霊・UFO・前世などの体験

不思議な人生の記録

【未来映像】転機となった自分の映像

私は20歳の時、大手「保険会社」に入社をして、内勤をしていた。

 

バブル崩壊後ということもあり、安定した会社での仕事は、家族を安心させ、私の生活も充実したものだった。

 

しかし、私が23歳の時に祖母が亡くなり、その数日後。

 

珍しく定時に仕事が終わり、夕方、家に着いた。

 

「え!?」

 

家全体が「真っ黒な影」に覆われていた。

 

朝、出かけた時には異変はなかったし、まだ夕方で、辺りは西日のせいもあって明るかった。

 

それなのに我が家は、すっぽりと「影」に覆われていた。

 

何が原因なのか、わからないまま鍵を開けて、家の中に入った。

 

数年前から「木造2階建て」から「鉄筋コンクリート4階建て」になっていて、1階には「仏壇と神棚のある和室」があった。

 

なぜか姿が見えないものの、その「和室」からは「たくさんの霊」の気配がした。

 

2階の「リビングや風呂場」、3階の「自分の部屋」も確認をしたが、ここは異変がなく、いつもと変わらなかった。

 

しかし夜になると、1階から次々と「霊」が上の階へと上がって来た。

 

この日を境に、朝・昼・晩と関係なく、家のどこにいても「霊」に囲まれ、体を触られ、話しかけられる毎日となった。

 

夜は特に「過酷」だった。

 

毎晩、「何百人もの霊」が「私の部屋」に押し寄せ、ベッドに横たわる私の上に乘ってくる霊たち、体をつかんでくる霊たち、座ってずっと話をしている霊たち、叫んでいる霊たち・・・老若男女の霊でいっぱいになった。

 

その間、私は「金縛り」で、左耳は「耳鳴り」、右耳は「霊の話し声」や「叫び声」など、何を言っているのか、ほとんど不明だったが、すべての音が「不協和音」のように聞こえていて、その時には「霊の姿」も見えている状態だった。

 

「ベランダを乗り越え入ってくる霊たち」の出す音、歩き回る足音、家のアチコチで鳴る「ラップ音」など、「大きな音」で私には聞こえていたが、いつも家族は起きてくれなかった。

 

毎回、「目では見えない何かのチカラ」によって、「家族は眠らされている」ようで、私が「たくさんの霊の話」や「ラップ音の話」をしても、「全然、気づかなかった」と回答をしてくるのだった。

 

ある夜は、ベッドに上半身を起こした状態のまま「金縛り」のようになり体が動かず、私に「群がってくる霊」を見ながら朝を迎えることもあった。

 

ほとんど寝ることができないまま、早朝に起きて、夜遅くまで「事務の仕事」をして、また家に戻ると「何百人もの霊」がいるという毎日は、私を疲弊させた。

 

しかし食欲だけは衰えず、食べても食べても「お腹がすく」状態で、「一日7食」の時もあった。

 

それでも体重はどんどん減っていき、「霊」に触られた体は、どんどん動かなくなっていった。

 

そんな状態が半年以上も続くと、体重は6キロほど減り、顔は「土気色」で、特に「左半身」がほとんど動かず、後頭部も腫れているような違和感が出てくるようになった。

 

「首を動かす」ことも「うがい」をすることもできず、「くしゃみ」をするだけで全身に激痛が走るようになっていった。

 

その当時を振り返ると、祖母が生きていた時は、「毎日、朝・晩」と「お経」を唱えていたり、よく祖母は「霊」と話をしていることもあって、それにより「たくさんの霊」が「満足」していたのではないだろうか。

 

しかし、祖母が亡くなったことで、「お経」をあげれる人がいなくなり、「霊」は私に「すがりに来ていた」のではないだろうか。

 

「霊」からすると、私は祖母のように「霊が見える人」として認識をしていたに違いない。

 

だが当時の私は、まだ「経験値」が浅く、「何百人もの霊の話」を聞き取ることができず、ただ困っていただけで、「自分の体を守る術」もわからなかった。

 

だから「霊」に触られると、その部分が痛くなったり、動かなくなったりしたし、「たくさんの霊」に「私の生気」が吸い取られ、食べても食べても「体重が減った」のだと思う。

 

この「過酷な毎日」を過ごしていくうちに、私の「感覚」は研ぎ澄まされていき、「霊」や「金縛り」にも慣れ、「怖い」という思いも次第に薄れていった。

 

