、「ビロード」や「シルク」のように滑らかであり、とても温かかった。

 

「龍」は1万年以上も生きるようだが、私の「龍」は、どちらもまだ若かった。

 

夢の中の私は、「10歳ぐらの少年」で、赤い腰布だけを巻いた姿だった。

 

緑色のオリーブに似た実を「一日に2~3個」だけ食べる生活で、少年の成長はとても遅いが、すでに500年は生きていて、とても長生きだった。

 

いつも空を翔る「龍」を見て、その「美しさ」と「力強さ」に心満たされ、幸せを感じていた。

 

そこで、目が覚めた。

 

私は、泣いていた。

 

しばらくすると、ベッドの上に起き上がっている私の頭の中に「カラーの映像」が流れ込んできた。

 

黒い雷雲の中を翔る「龍」。

 

大雨と稲光、雷が鳴る中で、私の「二柱の龍」は体をこすり合わせながら翔る。

 

お互いの「ウロコ」がこすれて、「火花」が落ちてくる光景は、圧巻だった。

 

映像が切り替わると、今度は、「私の二柱の龍」と他の「二柱の龍」とが快晴の空を昇っていた。

 

「朱色の体」を持ち、「腹・ひげ・眉・頭の毛・角」は「深緑色」、透明のガラスのような澄んだ眼球で、縦長の黒い瞳の「龍」。

 

「藍色の体」をした「龍」は、「腹・ひげ・眉・頭の毛・角」の部分が「鮮やかな濃いピンク色」で、こちらも透明のガラスのような眼球に「縦長の黒い瞳」だった。

 

そして、毎日「空を翔る龍」を見て過ごし、テレパシーで「龍」と会話をして、夜には広場で体を休めている「龍」の「とぐろ」の上で寝ている「少年である私」の映像。

 

「龍」は、とても温かく、居心地が良いものだった。

 

次々と流れてくる映像とともに、「龍の感触や温かさ」まで私の「手のひら」に蘇ってきた。

 

原生林の自然の豊かさと満天の星空の中、「龍」とともに生きる喜び。

 

同じように過ごしていても、毎日が「発見と驚き」の連続で楽しく、視界に入ってくるすべての「色」は、どれも「光」を放っているようで、神秘的で美しく輝いて見えた。

 

そこには「時間」や「お金」というものが無く、ゆえに争いも無い、ただただ穏やかで、そして「ワクワクする日々」で、幸せだった。

 

映像を見ている間も、私は号泣だった。

 

普段、私は「めったに泣かないタイプ」だが、こういった映像などを見て「懐かしさ」などを思い出したり、神秘的な体験をすると「魂が震え」、自然と涙があふれた。

 

この「龍と生きる世界」が、「過去の地球にあった時代」なのか、もしくは「地球ではなく他の惑星」での出来事だったのかは、不明だ。

 

「龍と生きる世界」は、すべてが光輝くように見え、「龍」から放たれる「無償の愛」に心が満たされた。

 

その「光」も「愛」も「今の地球」では、なかなか感じ取ることは難しい。

 

どんなに「キレイな色の物や景色」を見ても、この「龍と生きる世界での色」とでは、くすんで見えてしまう。

 

現代でも数多くの「龍」の絵が、存在している。

 

昔から「私のような体験を持っている人」や「龍が見える人」は、実在したのだと思う。

 

この「龍との出来事」を思い出してから、私は「長野県」や「沖縄県」でも「様々な龍」と遭遇することとなる。