そして「霊」も「元は人間」で、亡くなってからも「この世」に「未練」や「執着」、「遺族へのメッセージ」などがあるから、「あの世」へは向かわず、「この世」に留まり続けていることに気づいた。

 

やがて、少しずつ「霊」の数も減っていき、私の生活も元に戻りかけていた頃から「自分の未来映像」が見えるようになっていった。

 

また「自分の守護霊からのメッセージ」を「本」や「夢」などを通して受け取れたり、少しずつだが、直接、話ができるようにもなっていった。

 

「未来映像」の始まりは、休日にテレビを見ながら、昼ご飯を食べている時だった。

 

目の前に突然「映画のスクリーン」のようなものが現れ、私が「黒いスーツ」を着て、「海外」で働いている映像が出てきた。

 

それを見た時、「おぉ!!」と驚いたのと同時に「なぜ、海外!?」とも思った。

 

その映像は、通勤中や仕事中、お風呂の時も、時間帯に関係なく毎日、何度も出てくるようになり、それは「1年近く」も続いた。

 

「自分の守護霊」からも「海外に生き、視野を広げるように」とメッセージを頂くこともあったが、「英語が全然できない私」には、ハードルがとても高く思えた。

 

そんなある日、家の電話が鳴った。

 

電話に出ると、「離れて暮らしている父」からだった。

 

5年ほど連絡をしていなかったと思う。

 

その父が、開口一番「早く海外に行けよ」と言った。

 

「久しぶり、元気か?」などの一言もなく、いきなり「海外に行けよ」と言う父に、心底、驚いた。

 

父も幼少期から「霊が見える体質」で、「未来映像も見える人」であった。

 

そんな父が、「海外へ」と言うのだ。

 

私は「自分の未来映像」の内容と、その映像が1年近くも出てきていることを父に告げた。

 

すると、父と私が見ていた「未来映像」は「同じもの」で、父は更に「続きの映像」まで見ていた。

 

それは「私が海外で仕事をしながら、たくさんの人と出会い、多くの国で学び、視野を広げる」というものだった。

 

父と私に同じ映像が出ているのなら「海外に行くしかない」と覚悟を決め、私は会社を辞めることにした。

 

この無謀とも思える「海外移住」の話は、家族や会社の上司に、なかなか理解されないこともあり、反対も多かったが、私の意志は固かった。

 

アメリカが好き」と「カリブ海が見たい」というだけで、「フロリダ州への留学」を決めた。

 

そして、2000年1月、25歳の時に私は「渡米」した。

 

この時は、まだ「父の見た映像」が「現実」になるとは思っていなかった。

 

だが結果として、2000年からの18年間で、アメリカ・ブラジル・オーストラリア・沖縄を転々と「移住」することとなり、その拠点となる「実家」との「往復生活」が何度も続いた。

 

やむを得ず「実家」に滞在をしなければならない期間は、「保険会社」で「短期のパート」をしながら、何度もアメリカを旅した。

 

一年間に「アメリカでの3か月滞在」を2回したこともある。

 

「自分の未来映像」や「見えない力」に導かれるようにして「国や州を転々」とした。

 

寿司屋のウェイトレス・ベビーシッター・ツアーガイド・ホテルやゴルフ場でのフロントや予約の仕事など、移住する度に現地で働き、たくさんの人と出会い、「目で見える世界」の視野を広げた。

 

また数多くの「不思議な体験」を通して、「目では見えない世界」のことも学んだ。

 

楽しい経験も多かったが、時々、アメリカでは「銃声」が聞こえたり、「盗難」に遭ったりと危険なことも多く、「不思議な体験」では衝撃的なもの、体調不良となるもの、私に救いの手を差し伸べる方が現れたりと「内容の濃い毎日」だった。

 

あの時「渡米」をせずに、ずっと「内勤」として働いていたら、今頃、金銭面では安泰だっただろうけど、どこか「物足りなさ」を感じながら、毎日を過ごしていただろう。

 

「渡米」をしたことで私の人生は「180度」変わり、転々と移住を繰り返した為に貯金は、ほとんど無くなってしまったけれど、私に後悔はない。

 

「知識と経験という大きな財産」ができたから。

 

「適材適所」という言葉があるが、私の場合、「目では見えない世界」を経験したり、開拓したりしながら、その「視点や知識」を自分自身や周りの人に活かすことなのだと思う。

 

 今、思えば、18年もの間、「長い修行」をしていたような気がするが、無事に乗り越えることができて、ホッとしている。

 

そんな私が数年前に出会った本が、「心霊探偵八雲」だ。

 

共感できる部分もあったりして、とても面白い。

 

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